ささやかな幸せ

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人生のターニングポイント26歳説 「関ジャニ∞クロニクル」より

2020-10-09 22:32:06 | 関ジャニ∞
 「関ジャニ∞クロニクル」10/5放送
 人生のターニングポイントは26歳!博多大吉さんが『年齢学序説』で唱えている。様々な人の事例を紹介し、関ジャニ∞で検証開始。

<2007年 横山くん26歳>
●初ソロコンサート「横山YOUがヤっちゃいますコンサート」開催
 このソロコンを皮切りに3回やる。2010年にソロコンサートを大阪城ホールでやった時に、お母さんが来てくれた。横山くんがお母さんへの感謝を歌詞にした「オニギシ」を歌って、お母さんからはお握りの差し入れ。そのあと、晩御飯を食べに行き「あんた、すごいな」と言ってもらう。ラストの親孝行になる。そして、その何週間後にお母さんが急死。青森のライブ開始2時間前に聞く。横山くんは、ステージに立たなかったら、お母さんのためじゃないと思い、ライブを敢行した。
●倉本聰さんの「拝啓、父上様」に出演
 NG連発。セリフは言えているが、「倉本さんの書いている台本の意味をもっと考えてセリフをしゃべってください」と言われる。
「いろんなことを吸収している年」

<2008年 村上くん26歳>
●「ありがとう、オカン」出演
●セルフプロデュース舞台「『未定』壱」
 すばるくんとやっていたが、「来年どうする?」となった時に、すばるくんは音楽スイッチが入っていたので「ちょっとちゃうな」 会社は、「じゃあ、一人でやれば」と言う感じで、翌年から村上くん一人舞台「イフオア」に10年続く。舞台度胸がつくきっかけになる。
「修行」「一人でする対応力を学ぶ」

<2009年 丸ちゃん26歳>
●初の連ドラ出演「歌のおにいさん」
●初MC「愛の修羅バラ!」上沼恵美子さんと共演
●一人暮らしを大阪で開始
 仕事を求めて東京に住むメンバーを横目に「関ジャニなのになんで東京に行ったんや」「オレが関ジャニ∞の証明になる!」と大阪で一人暮らし。しかも、出身地の京都より住んでいる大阪は、もっと東京から遠くなると指摘されるも「愛の修羅バラ!」は大阪収録だからと丸ちゃん。
 バラエティやMCのノウハウがない丸ちゃんに、「愛の修羅バラ!」のスタッフさんが 編集を見てどこが切られてどこが使われるのかという勉強会をしてくれる。
「バラエティの基礎を叩き込まれる」「度胸と言うか試された」
「(現在のサタプラのMCやドラマ・映画など)幅広くやるきっかけになっている」by村上くん

<2010年 安くん26歳>26歳の安くんは、かわいい!
●手話の勉強を始める
●ダイビングのスキルアップ
 雑誌のインタビューで「思いを伝えたい人へメッセージを送ってください」に 常に人への感謝を忘れない安くんは「サルへ ここまで進化してくれてありがとう」???これを聞いて丸ちゃんは「安の安たる安がいる」
 安くんは、26歳にターニングポイントはないと思ったが「毎日がターニングポイント」と思ったのだとか。確かに、安たる安がいる。
 耳の聞こえない方がダイビングできるように事務所の許可を得てダイビングショップを作ろうと思っていたから、手話もダイビングも始めたのだとか。それが24時間テレビに生かされることになる。

<2011年 大倉くん26歳>
●関ジャニ∞初のゴールデン冠番組「関ジャニの仕分け∞」の太鼓の達人で大活躍
「誰にも負けない集中力がついた」by安くん

<関ジャニ∞でみると>
大倉くん26歳の年は、関ジャニ∞が飛躍の年。この5年を振り返ってみると激動だった?!
2007年  楽曲から「大阪」の名が取れた「ズッコケ男道」リリース
     初の全国47都道府県ツアー
2008年  累計で一番売れた「無責任ヒーロー」リリース
2009年  グループ単独初のカウントダウンライブ
2010年  初のバンドスタイルで「LIFE~目の前の向こうへ~」リリース
2011年  24時間テレビのパーソナリティ 

 横山くんは「24時間テレビ、うれしかった」 47都道府県ツアーは、スケジュールが空いていたからライブをさせてもらっていた。その時、楽屋で見た24時間テレビは、タッキー&翼がパーソナリティで、バックにKAT-TUNがいた。それを見て悔しい思いをしていた∞さんたち。しかし、∞さんたちは、47都道府県ツアーで強くなる。
 「ちょっとの酒あったら泣いてるぞ」「微量の酒で泣ける」と横山くん。

 私の中では、過去を振り返った神回。ターニングポイントかどうかは、分からないが、今につながるきっかけの年になっているような気がする。

 私の26歳は、子どもを産んだ年。夜泣きとかでしんどかったけれども、夫と子どもの寝顔を見ながら とても幸せだった。「こんなに幸せなら、今、死んでもええなあ」と思って「いやいや、私が死んだら子どもはどうすんねん。意地でも生きる」と思い直したり。ターニング ポイントとか分からないが、人生で一番幸せな年だったと思う。   

 
 
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