ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北

大阪府(旧)泉北郡の地元からの発信

5月23日に「ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北」の会議…初めての方も参加してください

2012年05月07日 16時14分14秒 | 日記

今年7月、「ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北」設立9年を迎えます
ネットワーク泉北とつけたのは、ハンセン病問題を和泉市中心から堺・泉大津、高石、忠岡など旧泉北郡に広めていこうという趣旨でした。

大阪にあった外島保養院の移転予定地は今の泉北ニュータウンで旧泉北郡でした。町村長を先頭に17ケ町村が移転反対運動をおこし、計画は頓挫し、西淀川区の現在の中島2丁目で拡張工事、完成近い9月21日大阪を直撃した風速60Mの「室戸台風」で建物が全壊・流出、職員・家族を含めて187人の犠牲者を出し、大惨事となりました。工事関係者も9人亡くなりました。西淀川区の犠牲者の約8割にもおよんだのです。反対運動を官民で進めた旧泉北郡に住む私たちは今度は、ハンセン病回復者の方々の人権侵害、人生被害を克服するために手を結ぶ責任があると思います。
和泉市、忠岡、泉大津には研修に呼んでくださり、ひろがりました
堺市は過去にある中学校の人権学習に協力したのが1回、なんとか教育実践などつながっていければいいですが・・。高石はまだです。


3月24日に映画「ふたたび」上映とシンポジウムが無事に終わりました。
関西退所者「いちょうの会」会長の宮良正吉さんは病気療養中だったため、副会長が参加してくださいました。
映画2時間は長いけど、引き込まれて皆さん最後まで観賞されてうれしかったです。
DVDも販売しているのです。シンポジウムはネットワークの門林真人代表がコージネートして行いました。
当事者のお話は貴重でした。
回復者支援センターの加藤めぐみさんからも、回復者の置かれた現状、昨年岸和田市でも上演された「ドクターサーブ」問題にも触れて離されました。
感想文を読ませて頂きましたが、本当にやってよかったと締めくくりました。
自分が、家族が、親戚がハンセン病回復者と普通にいえる社会に少しでも市民としてできる力になったでしょうか?
まだまだ道のりは長いとか悠長に言っておられません。
人と病はいつの時代にもあるでしょう。
ハンセン病問題の過ちを繰り返さないように
地方自治体としても、
市民としても
課題は大きい現状
パネラーには参加されませんでしたが和泉市の相談の窓口の方が会場に最後までおられたとのこと
ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北と一度懇談できるとうれしいです
お疲れ様でした

2011年度の振り返りと2012年度の活動について話し合います
*私たちも映画製作に少し協力した「もういいかい」今年度はしたいですね。
*療養所訪問
*教育実践を広げる

3月24日に映画「ふたたび」上映&シンポジウム「ハンセン病問題の今・・・和泉市と市民の課題」

2012年03月11日 11時43分42秒 | 日記
■ハンセン病問題の今〜映画「ふたたび」上映とシンポジウム

<日時>平成24年(2012年)3月24日(土)
 午後2時〜午後3時50分「映画上映」
 午後4時〜5時「シンポジウム」
<場所>ゆう・ゆうプラザ 1階大会議室
定員150人/参加無料/事前申し込み不要
部分参加可能です。(映画鑑賞のみ/シンポジウム聴講のみ)

■シンポジウム「ハンセン病問題の今」
<パネラー>
◇宮良正吉(みやら・せいきち)さん/ハンセン病関西退所者原告団いちょうの会
◇加藤めぐみ(かとう・めぐみ)さん/ハンセン病回復者支援センター
(コーディネーター:ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北)

■映画「ふたたび SWING ME AGAIN」
人生でやり残したこと、ありませんか?
全てを失った男が、再び歩を始めた。
指に馴染んだトランペットと
出会ったばかりの孫を連れて―
往年のジャズの名曲に乗せて贈る、心温まる感動作。

