芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

ボート部の佐藤芳之先輩を囲んで昼食会

2017年10月30日 | Weblog
以前、沖縄は日本のカタルーニャになると記したが、今日、JRPテレビで朝堂院大覚総裁がやはり、そうなると話していた。朝堂院大覚総裁は、若いころに沖縄に住んでいたことがあるから、それが実感として、よくわかるのであろう。
先週の木曜日、アフリカの佐藤芳之先輩を囲んで昼食会が新橋亭で開かれた。ボート部の先輩、同期、後輩が6人集まった。佐藤先輩は今や、アフリカの経済人としてばかりでなく、東京外語大、同志社などの大学や予備校で特別授業をしているという。
木曜日は訪問看護の日だが、休みにした。火曜日は訪問リハビリの日だったが、後期高齢者健康保険が3割という重い負担になったので、解約して、今は、週一回訪問看護である。

仙台一中・一高東京同窓会に出席

2017年10月22日 | Weblog
仙台一中・一高東京同窓会が新宿のハイアット・リージェンシー東京の桃山の間で開催された。この日は、久留米の温熱療法のクリニックを予約していたので、欠席にしていたが、直前になり、自由診療はいいのだが、私の理解していた料金とはかけ離れた料金を言われたことや、久留米のホテルが一ヵ月前から予約がいっぱいで取れず、博多のホテルもやっと取れたことなどで、飛行機運賃も高いしなどが重なり、取りやめにした。そこの細川医師が日本と韓国の医療は米国の支配下にあるという意見をユーチューブで話していたので、私の『怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと』でわたしが主張しているのと共通しているので、話をするのが楽しみであったが、10回か20回の温熱療法に通うのがかえって疲労でガンに障ることになるであろうと判断した。
同窓会は我々の卒業同期を白幡君が取りまとめていて、急きょ出席する私も含め3人だけだと言っていたが、実際には、予定の阿部幹男君が欠席になり、欠席予定の和久井康明君と宮地昭夫君とわたしの3人が出席簿に入っていないながら、出席したので、雨で欠席者もいるのを考慮しても出席予定の180人は達したものと思われる。出席予定に入っていない中に一中時代卒業で93歳の佐藤源貞氏が矍鑠と登壇して挨拶されていた。八木アンテナの八木秀次東北大教授の最後の教え子だと自慢しておられた。佐藤源貞氏はアンテナ技研株式会社の創立者名誉会長だ。
180人でも多いと思うのだが、学士会館で開催していたころは250名の出席者がいて、手狭になったので、このホテルに変えたら、減ってきたという。
男女共学になって最初の新制高校65回卒業生、磯村真綸のソプラノ、千葉友希のクラリネット、前田秀明の打楽器、友情出演の江本桂子のピアノによる記念演奏はプロとしてやっていける素晴らしいものであった。

最高裁判事の審査に首相個人の弁護士が紛れ込む

2017年10月18日 | Weblog
今回の投票に最高裁判事の審査があるが、JRPテレビで以前に朝堂院大覚総裁が、安倍首相の個人的弁護士が入れられていると言っていた。名前は忘れたが、ほかの候補がみな東大、京大の中で、一人、立教大学出身だと言っていたから、経歴を見ればわかる。
この人が最高裁長官になると、一審、二審での政権に不都合な判決は最高裁で全てひっくり返され逆転判決される。内閣人事局による、すべての高級役人の任命であるから、その自己保身の忖度でますます、政権の独裁化が進む。
創価大学出身者で法曹、警察関係を占めている公明党と自民党が圧勝の予報であるから、内閣人事局を廃止できる自浄作用のある党の進出はもう望めない。

追記、木澤克之と今日の新聞の折り込みに入っている広報で分かった。

浅草木馬亭で浅草21世紀の喜劇を見る

2017年10月14日 | Weblog
東京新聞の新聞代を払うともらえる只券で、浅草木馬亭で10月20日まで演じられている浅草21世紀の喜劇を見た。東京新聞の後援している出し物が結構多い中で、わざわざ、階段が多くて足元の不便な浅草駅まで行ってみる価値はある。大上こうじ座長が率いるこの喜劇は毎月演じられていて、もう20年にもなるという。入場券は買っても前売りが2,000円、当日が2,500円と安過ぎるくらいだ。お笑いの外に手品、歌謡曲などがある。これもかなり高度な出来である。観客は浅草の地元に近い人が多いようだが、雨の土曜日でもほぼ満席だった。ひいきに握りを渡す客も結構多い。会場で食べられるアンパンは100円で二つ。甘栗500円には中吉が入っていた。ビールはいくらかわからないが、お茶は200円で飲める。

年金を減らし、保険料を上げた党に入れません

2017年10月12日 | Weblog
選挙戦は始まったのかもしれないが、連呼が聞こえず静かである。年金が下げられ、健康保険料が上げられたので、これを改善すると言っている党に投票する。
前のブログで書いたように現政権は株価は上げている。21年ぶりの高値だとマスコミで宣伝させている。しかし、その上げる原資は、我々の下げられた年金を横領して買いまくっているのだから上がって当たり前であるが、選挙が終われば下がるのは目に見えている。そうすれば、また年金の原資は減り、年金をまた下げられる。
沖縄の個人の敷地でまた、米軍のヘリコプターが墜落炎上した。日米同盟は平等であるなどと、オバマ大統領もぬかしていたが、地位協定によって、日本は植民地化されている。自衛隊も警察も米軍の軍事力を補完しているにすぎない。だから、沖縄を馬鹿にする言葉を警察に吐かせるのだ。本来は、これも総選挙の争点にすべきであるが、これは、主張しすぎると、生命も含め当局につぶされるから、議論に載せるだけでもいい。改善がなければ、沖縄は日本のカタルーニャである。
原発もしかり。

