【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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ゼカリヤ書2章

2017年09月22日 06時54分39秒 | 小預言書
 第三の幻は、「測り綱を手に持った若者」の幻である。エルサレムの町を測ろうとしている。しかし、その若者の試みは留められる。というのも、エルサレムは、やがて、城壁から人と家畜が溢れて、今よりもさらに大きな町となる。そして神が、城壁の外にいる人々の火の城壁になるからだ、というわけである。
 これは、エルサレムが神に守られて祝福されることを語っている。ということは、第一の幻と第二の幻はつながっていて、「わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる」(1:17)という神の約束を繰り返す内容となっている、と言うことができるだろう。
だから、ゼカリヤは勧告する「さあ、さあ、北の国から逃げよ。シオンにのがれよ。バビロンの娘とともに住む者よ」(6,7節)。エルサレムに約束された祝福に与るために、ユダヤ人へバビロン捕囚から帰還することへの勧めである。バビロンは滅亡するように定められているのであるから、その滅びから逃れるように、ということなのだろう。いずれにせよ、神は、エルサレムに対する祝福が確実であること「わたしはあなたのただ中に住む。あなたは万軍の主が私をあなたに使わされたことを知ろう」(11節)と明言される。
この預言は、まず当時のユダヤ人に語られたものであった。実際にネヘミヤが再建したエルサレムでは、人が溢れるどころか、くじ引きで強制移住を命じなければ(ネヘミヤ11:1-2)ならない始末であったが、イエスの時代には、当時の世界のあらゆる地域から巡礼者が集まり、都がごった返していた。さらに現代では、キリストの教会がエルサレムからあふれ出て世界中に広がっている。
大切なのは、再建の主導権を神が握っておられたことだろう。そして、神の計画は常に私たちの思いを超えている。また、神が物事をなさる時に、神ご自身がこれを支え守られるのである(5節)。今日の教会を支えるのも、主ご自身である。
後半6節からは、詩文となり、6-9節、10-13節の二つに分けることができる。これらは、神の言葉の後に、ゼカリヤの解説がつけられる、という似た構造を持つが、内容的には、前者は、1章にある第二の幻を補強しバビロンを滅ぼすことの確認、後者は2章前半にある第三の幻を補強し、エルサレムを回復し守られる主の主権が確認される内容となっている。
6節、「さあ、さあ。北の国から逃げよ」捕囚の地に留まり続けるユダヤ人に対してバビロンから逃れるように勧める。彼らは、その経済的な生活の豊かさを捨てることができないでいた。これは、私たちに対する預言的なことばでもある。ヨハネの黙示録では、「バビロン」は虚飾の象徴である。放縦と富の象徴である。そうした物質的な豊かさを追求し、そのことだけにのめり込む人生は、いずれ破局するものであろう(黙示録18章)。この世の社会では、当たり前のように成功や富を求めるものかもしれないが、そこに真の幸せはない。主が破局をもたらし、祝福をもたらすのである(9節)。
10節「喜び歌え。楽しめ」主が新しい秩序を造られる。それが成就すれば、確かに主がおられることは明らかになるだろう。主の前に静まり、主の時を待つことだ。覆しがたい現状も、主が変えてくださる信仰をしっかり持ちたいものである。

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