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会場:ゆう・ゆうプラザ(和泉市立人権文化センター)
大阪府和泉市伯太町6−1−20
JR阪和線信太山駅から200M
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→詳細はダッシュまでお問い合わせください。
WEB:http://dash-npo.org
電話&FAX:0725-46-3809
Eメール:infoアットdash-npo.org
※「アット」を「@」にして送信してください。


映画「ふたたび」公式サイト
http://futatabi.gaga.ne.jp/

□イントロダクション

人生でやり残したこと、 ありませんか?
人は誰しも、長い人生の中でやり残したことを思い出すことがある。
何年かけても、どれだけ苦労しても、どうしてもそれをやらずには人生を終えられないと思うことが、あなたにはありますか?
本作は、そんな信念を持ったある男の物語である。
貴島健三郎、78歳。頑固で偏屈だが、50年間心に抱えてきた想いを果たそうと、思うように動かなくなった手に杖を握らせ旅する姿は、家族や仲間たちの心を動かしていく―。
そんな彼の生き様は、「いくつになってもやり残したことにチャレンジしよう」と前向きなメッセージとして、私たちの背中を押してくれる。
さらに本作は、“出会ってすぐに旅に出る祖父と孫”のバディムービーであり、ロードムービーでもある。旅の途中で孫・大翔(ヒロト)は祖父から、【家族の絆】や【友との絆】を重んじることの大切さを学んでいく。そして、祖父の“最後の旅”を共に成し遂げたいと切に願うようになる。この旅の結末に、観る者は涙を流さずにはいられないだろう。
重要なキャスティングには、祖父の旅に同行することになる大学生・大翔(ヒロト)役に、TVドラマや映画などで人気急上昇中の鈴木亮平が、50年間の想いを抱えて旅にでる祖父・健三郎役に、満を持しての映画登場となる名優・財津一郎が決まり、年齢差約50歳のコンビが誕生した。
また、2人を見守る女性看護士と健三郎のかつての恋人という2つの難役に挑戦したのは、映画『252 −生存者あり−』(08)のヒロイン役で注目され、日本で本格的に女優活動を開始したMINJI。さらに、往年のジャズバンド「COOL JAZZ QUINTETTE」のメンバーに、独特の存在感で輝き続ける藤村俊二、クレイジーキャッツのベーシストで数々の主演映画を持つ犬塚弘、歌手・佐川ミツオから今や俳優へと定着した佐川満男が、味のある演技で脇を固める。
そして、大翔の両親を陣内孝則、古手川祐子というベテランの二人が演じ、祖父の出現で揺れる家族が見事に描き出され、映画を重厚なものにしている。
監督の塩屋俊が5年間企画を温めて来た本作は、ハンセン病という難しい背景を持ちながらも、祖父と孫のロードムービーとして爽やかな余韻を持たせることに成功している。全編流れるジャズも往年の名曲を彷彿とさせるオリジナルナンバーから、「My Blue Heaven」など誰もが知ってるスタンダードナンバーまで色彩鮮やかに観客を魅了する。また、“世界のナベサダ”こと渡辺貞夫がジャズクラブのオーナー役で出演し、華麗なサックスプレイを聴かせるのも見所である。