インダス会会長にボート部のOB小室氏就任

2017年10月09日 | Weblog
去る土曜日のインダス会総会で、ボート部OBでもある小室洋三氏が会長に選ばれた。小室氏は、控えめな人だが、前会長の補佐をしていたときから実力があったので、前会長が辞める前に後事を託されて、すでに推薦されていたという。闘病中ではあるが、後輩である彼の力に多少ともなれればと考えている。

佐藤健一・編「江戸の寺子屋入門--算術を中心にとして」(研成社)を奨める

2017年10月08日 | Weblog
高価な歌舞伎を観る人がいるかわからないまま、昨日、申し込みがあれば、安く観られることをお知らせしたが、ほかに、お奨めの本があるので、読まれる方があれば、差し上げる。先日、福田さんの別宅に呼ばれ、おしゃべりをしてきたが、その前にお借りした本をお返しすると言ったら、返さなくていいとおっしゃるので、読んでみたい方があれば、佐藤健一・編「江戸の寺子屋入門--算術を中心にとして」(研成社)である。江戸時代の日本の教育水準がいかに高かったかが分かる内容だ。日頃、明治維新以後の日本が江戸時代より高い文化であるかのように刷り込まれた教育を受けたものとしては、目からうろこである。もっとも、これにかんしては、『怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと』で同様のことを書いてはいるが。

インダス会に出席

2017年10月07日 | Weblog
インダス会の総会と講演会が本郷三丁目の東京外国語大学サテライトで15:00から開催され、出席した。インダス会は、東京外国語大学のウルドゥー語、ヒンディー語、ベンガル語の卒業生の集まりだ。それぞれの助教授、教授、講師が参加した。
講演は第一三共株式会社の内田さんが「レジリエンス(Resilience)を築く――インドでしなやかに生きる――」という題で話された。第一三共が買収したランバクシ―や第一三共インドを清算してたたんでくるときのご苦労をしたのに柔軟に対応した内容である。彼が、わたしがインドにいたときとほとんど重なっていて、彼がデリーで主催したインド外語会にはよく出席したので、旧交を温めることができた。その後の懇親会は、帰りの電車が座れないであろうから欠席した。
10月1日から25日までの11時開演の歌舞伎座「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」がインダス会員に一等席18,000円が15,000円、2等席14000円が8000円になる優待券を販売される。この歌舞伎に外語がかかわったからであろう。

マハートマー・ガーンディー生誕祭

2017年10月04日 | Weblog
十月二日のマハートマー・ガーンディー生誕祭が日本山妙法寺九段道場で執り行われた。主催は、日印サルヴォダヤ交友会であるが、実際に取り仕切っているのは、日本山妙法寺である。この会との関わりは、インドのワルダにあるマハートマー・ガーンディー国際ヒンディー語大学で日本語を教えていた時に、そこでマハートマー・ガーンディーと藤井日達上人が出会ったのを記念して建てられた平和記念塔の建立記念祭に招かれた時からである。マハートマー・ガーンディーと藤井日達上人は非暴力・平和運動を推し進めることで共鳴し、日本山妙法寺の人たちは、その運動を沖縄をはじめ南アジア、東南アジア、米国、英国などに平和記念塔を建てて世界中で進めている。その道場が、戦争賛美の靖国神社の真後ろにあるのは実に皮肉である。
インド大使館の一等書記官のあいさつで始まり、香川大学の石井一也氏によるガーンディー主義経済学の講演で締めくくられた。いわば、アダムスミスとマルクスに始まる発展経済学を否定して自立共生を目指す、大胆な、身の丈の経済学の提唱である。

遠藤周作忌に出席

2017年10月02日 | Weblog
遠藤周作忌のご案内をもらったので、9月29日に如水会館で18:00から開かれた会に出た。毎年、ご案内は加藤氏から頂いていたが、田舎に引っ込んだことや、大震災に遭って避難したインドの大学で日本語教授をしていたことが重なり、十年ぶりぐらいの参加である。夜の会合には参加しないことにしているが、案の定、帰りの電車では座れなかった。みんな疲れて帰る人たちだから、優先席の近くに行っても若い人は立とうとしない。かといって、真ん前に立つのも気の毒である。
途中下車して休むこともなく、立ちっぱなしで帰れたということは、大分、神経が下半身に戻ってきているのかもしれない。
ひと昔ということであるから、浦島太郎よろしく、知っている顔はあっても、お名前が思い出せない。90歳代の加賀乙彦氏がやはり久しぶりで参加だというが、面識がある程度で話しかけても仕方ない。料理も以前と同様、早々になくなったので、昔、遠藤宅で働いておられたお手伝いさんに挨拶して19時に辞した。