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私の気功との出会い。

2017-07-08 09:24:43 | 日記
私の気功との出会い。                       私は福岡県の筑後市一条というところで生まれました。私の名前の呼び方は「光明(みつあき)」ですが、子供のころからよく「一条の光明(いちじょうのこうみょう)」とよく呼ばれていました。ふつうあだ名でよばれるとあまり良い気がしないといわれますが、私はこの呼ばれ方を不思議と心地良く感じていました。                                       私は五歳の時、生死をさまよう病気をしました。私の家は植物園をしており、すもも、びわ、スイカなどの生の果物が食べ放題ができ、それらを食べ過ぎて「重度の赤痢」にかかってしまいました。私は食事ができなくり、数日間注射ばかり打たれて体は衰弱した状態になり、意識もだんだん薄れてきました。ある日、医者が私の両親に隣の部屋で「残念ですがもう助からないかもしれません」と言っているのが聞こえてきました。私はその瞬間「死んでなるもんか」思いました。すると全身を「太陽の光明」が走り、私の体はみるみるうちに元気になり、その日のうちに立ちあがることができるようになりました。立ちあがって、縁側に立つといままで私が見た太陽の数倍の大きさの「太陽の光明」が私の方に向かって差し込んでいました。その時、私は「太陽の光明」によって救われたのだとわかり、太陽を数分間拝みつづけていました。私はホームページで「気功」ができるようになったのは23年前と書いていますが、正確にいえば「気功治療」を始めたが23年前で「気功」ができるようになったのは五歳の時かもしれません。                                                                                 私は7歳のとき、父に連れられて奥八女にある邪馬台国(日向神)へ訪れました。そこで父から卑弥呼がこの土地で大蔵一族に太陽の光明の力を借りた気功を教えていた話を聞かされました。大蔵一族とは卑弥呼の護衛をしていて国を守っていた一族です。今の大蔵省はこの大蔵の名前に由来しています。大蔵一族はその後、氏を「原田」に改めて原田一族となります。後に私も原田一族の末裔であることを知ることになります。   私は高校は羽犬塚という地名のところにある八女高校へ行きました。この高校からは俳優の田中健さんや黒木瞳さんが卒業されています。田中健さんのお姉さんが私の初恋の人で、黒木瞳さんからは毎年、年賀状をいただいています。八女高校では音楽部に所属していました。発声練習で腹式呼吸を身に付けたことが、今の気功に役立っていると思います。大学は福岡の西新にあるミッション系の西南学院大学の法学部に行きました。三年生からのゼミでは歌手をされている財津和夫さんと同じクラスでした。財津和夫さんとは四年前の10月に同窓会で44年ぶりに再会しました。二年前の4月25日に偶然にも私の住んでる枚方市で財津和夫さんのコンサートが行われることになりました。【引き寄せの法則】が働いたのかも知れませんね。もちろん私も観に行きました。西南学院大学でキリスト教について学んだことは今、私が行っている光明気功に大いに役立っています。就職は大阪にある繊維商社のモリリン㈱に入社し定年までこの会社で勤務しました。会社では主に物流の開発の仕事をしていましたので、将来皆に喜ばれるようなものを開発してみたいとは常々思っていました。その頃、日本にバーコードを持ち込んだ流通システム開発センターの浅野恭介さんと知り合いになり、たびたび東京に赴きバーコードの研究をしていました。そのうち浅野さんから才能を認められ、モリリンをやめて流通システム開発センターの研究員にならないかと何度も説得されました。私はモリリンでまだやることがありますと言って断りました。そうしたら浅野さんが資金はどれだけでも出すから原田君がやりたいことがあったら、やらしてあげるよ言ってくれました。その時、私にひらめいたのが「物流バーコードの標準化」でした。そしてバーコードの標準化をまとめた「標準PDラベルガイドライン」を作成しました。PDラベル      今では「物流バーコード」は昔の手書きの送り状に変わって世界中で使用されていますが、これを誰が考えたかは誰も知りません。それは私が物流バーコードの開発資金をすべて流通システム開発センターに出してもらったので、私の特許の登録ができなかったからです。この物流バーコードは通販業界でもあっというまに広まり、通販業界は好景気となり、通販業界と取引が多かった当社も売り上げを急激に増やすことができました。私は私が生み出した「物流バーコード」が世界中に普及していく姿を見てこの上ない幸福感と喜びを覚え、人間の能力の限り無いことに感動を覚えました。                                 この感動がそれから1年後の私と気功との出会いに繋がったと今でも思っています。この感動から一年後、なんとなく奈良の天川村に行きたくなりました。そこで、会社の夏休みを利用して天川村へ一泊二日の家族旅行に車で出かけました。そこで不思議な体験をしたのです。天川神社の能舞台の前に立った時、私が宇宙(神)と繋がっているのを感じたのです。そして自分が宇宙(神)の一部だということがわかったのです。それから3か月後、たまたまつけたテレビで気功師の高塚光さんがスプーン曲げをやっていました。そのテレビを観ているとき私も何だか出来そうな気がしてきたのです。すぐに台所から大きなスプーンを持ってきて、スプーン曲げに挑戦してみたところ、簡単にスプーンが曲がってしまったのです。そこで私も気功ができるのだと確信しました。それから数か月後、テレビで別の気功師が空の雲を消している場面を見ました。私は気功で空の雲も消せるのだと思い実験することにしました。家の近くの駐車場から空の雲を見たら一面「うろこ雲」でした。そこで空に向かって手の平で「気」を送ったところ、「うろこ雲」が「すじ雲」に変わってしまったのです。それで私自信「気功」に対してますます自信を深めました。高塚さんが気功でいろんな病気治療をしていたので、私も病気治療に挑戦しようと思い自分の勤めている会社の人達の病気治療を試みてみました。すると次から次へと病気が治っていったのです。あなたも「カン」や「ヒラメキ」を感じたら、ためらうことなく実行してみてはいかがですか。今、電話かメールしてみたいなと思う人があれば、さっそくその人に電話かメールしてみてください。あなたの人生が良い方に変わるかもしれまぜん。宇宙の意思に繋がる一番簡単な共鳴法は今この瞬間に望みが叶うことをイメージし、叶った後の人生がどんなに楽しくなるかを考えることです。何度も繰り返しイメージしていると本当にその経験が実現する機会に巡り合えます。

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