□ストーリー

貴島健三郎、78歳。
男は50年の時を経て、
友との約束を果たすため、最後の旅に出た。
出会ったばかりの孫と共に−。
いつも心にジャズが流れる街、神戸。
大学生の貴島大翔(21)には、密かに憧れるジャズバンドがあった。“COOL JAZZ QUINTETTE” ――
それは、たった1枚のLP盤を残して忽然と姿を消してしまった幻のバンドである。大翔は家に保管されていた
コレクションの中に偶然そのLPを見つけ、熱烈なファンになった。
ある日、父・良雄が重い口を開いた。亡くなったと伝えていた祖父は生きている。ハンセン病療養所から50年ぶりに戻るから、我が家へ引き取ることにした、と。大翔には、生まれて初めて会う祖父・健三郎との接し方がわからない。頑固一徹。会話もない。ところが何の気なしに聴かせた一枚のレコードに、健三郎の表情が一転した。
「嘘だろ?爺ちゃんが、COOL JAZZ QUINTETTEのトランぺッター?」
しかし、健三郎は多くを語らなかった。
そんな健三郎が、黙って家を出た。
「人生でやり残したことがある。50年前のバンド仲間を探したい」
巻き込まれるようにして、大翔はこの旅に同行することとなる。
こうして、急ごしらえの祖父と孫の旅は、かつてのバンドメンバーを訪ねる形で、神戸から京都、そして和歌山へ・・・。50年ぶりの再会に戸惑いながら、健三郎の訪問に喜び、泣き、笑い、興奮する友人たち。そんな中、一人の女性の存在が明らかになる。彼女は、COOL JAZZ QUINTETTEのピアニストで、ハンセン病の健三郎の子供を産んだことで、家族からも子供からも引き離され、一人さびしく死んで行ったのだという。健三郎が一番会いたかった人とは、この女性=祖母だったのだ。
大翔は、この旅を通して祖父から父・良雄を経て、自分へと繋がる家族の絆を知るのだった。
2人の旅が終わりを迎える時、そこには思いがけないサプライズが待っていた。
神戸の憧れのジャズクラブ「SONE」で、50年間果たせなかった
COOL JAZZ QUINTETTEのライブを実現出来ることになったのだ。
感動のラストステージが、今、幕を開ける――。

2012年3月24日(土)映画会「ふたたび」&シンポジウム「ハンセン病問題のいま・・我がまちの課題」

2011年09月18日 06時53分37秒 | 日記
2012年3月24日(土)午後1時〜映画「ふたたび」
               3時〜シンポジウム「ハンセン病問題はいま・・・我が地域の課題」
                  パネラー予定
                         ・「ハンセン病関西退所者原告団いちょうの会」会長:宮良正吉さん
                         ・「大阪府総合福祉協会 ハンセン病回復者支援センター:加藤めぐみさん
                         ・ 和泉市ハンセン病回復者相談窓口担当者(?)
                  コーデイネイト 「ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北」
               5時〜映画「ふたたび」

外島保養院移転問題の知らなかった和泉市関連の記述ー『光田健輔とらい予防事業ーらい予防法60周年記念』

2011年09月15日 19時21分21秒 | 日記
P322頁の記述に驚く「・・・愛生園薬局の尾崎君が軍隊で1年志願兵をした関係からの親友で薬局を営み、南前代議士を伯父さん、伯父様と云う間柄の片山君と云う人が、偶然、我が愛生園を尋ねて来て此国家事業の設備万端を見て傾倒し、我が町の再考を促すと云って帰られたが、果たして片山君の父は町の有力者で元の町長をして居られたそうで、相談の結果前に反対の急先鋒であった南元代議士をも動かし安井知事に再考の事を申し出られたが、府として、又急に和泉町の申出を引き受け、又反対運動が起こらぬとは限らないので日生町の話は継続中と云って断った。」「後年二万坪の敷地に府の結核療養所がすらすらと建てられたのも片山君等の働きも又あったと云うげきである。らいであれだけ八釜敷(ママ)かったのも機会が悪かった。結核療養所でも容易に出来なかっただろう」と書かれている。
南鼎三は、和泉市の人で千草小学校南側で行なわれた「らい療養所建設反対郡民大会」の議事進行をして検挙された経歴がある。元々大正デモクラシーの人で大逆事件でも投獄された人物であるが・・・・。
この書物中の記述には所々誤りがあり、移転予定地も泉北郡和泉町との誤記がみられる。しかし、南鼎三に関する記述はありうるかなと思われる (三宅ミ記)

