ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

愛の随想録(16)ユダの荒野にて

2008-04-01 | 愛の随想録
◆4月号◆愛の随想録(16)ユダの荒野にて

聖地旅行の印象
 二月下旬から三月上旬にかけて、第四三回聖地旅行が実施されました。今回は、今までで最も平均年齢が高い聖地旅行となりました。参加者四八名の平均年齢が六二歳で、六十代、七十代の方々が中心という極めて異例の年齢構成でした。出発前には、健康のこと、移動スピードのことなどで不安がありましたが、それらはすべて杞憂に終わりました。高齢者の皆さんの頑張りと、真理探究の真剣な姿勢には、こちらが教えられました。しっかりと自己管理をし、他の方々の迷惑にならないように努力している姿勢に大いに励まされました。
 今回は、バスの運転手がいつものヨッシーさんではありませんでした。これは、大変残念なことでした。実は、奥様のシーマさんが現在癌と戦っておられ、非常に厳しい状況です。ヨッシーさんは看病のために仕事を休んでいるのです。彼とは電話で少し話しましたが、声の様子からも大変さがうかがえました。「できるだけ、シーマさんのそばにいてあげてください」と言うと、「今そうしようと思って、努力しているところだ」との返事が帰ってきました。「妻のために祈ってほしい。祈り続けてほしい」とのことでした。皆さんにもぜひお祈りいただきたいと思います。

バプテスマ(洗礼)の意味について
 イスラエルに到着した日の夜、求道中のYさんがヨルダン川でバプテスマを受けたいと申し出られました。永年求道中であったYさんは、クリスチャンの奥様といっしょにこの旅行に参加しておられました。ご主人がバプテスマを受けることは、奥様の永年の祈りであったにちがいありません。夕食の席をともにしながら、Yさんの信仰を確認し、日本でお世話になっている教会の牧師に電話して許可を取るようにお願いしました(早速、Yさんはそのようにされました)。
 翌日、旅の一行はエリコの町が見渡せるヨルダン川の西岸に立ちました。そこはユダの荒野の一部であり、イエス様が洗礼をお受けになった場所に近い所でした。観光客が立ち寄ることなどないような場所でしたが、そこは私たちにとっては至福の時を味わう「備えの場」となりました。二千年前にタイムスリップしたような雰囲気の中で、私はバプテスマのヨハネの活動について、バプテスマの意味について、そして、主イエスのバプテスマについて、メッセージを語りました。
 バプテスマのヨハネは、メシア(救い主)の到来を告げる「荒野で叫ぶ者の声」として活動を開始しました。彼は、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締めていました。それは、旧約聖書の預言者、エリヤの姿を想起させるものでした。ヨハネの食物は、いなごと野蜜でした。ヨハネは、何のへつらいや飾りもなく、神から与えられたことばをそのまま民に伝えました。
 ヨハネは、「天の御国が近づいたから」と語り、悔い改めが必要であると説きました。彼のメッセージに同意し、悔い改めた者はバプテスマを受けました。バプテスマの本来的な意味は、「一体化」ということです。ヨハネからバプテスマを受けるということは、ヨハネという人物、また彼が語るメッセージを受け入れたということです。さらに、ヨハネがメシアを指し示す時、そのお方を受け入れる用意ができたという意味にもなります。

 主イエスもまたヨハネからバプテスマをお受けになりました。それは、ご自身がメシアであることを公に示すためであり、また、罪人である私たちと一体化するためでもありました。つまり、イエスは罪人の一人のようになって、バプテスマをお受けになったのです。この真理は、コリント人への手紙㈼の五章二一節でこう解説されています。
 「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」 イエスが水から上がると、天が開け、聖霊が鳩のようにその上に下られました。また、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という父なる神の声が、天から聞こえてきました。これは、天地を創造された三位一体の神が、ご自身を啓示された極めて重要な出来事です。

バプテスマを受ける資格
 いつの時代にあっても、神の臨在と祝福とを迎え入れるために必要な心の準備は、悔い改めです。今までの自分のあり方が間違っていたことを認め、すでに明らかにされた神の愛に応答するのが、悔い改めです。
 私はYさんを前にして、バプテスマを受ける資格について解説をしました。バプテスマを受ける資格のある人とは、次の三点を信じている人のことです。

㈰イエスが私たちの罪のために十字架について死なれたこと。
㈪墓に葬られたこと。
㈫三日目に甦られたこと。

 以上の三点が、イエス・キリストの福音の中心です。

 二千年前にバプテスマのヨハネが活躍したユダの荒野で、Yさんは明確に信仰告白をし、バプテスマを受ける決意を表明されました。Yさんだけでなく、誰であってもこの三点を信じた人は、イエス・キリストに付くバプテスマを受けることができます。それは、私たちがキリストとともに十字架について死んだことと、新しい命に甦ったこととを象徴する行為です。

 それから二日後、Yさんはヨルダン川で祝福の内にバプテスマをお受けになりました。そこには涙する奥様の姿がありました。
 最後に、Yさんが旅の中で詠まれた俳句(川柳)をご紹介します。

聖地来て 神に委ねる バプテスマ
我受洗 イエスと同じ川の水
受洗して 生まれ変わった我がいる
聖地来て 一足早い 春貰う
ガリラヤに 天使の如くかもめ舞う

 奥様も何句か詠まれましたので、それも紹介します。

 委ねると 夫の言葉は夢のごと
 早春のヨルダン川の水光る
 御手に引かれて夫は受洗す 
 湖被う朝もやの中 音も無  
 歩まれる主に出会う気のする