ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

破壊的カルトの問題

2005-08-18 | 番組ゲストのお話
◆8月号◆村上 密 氏
 アッセンブリー京都教会牧師 聖神中央教会事件「被害者の会」代表



破壊的カルトの問題

 今月は、聖神中央教会事件で、被害者の会代表を務めておられる村上密牧師に寄稿していただきました。村上師は、率直かつ大胆に、破壊的カルトについて書いてくださいました。非常にタイムリーな内容であることを感謝しています。

 ハーベスト・タイムでは、秋に村上師を講師にお迎えして、セミナー「カルト宗教と健全な信仰」を開催する予定です。2005年10月10日(月)が東京、11日(火)が大阪です。ぜひ、ご参加ください。(中川健一)
(※セミナーCD好評発売中)


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・異端から救われる

 私はキリスト教の異端から救われました。霊感商法でよく知られているグループです。なぜ、そんなところに入信したのか。20歳の私にとってキリスト教の異端についての予備知識はありません。熱心なドイツ人に街頭で声をかけられ、連れて行かれたのがそのグループでした。当時、7daysという研修があり、それに出た者たちはだいたい行方不明になっていました。親との連絡をとらないようにしていたからです。私はそれに参加する寸前で父につかまりました。その日、母の止める声を振り切って家を出ました。母は父に連絡し、父は長男と母の弟と共に私を捜し始めました。熊本のキリスト教会に次々と電話をかけているうちに、私が行っている所がわかり、父たちが乗り込んできました。私は建物の二階に隠れていましたが、父は私を見つけ出しました。私が「死んでも帰らん」と言うと「殺して連れて帰る」と言って、私は半殺しの状態で家に連れ戻されました。その後も父の目を盗んで異端の教会へ行っていました。


・なぜ、脱会できたのか

 私は友人を誘ったのですが、「ここはキリスト教会じゃないみたい」と言われました。その人はクリスチャンではありませんでしたが、友人がクリスチャンでした。もし、教会へ行く時はといって案内されていたのが熊本聖書教会でした。訪問した日がイースターでしたが、牧師は用意していた説教を変更して、異端について語ってくれました。私は頭にきましたが、静かに最後まで聞きました。説教後、牧師は私の近くに来てこう言いました。「村上君、いろいろ本を読んでいるようだが、聖書を読みたまえ」。説教は忘れましたがこの言葉だけが私の心に残りました。そして聖書を毎日読むようにしました。異端の教会で私は少しずつその教えと行いの誤りについて気づいてはいたのですが、脱会するにはいたりませんでした。私が以前読んだ内村鑑三全集から得たキリスト教と違うことにも気づいていました。家族も依然として反対でした。


・「密、密・・・・」

 ある日、私は父の仕事の手伝いをしていました。ダンプカーに乗り、土を運んでいた時です。「密、密、なぜわたしを迫害するのか」私は自分で作っているのかなぁと思いました。確かに使徒行伝にこんな言葉があったなぁと思いました。もう一度「密、密・・・・」と同じ言葉が聞こえました。私は迫害なんかしていない。心の中でその言葉に反発を覚え、否定しました。もう一度「密、密・・・・」と聞こえてきました。突然涙が溢れだし、自分の罪が深く示され、私はもう運転することができなくなり、道路わきに車を止め、おいおいと泣きながら、悔い改めの祈りを捧げました。そして、「私の一生をあなたに捧げます」と申し上げました。


・負債を返すため

 私が異端やカルトの問題を取り扱うようになった背景をご理解いただけたでしょうか。私は誤った教えに捕らえられている人々に返さなければならない負債があります。彼らは私の同胞です。パウロは復活のキリストに出会い、キリストの僕になりました。私も復活のキリストに出会い、キリストの僕になりました。あの畑の道で私はキリストに出会ったのです。


・近づく足音

 牧師になって異端の救出活動を始めました。やがて、カルト問題、そして、宗教の中で心を病んだ人々のカウンセリングに取り組み、今、カルト化した教会の問題にも取り組んでいます。そして、教会の問題も飛び込んでいます。読者はもう気づかれたでしょう。異端、カルト、カルト化した教会、そして教会。あのアモスの預言に遠い国から裁きの預言が始まり、最後にユダ、イスラエルに宣告がなされることを。


・自己点検の時

 今年になって、私は講演会やセミナーを通して「カルト化の問題」について語っています。牧師より、信徒の方々の方が問題意識を深く持っておられることに気づかされています。聖神中央教会の事件は、京都に起こった限定的な事件でしょうか。信徒はすでにカルトに関する本を読み始め、自分の属する教会の健康度をチェックし、カルト問題の専門家たちに連絡をしてきているのです。正直に言って専門家たちは私も含めオーバーワークの状態です。教会が自ら自己点検し、牧師は羊をキリストから委ねられている羊飼いなのだという原点に立ち返らなければならない時が来ているのです。


・宣教と牧会

 1980年代、「教会成長」が叫ばれ、福音派もペンテコステ・カリスマ派も大いに教勢が伸びました。1990年代には福音派の成長は止まり、2000年代にはペンテコステ・カリスマ派も成長が止まりました。教勢が伸びて行くとき、一番なおざりにされたのは「牧会」です。信徒が増えれば、当然問題をかかえる人が増えるのです。丁寧な牧会をしていたら、時間が足りません。ここに落とし穴があるのです。牧会から支配に移せば多勢でも教会運営が可能になるからです。今最も必要なもの、それは「牧会」です。