7月3日和泉市校区研修に協力致しました

2011年07月05日 19時37分14秒 | 日記
午前10時から鶴山台、午後7時国府校区と2回人権研修がありました。代表の門林、三宅ヨ、三宅ミで出かけました。最初に、10分位はDVDをご覧頂き、ハンセン病とは、大阪とハンセン病、療養所や関西在住回復者の方々の現状などお話しました。次に長島愛生園に全国で唯1つあった高校「岡山県立邑久高校新良田教室」で講師経験のある三宅ヨが当時の体験を話し、最後には和泉市内の取り組みを紹介し、地元出身の近藤宏一さんの映像も見て頂いて終わりました。2回で150〜160人くらいの出席者でした。熱い中、お疲れ様です。
昔の卒業生が参加していて18年ぶりに再会するといううれしいハプニングもありました。ハンセン病問題に取り組んでいて幸せを感じる瞬間です。和泉市は近代俳句界に名の残る本田一杉(大阪市内城東区で医者)の弟子木下一路さんの故郷で和泉市役所前に自宅があったそうです。
木下一路さんも本田一杉と戦前から療養所を訪問していた方です。和泉市内で俳句の指導にも頑張られました。本田一杉は俳句の雑誌「鴫野」を刊行して療養所の方が投句した作品を掲載しました。紙の不足時代も続けたのです。「鴫野」は後に「雲海」となり、現在は堺市の田宮美千代さん(本田一杉の最年少の弟子に1945年になった方で女性は極めて少なかった)が1人で継続されています。雲海の句会には和泉市の方の参加が多いのです。長く続いて欲しいと願うところです。最後に木下一路さんの甥にあたる方が夜の研修のお世話役をされていてびっくり、地元の歴史に関わることは楽しいです。

5月21日、22日に名護市で開かれたハンセン病市民学会にメンバーが出かけました

2011年06月07日 23時12分45秒 | 日記
全体会のパネリストに登場した金城幸子さんは、かねてより「ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北」と交流の深い方です。念願だったハンセン病問題の取り組み方についての意見を堂々と述べられた。「ハンセン病であった私は幸せ」の著者だが、この本の行間に込められた数え切れない色々な思いを直接お聞きしてきましたが本当にたたかいの人生だったと思います。だから言えたと思うのです。いろんな障がい者の方々、HIV感染症、難病の方たちにエールを送り訴えられる「ハンセン病であった私だから皆さんと連帯できるし、ともに人権回復・人間らしい生き方を目指して歩みましょう。そのことを通してハンセン病問題の全面的解決もなされるのです」と。そして同じ回復者の皆さんには、「もういいのではないですか、思い切って表に出ましょう」と訴える。ここまでの彼女の道のりが平坦だったから言えることではないです。乗り越えてきたからいえることだと思います。手術を受けて自由に歩けるようになり再び元気に行動する金城さんを祝福したいです。
また、分科会Cの啓発部会で若い宜寿次政江ちゃんも和泉市のイベントに金城幸子さんと遠路来てくれました。HIVとハンセン病問題に演劇指導を通じて活動している彼女のパワーはすばらしい。若い人の活躍ぶりに接し、未来に希望を見出す思いでした。
それから和泉市での私たちのイベントにずっと協力してくれている関西退所者「いちょうの会」会長の宮良正吉さんは、本名を名乗って故郷八重山に帰りました。太田静男さんのハンセン病問題にかける情熱と時間をかけた下準備の結果です。感動でした。宮良さんの後輩だものね。

