芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

昭和天皇の最期の御製

2017年02月11日 | Weblog
東京新聞2月8日付夕刊の文化欄に歌人岡野弘彦が昭和天皇の和歌を添削したことを記している。それほど、昭和天皇から認められていたというのは、それはそれでいいが、文末で、「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならんとも」よりも「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」を結構ですと選歌したという。それから三ヵ月で崩御したのでこれがこの新聞の文章のタイトルが「終戦時の覚悟最期まで」としているようだ。この文章全体はこの歌に収斂している。ここで問題にしたいのは、この歌は、あたかも、民のために戦争終結を決定したかのようになっている点である。しかし、戦争を開始し、その最高司令官として、なぜもっと早く終結できなかったかという点に答えるべき歌が示されていない。米国兵の戦死が九万強であるのに対して、日本側は350万人の戦死で日本中の都市の空襲と広島、長崎の被爆死と沖縄戦の民間人の戦死を足せば、400万人ぐらいになるというこの彼我の戦死の数の違いは、国民の命を考慮していなかったことになる。それで、最期にこの歌でいいのであろうかと思わされるのだ。今上天皇は、その父親、昭和天皇の過誤の尻拭いをするために多くの日本人が戦死したところに参詣しているのが現実ではないか。
ごく最近キンドル本にした「恐るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと」の内容との関係しているので、気になった次第である。