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はじめての哲学

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抜粋 E・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』死とその過程について 中公文庫

2017年11月10日 | 宗教

死の五段階説
 第一段階/否認と孤立
 第二段階/怒り
 第三段階/取り引き
 第四段階/抑鬱
 第五段階/受容


 もし国民全体・社会全体が死を恐れ、死を認めないならば、破壊的な自衛手段に訴えざるを得ない。戦争、暴動、増加するいっぽうの殺人、その他の犯罪は、私たちが受容と尊厳をもって死を直視することができなくなった証拠かもしれない。私たちは個々の人間に立ち返り、一から出直して、自分自身の死について考え、むやみに恐れることなく、悲しいが避けることのできないこの出来事を直視する術を学ばねばならないだろう。


 H夫人はふいに私を見ると、感情にあふれた声で、叫ぶように言った。「なんてことを……夫はだれよりも誠実で信頼のおける人でした……」


 死が患者に大きな安堵感をもたらすときがくるなんて考えてもみなかったし、患者が人生の中で大切にしてきた家族や友人から少しづつ離れていけるようにすれば、患者自身は安らかに逝けるなどとは夢にも思わなかったのだ。


 今日という日はあるけれど、明日はないかもしれないのです。(G夫人)


 わずかな希望しか残されていないとしても、事実をきちんと説明されて、告知されれば、家族の者はそれほど動揺せずにすむのではないでしょうか。事実を受け入れると思います。


 より多くの人が、死とその過程を人生の本質的な過程のひとつと考え、妊娠・出産について話すのと同様に何のためらいもなく語り合うことができればいいのかもしれない。


 C夫人がおそらくいちばん言いたいのは、人の気持ちに敏感な、思いやりのある人が必要だということと、それらの人びとが患者の大きな支えとなるということであろう。


 患者 そうしたいと思っています。だれかの役にたてるなら、たとえ出歩いたり、たいしたことができなくても、喜んでそうします。あの……私は長生きするつもりですから、あと二、三回は面談を受けるでしょうね。(笑い)


 すると、その老人は怒りと嫌悪に満ちた目付きで私をにらんだ。医者ってもんは、病人が元気なうちは面倒見てくれるが、いざ死にそうになると逃げちまう。あんたもそうだろうが、と言った。


 自己防衛のために自分のまわりに張り巡らした高い柵を、だれかに破って欲しかったのだ。


 臨死患者のセラピストになることを経験すると、人類という大きな海の中でも一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。そしてその存在は有限であること、つまり寿命には限りがあることを改めて認識させられるのだ。七十歳を過ぎるまで生きられる人は多くないが、ほとんどの人はその短い時間の中でかけがえのない人生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。





*平成二十九年十一月九日抜粋終了。
*医師の無神経な言動は情けないというばかり。
*日本ではこの臨死はどうなっているのだろうか、まつたく別の仕組みがあるのだろうか。仏さまのところへ喜々として旅立っているのだろうか。または生まれ変わりに託するのか。
*父の死に際の言葉「よっちゃん、こえぇよう!」というのが忘れられない。方言「こえぇ」というのは疲労と恐怖との二重の意味を持つが、生活に追われて父に何もしてあげれなかったのがずっと悔やまれている。