私たちは、原発のない安全安心な社会を目指す市民の集まりです。
途中参加も途中退出も自由です。鳴り物も歓迎ですよ。
さあ、一緒に歩きませんか。
一歩、前に。
2017年1月・2月のウォーキングの予定です
*1月は15日・2月は19日です。(それぞれ第三日曜日です)
*コースは
第二公園(山形市十日町)13:30分集合・交流会 14:00スタート
~十日町~本町~七日町~山形市役所前(流れ解散)約30分
*1月と2月の金曜ウォーキングは夕方なので、降雪や積雪などによる危険防止のため、お休みします。
*月1回の日曜ウォーキングは日中なので、いつものように行いますが、風雪が激しい時や積雪が多く歩行困難などのある場合は、中止になります。早めに中止が決まったら、このブログで案内します。
(このポスターは脱原発ポスター展の作品を利用させていただきました。)
ここからは個人的な思いを少々。(公式ブログではありません。念のため)
「日本には抵抗の文化がない」福島訪問したノーベル賞作家が指摘
2015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェービッチさんが11月28日、東京外国語大学で講演した。26~27日に福島第一原発の事故の被災地である福島県を視察した際に、被災者から国の責任を追及する声が少ないとして「日本社会に抵抗という文化が無い」と感じたと話した。時事ドットコムなどが報じた。
アレクシェービッチさんは、チェルノブイリ原発事故で被害を受けた人々の証言を集めたノンフェクション作品「チェルノブイリの祈り」などで知られている。28日は「著作が人類の未来に貢献したとして、東京外国語大学から名誉博士号を授与された。
23日の来日後、福島県を訪れて原発事故の被災地を視察し、事故で住居を追われた人々の話を聞いた。11月29日付の東京新聞によると、今回の講演では福島の原発事故について「チェルノブイリと同じく、国は人の命に全責任を負わない」と指摘した上で、次のように話した。
「・・・・福島で目にしたのは、日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がないことです。祖母を亡くし、国を提訴した女性はその例外です。同じ訴えが何千件もあれば、人々に対する国の態度も変わったかもしれません。全体主義の長い文化があったわが国(旧ソ連)でも、人々が社会に対する抵抗の文化を持っていません。日本ではなぜなのでしょうか・・・・」
(インターネット新聞 ハフィントン・ポスト日本版 2016・11・29掲載)
さて、長々と引用しましたがここからが本題。
2011年9月、東京・明治公園で開催された「さよなら原発5万人集会」のとき、福島県三春町の武藤類子さんが「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」とスピーチしたのです。
どのような思いでの東北の鬼発言だったのか。いま、あらためて思い返さなければならない。と思います。
東北には、静かに怒りを燃やす「抵抗」の文化があるのです。
なぜなら、私たちの住んでる東北の街は、まつろわぬ民、蝦夷(えみし)の故郷だからです。