「ヨシロウ童話」

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ヨシロウ童話   ムクムク

2017-03-26 21:16:44 | 童話
 高安義郎

                        

             




 あるはれた、夏の日の朝(あさ)でした。
 空は青く澄(す)みわたり、富士山(ふじさん)の白い頂上(ちょうじょう)
がくっきりと見えます。そしてすそ野はどこまでも、紫色(むらさきいろ)に
輝(かがや)いておりました。
 その日富士山(ふじさん)のわき腹(はら)あたりに、クリームパンのよう
な雲がひとつ、ぽっかりうまれ出たのでありました。
「うまれたね、雲の赤ちゃん。おまえの名前(なまえ)は何にしようか。ムク
ムクってのはどうだ」富士山が声をかけました。
「ムクムク?よい名前をありがとう。だけど、あなたはだあれ」名前をもらっ
た雲の赤ちゃん、ムクムクはたずねました。
「そうだなあ。おまえの育(そだ)ての親(おや)ってところかなあ。」
そういってウホウホわらいました。
「それじゃ、ぼくの母さんはどこ?」ムクムクはあたりを見回(みまわ)しま
した。見ると遠くに長い垣根(かきね)のようにどこまでもつづく雲が見え、
ところどころにまぶしい光が反射(はんしゃ)しています。
「綿菓子(わたがし)をたくさん並(なら)べたみたいだね。あの中に母さん
はいるの?」すると富士山は、
「あれはおまえの兄妹(きょうだい)や従兄(いとこ)だよ。母さんはそこに
はいない。きっとあのあたりじゃないのかなあ」そう言って指さした先は、ひ
ろいひろい海でした。海はエメラルド色の大きなシーツをひろげたようです。
シーツにできたしわのように、幾筋(いくすじ)もの波が銀色(ぎんいろ)に
光り、水平線(すいへいせん)は藍色(あいいろ)の細(ほそ)い弓(ゆみ)
のようです。
 そのとき風がふきました。ムクムクはふわりといて、ぷっくりふくらみ、富
士山の頭(あたま)の上にやって来ました。
「あれ、ぼくいつのまにかこんなに大きくなっちゃった。」
ムクムクは富士山の頭の上に、ぼうしのようにのっかりました。
「大きくなったなあ。もう赤ちゃんではないな。ムクムクはやがて入道雲(に
ゅうどうぐも)になるかもしれん。せっかく生まれたんだ、楽しくくらせよ。」
そういって忙(いそが)しそうに、つぎに生まれた雲の赤ちゃんたちに目をむ
けました。
「ほんとうにあの海がぼくの母さんなんだろうか。姿(すがた)はぜんぜんち
がうしなあ」
ムクムクは風にふかれての田子の浦(たごのうら)へながれてゆくと、
「海さん海さん。あなたはぼくの母さんですか」
海に声をかけました。すると、
「お前をうんだおぼえはないけど、私はみんなに母さんてよばれてるんだ。だ
から、お前もいつかはここに帰っておいで」何だかよくわからない返事(へん
じ)でした。そこでは今度(こんど)は富士川に行き、ききました。
「川さん、川さん。あなたはぼくの母さんですか」富士川は聞こえないのか、
しらんぷりで鼻歌(はなうた)をうたっていました。
「ねえ、川さんてば、あなたはぼくの母さんですか」するとは、
「そうかもしれない。だけど、そうじゃないかもしれない。富士山のふもとに
ある湖(みずうみ)にでも行ってきいてごらんよ」
そういってまたを鼻歌をうたいはじめたのです。
 そこで今度(こんど)は、風にふかれて富士山の足元にある湖にいき、同じ
ようにききました。 すると本栖湖(もとすこ)も精進湖(しょうじこ)も、
西湖(さいこ)までもが、みんなが母さんかもしれないというのです。不思議
(ふしぎ)に思い、河口湖(かわぐちこ)にも山中湖(やまなかこ)にも行っ
てみました。するとみんな同じように、
「母さんのところにいつか帰(かえ)っておいで」というのです。とうとう
ほんとうの母さんは見つかりませんでした。
 いくあてがなくなってムクムクは、ただぼんやりとかんでいました。そこへ
クロワッサンのような雲がちかづいてきて、
「あなたムクムクでしょ。わたし、モコって言うの。富士山にきいたけど、あ
んたは私の弟(おとうと)だってね。ムクムクは母さんをさがしてるってきい
たけど、見つかった?見つからないでしょ。私はしってるんだ」ちょっと生意
気(なまいき)そうに、そんなことをいうのです。
「しってるんならおしえてよ。」ムクムクがきくと、
「本当はムクムクだってしってるはずさ。ただわすれているだけよ」そう前置
(まえおき)をしてこういいました。
「海だって川だって湖だって、みんな母さんみたいなものなんだ。だってあん
たはあの全部(ぜんぶ)にいたことがあるんでしょ」
 そういわれてみればムクムクの顔(かお)は海だったような、手は川だった
ような。そしてお腹(なか)は湖(みずうみ)だったような気がしてきました。
そして足は、木の葉や動物のはいた息(いき)に、思えてきたのでありました。
「どう?思い出した?ムクムクも私も、ほうぼうから集(あつ)まって生まれ
たのよ。そしてだいじな仕事(しごと)をするの。わかってるでしょ」