明石海人の足跡を訪ねたメンバーの報告:紀の川市の「打田・粉河」

2011年04月18日 09時39分16秒 | 日記
「よみがえる万葉歌人 明石海人」荒波力(新潮社)を読んでから打田の佐野病院のことが気になっていました。友人を誘って3人で出かけました。1927年から2年間明石海人が療養の為に住んだ地です。佐野病院の近くに部屋を借りて隔日に通ったと文中にあります。本の内容に従って、まず、今は無人のJR「打田駅」に着きました。そこで道を地元の商店の方にお聞きしてから、最初に東田中神社へ、それから道の反対側に出て森の中にあるというかつての佐野病院を目指す。病棟などはなくなっているが病院の診察室はそのまま残されていました。お住まいされているご夫妻からお話もお聞きし、佐野病院は110年前にできたが根来寺の宮大工の建てたという母屋もびくともしないそうです。古い建物を自力で維持されているのとハンセン病に対して差別心なく説明して下さったのには感動で温かいものが体の中を流れました。病院の前は旧大和街道、西国三十三番霊場を巡るハンセン病患者が行き来した道である。本の記述にそって歩いて行くと自然と明石海人が住んだ借家跡に出ることができた。静岡から妻が娘を連れて二度訪ねてきたそうである。次女が二度目の時には亡くなっていたという悲しいこともあったと・・・。打田を歩いていると明石海人がよみがえってきます。その後、荒川の桃源郷へ車を進め、あたり一面ピンクの風景に「来て良かった」と呟く。

昼食をとってから明石海人が買物に出かけた「粉河」に向かう。「粉河駅」に立つと「粉河寺」が真正面数百メートルの所に見えます。
  
明石海人が寄ったという本屋など「よみがえる万葉歌人 明石海人」を片手に確認しながらお寺に到着。桜満開だが平日で人は少ない。妻や幼い娘を連れて訪ねたという粉河寺は西国三番の大きな寺院。「粉河寺」という彼の随筆もあるらしい。牧水の歌碑「粉河寺遍路の衆のうち鳴らす鉦々きこゆ秋の樹の間に」がある。海人が親子で眺めた出現池も、趣が感じられた。ゆっくり散策して桜も眺め、次は明石の楽生病院跡を訪ねたいと思いながら途中で根来寺によってから帰阪した一日です。過去に海人の出身沼津商業高校の歌碑、同じく沼津の千本浜公園の歌碑、お墓もお参りしたことが思い出されてくる

堺市南区赤坂台の桜の名所:元「大阪府立福泉園」正門付近

2011年04月09日 18時36分51秒 | 日記
樹齢70年を超える桜の古木が立ち並ぶ赤坂台医療センターの上付近。今見事に満開となり、カメラを向けたり、ゆっくり眺めながら散策する人がいます。ここに、結核療養所があったことは知られているが大正末期に大阪にあったハンセン病療養所「外島保養院」の移転問題が持ち上がり苛烈な反対運動の結果立ち消えになったことを知る人は少ないのではないだろうか?当時結核の方が死亡率も高かったが、死亡率の低いハンセン病療養所は受け入れられなかったのだ。それが差別ということであろう。
        
これは結核療養所の名残りの土管の一部。
  

温かい・温かい交流

2011年04月01日 22時29分49秒 | 日記
先日、既に病気は癒えて長いのにハンセン病療養所で生活されている地元出身の方、その方の幼友達、今回の大地震の被災地から参加してくださった友人の回復者の方、私たちネットワークのメンバーは食事をしたり日帰り旅行をしたり、地元を案内したりの交流をしました。そして強く感じたことがあります。人間の社会性は療養所にいるかいないかで決まるのではないことです。すばらしいお二人でした。交流会で「ふるさと」を唄った時に自然と涙が流れ落ちました。まわりを見ると全員が涙を拭っておりました。熱い涙を流すという言葉がありますがその通りでした。幸せです。この困難な状況を友情を忘れないで生き抜いていきたいものです。私たちの活動紹介でした。

1月17日会議をしました

2011年01月20日 14時59分58秒 | 日記
個人で色々やっていることを報告しました。Iさんから中学校で実践をやった話、沖縄で金城幸子さんに初めてお会いしたこと、愛楽園を訪問した話が出されました。映画「ふたたび」の話も出たけど意外と知られてないことが多く見てない会員が多かったです。今年春には私たちの地元出身の方をお迎えしたいなあと計画を話し合いました。実現できるように頑張りますがブログには公表できない話です。考えれば私たちのやっていることは本当に地味です。