自然状態には、これを支配する一つの自然法があり、何人もそれに従わねばならぬ。この法たる理性は、それに聞こうとしさえするならば、すべての人類に、一切は平等かつ独立であるから、何人も他人の生命、健康、自由または財産を傷つけるべきではない、ということを教えるのである。
人間はすべて、唯一人の全智全能な創造主の作品であり、すべて、唯一人の主なる神の像であって、その命により、またその事業のため、この世に送られたものである。
自由とは、他人による制限および暴力から自由であることであるが、それは法のないところにはあり得ない。
そこで、人間の自由および自分の意志に従って行為する自由は、理性を彼がもっている、ということに基づいているといえる。
絶対的恣意的な権力、あるいは定まった恒常的な法なしに支配することは、すべて社会および政府の目的と両立しない。
それ故にたとえどんな形態を国家がとろうとも、支配権は、宣言承認された法によって支配すべきで、臨機の命令、不明瞭な決定によるべきでないのである。
もしその行為を指導是認するなんらの標準も定立されていないというのであれば、人類は自然状態におけるよりはるかに悪い状態におかれることになるに相違ない。
しかも立法権は、ある特定の目的のために行動する信託的権力に過ぎない。立法権がその与えられた信認に違背して行為したと人民が考えた場合には、立法権を排除または変更し得る最高権が依然としてなお人民の手残されているのである。
Salus populi suprema lex(公共の福祉は最高の法)というのは、たしかに公正かつ基本的な規則であるから、これを誠実に守る者は、危険な誤りに陥ることはあり得ないだろう。
国王ジェ-ムズ一世は、一六〇三年、国会での演説の中で、こういっている。
……国家の富と福祉を考えることが私の最大の幸せであり、この世における幸福である。
法の終わるところ、専制がはじまる。
解 説
ジョン・ロック(一六三二~一七〇四)は、イギリス経験主義哲学の祖として、十八世紀啓蒙主義の出発点立つ思想家であるが、とくに、その政治思想が近代的政治原理の基礎を築くために果たした役割は、大きい。
一七七六年、アメリカが、イギリスのきずなを断ち切って、自由と独立を世界に宣言したとき、それを理由づける文書、いわゆる独立宣言の中に、ロックの、とくに本書に現われた思想が、ほとんど文字通りに用いられたのは、当然であった。
*二〇一七年三月十四日抜粋終了。