 仕事といわれて困(こま)ってしまいました。何をするのかも見当(けんと
う)つかなかったからです。
「だいじな仕事ってなあに。おしえて」
「そんなのは自分で考えるのよ。ただね、そのためにはもっともっと大きくな
らなくちゃ。そして仲間(なかま)をふやして。そしたら自然(しぜん)にわ
かるから。それじゃ私は、むこうに友達(ともだち)がいるから、行って来る
ね」そういって風にふかれていなくなりました。
 大きくなれといわれましたが、どうすればいいのでしょう。大事な仕事って
なんでしょう。いくら考えてもわかりません。考えくたびれ、しかたなく、た
だ風にふかれて流(なが)れていました。
 そのとき強い風がふいてきました。ムクムクは体がちぎれそうになりました。
このままちぎれてしまえば、何も考えなくてすむから、あんがい楽かもしれな
いな、と、ちょっとそんなことを思ってみました。でも、とりあえず、ちぎれ
ないようにぐっとふんばってみたのです。するとそこへ、飛(と)ばされて来
た雲がムクムクにつかまり、
「ぼくをおさえていてよ。飛ばされちゃいそうだから。」
そういってしがみついてきたのです。
「いいよ。こっちにおいでよ」そういって腕(うで)をのばすと、次から次に
と、ちぎれ雲がんできて、ムクムクにつかまりました。
 気がつくとムクムクは大きくなっておりました。はじめはただちょっとふん
ばってみただけなのに、こんなに大きくなるなんて不思議(ふしぎ)だなあと
ムクムクは思いました。やがて大きな黒雲までが仲間(なかま)にしてといっ
てきました。
大きくなったムクムクが、ゆったりうかんでいたその場所(ばしょ)は、広
(ひろい)い畑(はたけ)のまうえでした。
 畑はひびわれて、植(う)えられていたトウモロコシがぐったりしているの
が見えました。農家(のうか)の人が、ムクムクのいる空を見上げて、
「もう二週間(にしゅうかん)も雨がふっていません。どうか雷神(らいじん)
さまおねがいします」そういって手を合わせたのです。
雷神さまってなんだろう。神さまのひとつでしょうか。あたりを見回(みま
わ)してみましたが、そんな神さまらしい者はどこにもいません。
「雷神さまってどこにいるの?」ムクムクはなかまになった色黒の雲に聞きまし
た。
「雷神というのは、これから君がなるんだよ、きっと。いいかい、君みたいに
大きくなった雲が、ううんとせのびをする。するとね雲が高く高く立ち上がっ
て、稲光(いなびかり)がおきるんだ。稲光が空気(くうき)をバリバリって
ひきさくとそれが雷(かみなり)さまだ」
「雷を起こすのが仕事なの」
「いやいや、雷は畑の土に栄養(えいよう)をあたえるけれど、それがいちば
んの目的(もくてき)じゃない。」
「それじゃなんなの?」
「農家(のうか)の人たちがよろこぶことになるんだよ。」
「どんなこと?」
「いちいちきくなよ。やってみればわかるんだから。」
 そこでムクムクはいわれたとおりに、力いっぱい背(せ)のびをしました。
すると体がふくらんで、ふくらんだぶんだけ体がひえてゆきました。冷(つめ)
たくなって、氷(こおり)の粒(つぶ)ができました。
「もっともっと。もっとがんばれ。」声をかけてきたのは、いつのまにかやっ
てきていたクロワッサンのモコでした。そのときです。畑にいた人たちが大声
でいいました。
「入道雲(にゅうどうぐも)だ。今にふってくるぞ。雷神さまよろしくおねが
いいたします」
 入道雲(にゅうどうぐも)という言葉(ことば)、それは富士山からきいた
言葉でしたが、このかたちのことをいうのかと、今になってムクムクはしった
のでした。
そうこうしているうちに稲光(いあなびかり)がはしり、天がくずれたよう
な音の雷がなりだしました。やがて大粒(おおつぶ)の雨がふりだし、赤茶(あ
かちゃ)けていた畑はみるみるうちに黒くなってゆきました。
 ムクムクの体は少しずつ小さくなって行きました。モコもなかまも、みんな
小さくなってゆきました。
 雨になりながらムクムクはつぶやきました。
「そう言えばずっとずっと昔に、こんなふうにして地上(ちじょう)におりた
ことがあったなあ。あのときはたしか山にしみこんで地下水(ちかすい)にな
り、やがてわき水になって川にながれこんだんだ。そしてどこかの海に出た。
海では何千年、いや何万年もゆったりのんびり、夢も見ずにねむってたんだ。
だから昔のことを忘(わす)れていたんだ」そんなことを思い出していたので
す。
 ムクムクの体は雨になり、ひろい畑におりたちました。ムクムクはもうどこ
にもいません。畑の土にしみこんで消えてゆくムクムクは、うすれていく心の
なかで、
「ぼくは少しは、だれかの役(やく)にたったのだろうか」
そうつぶやいたのでした。
 それを見ていた富士山は、
「雲になり、雨になってきえるまで、本当(ほんとう)にあっというまだ。ム
クムクは楽しめたのかなあ。」そういってためいきをついたのでした。
入道雲のなくなった空はすみ、今日(きょう)も富士山のまわりにはころころ
と、こひつじのような小さな雲が、いくつも生まれているのでありました。