魅了されたもの・・・

戦争遺跡とか
航空機とか
廃とか

**記事のタイトルSUFFIXについて**

AやBのアルファベットは訪問日が異なる場合につけておりAがBより古い訪問日となっております。 1や2の数字はシリーズの記事になっておりますのでご覧になる時の参考になさって下さい。 何度も訪問した所はシリーズとしてカテゴリーに 纏め閲覧をし易くしました。

鹿島海軍航空隊B 汽罐場 煙突

2017-03-30 12:01:42 | 鹿島海軍航空隊ser.
鹿島海軍航空隊シリーズ
 F          ここ 2019年UL         
 E2         ここ 2019年UL
 E1         ここ 2019年UL  
 桟橋         ここ 2018年UL
 カタパルト基礎跡   ここ 2018年UL
 汽罐場 煙突     ここ 2017年UL
 第一兵舎洗面所便所2 ここ 2017年UL
 第一兵舎洗面所便所1 ここ 2017年UL
 兵員浴場用地下貯蔵庫 ここ 2017年UL
 定員??所      ここ 2017年UL
 本部庁舎       ここ 2017年UL
 洗濯干し場      ここ 2017年UL
 営門・衛兵詰所    ここ 2017年UL
 兵員浴場       ここ 2017年UL
 変電施設       ここ 2017年UL
 貯水槽        ここ 2017年UL
 自力発所(発電所)2 ここ 2017年UL
 自力発所(発電所)1 ここ 2017年UL
 ポンプ・貯蔵庫    ここ 2017年UL
 自動車庫       ここ 2017年UL
 汽罐場関連遺物2   ここ 2017年UL
 汽罐場関連遺物1   ここ 2017年UL
 汽罐場        ここ 2017年UL
 汽罐場 煙突     ここ 2017年UL
 汽罐場        ここ 2015年UL
 A3         ここ 2015年UL
 A2         ここ 2015年UL
 A1         ここ 2015年UL

昭和11年1月から建設が始まり、翌昭和12年に練習基地が完成し日中戦争たけなわの
時に練習航空隊として開隊されました。
昭和20年5月5日に練習航空隊の指定を解除され、鹿島北浦派遣隊となり鹿島航空隊と
呼ばれるようになりました。

航空戦における水上機の隊員教育及び施設計画の全容が現在も遺構として残存している点
と併せて、戦前から戦中における我が国の航空戦史上固有かつ重要な歴史的価値を有して
いる施設です。




**許可を得て撮影しています**

東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台A6

2017-03-28 06:26:28 | 戦争遺跡
元洲砲台として明治14年8月に起工し約3年の歳月をかけて築造されました。築造方法は
幅20~30メートルの外濠を掘り、海水を引き入れ砲台の整備とし、濠の砂を盛り崩れを
防ぐために外面を土で覆いました。
明治28年には東京湾要塞司令部が発足し、守備隊がおかれました。元洲砲台には歩兵中隊
446名が守備についたが、砲台は1弾も発射されることなく日露戦争には、1部攻城砲と
して旅順に送られたものもありました。大正4年9月には旧式として除籍されました。















色々な遺構

東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台A5

2017-03-26 18:38:25 | 戦争遺跡
元洲砲台として明治14年8月に起工し約3年の歳月をかけて築造されました。築造方法は
幅20~30メートルの外濠を掘り、海水を引き入れ砲台の整備とし、濠の砂を盛り崩れを
防ぐために外面を土で覆いました。
明治28年には東京湾要塞司令部が発足し、守備隊がおかれました。元洲砲台には歩兵中隊
446名が守備についたが、砲台は1弾も発射されることなく日露戦争には、1部攻城砲と
して旅順に送られたものもありました。大正4年9月には旧式として除籍されました。













砲座

東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台A4

2017-03-24 06:27:31 | 戦争遺跡
元洲砲台として明治14年8月に起工し約3年の歳月をかけて築造されました。築造方法は
幅20~30メートルの外濠を掘り、海水を引き入れ砲台の整備とし、濠の砂を盛り崩れを
防ぐために外面を土で覆いました。
明治28年には東京湾要塞司令部が発足し、守備隊がおかれました。元洲砲台には歩兵中隊
446名が守備についたが、砲台は1弾も発射されることなく日露戦争には、1部攻城砲と
して旅順に送られたものもありました。大正4年9月には旧式として除籍されました。









中央にある観測所?構造物上面に何か貼ってあるので
方位や位置を確認しているのだろうか?








左側にある同上の構造物。

東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台A3

2017-03-22 17:06:41 | 戦争遺跡
元洲砲台として明治14年8月に起工し約3年の歳月をかけて築造されました。築造方法は
幅20~30メートルの外濠を掘り、海水を引き入れ砲台の整備とし、濠の砂を盛り崩れを
防ぐために外面を土で覆いました。
明治28年には東京湾要塞司令部が発足し、守備隊がおかれました。元洲砲台には歩兵中隊
446名が守備についたが、砲台は1弾も発射されることなく日露戦争には、1部攻城砲と
して旅順に送られたものもありました。大正4年9月には旧式として除籍されました。









上部観測所