航空気象通報

ウインドサーファーのための航空気象通報による風予報です。

元文部科学省事務次官 前川喜平氏 講演会 ~学術会議任命拒否問題を斬る~

2020年12月10日 22時33分34秒 | Diary


2020年12月8日の午後2時から逗子文化プラザなぎさホールで元文部科学省事務次官 前川喜平氏の講演会があったので聞いてきました。講演内容が興味深かったのでメモを取りました。メモを見ながら記憶で書いているので間違いとかがあるかもしれませんが、講演内容を記載してみました。

元文部科学省事務次官 前川喜平氏 講演会
~学術会議任命拒否問題を斬る~

今回の「学術会議任命拒否問題を斬る」というタイトルはやや物騒だが、私が考えたのではなくて、主催者のほうからこのタイトルで、ということで要望を受けたものです。

日本学術会議任命拒否問題は降ってわいた話ではない。これまでの一連の官僚人事私物化の流れが有って、「とうとうここまで来たか」というのが実感である。アメリカ型は官僚は政治任用で政権が変わると入れ替わる。イギリスは政権が変わっても官僚は入れ替わらず政治中立である。従来の日本はイギリス型であったが、最近は政治任用型になっている。小泉政権の頃から官邸主導ということが言われている。ただ、小泉政権の頃の「官邸主導」というのは、小泉純一郎のカリスマによる官邸主導であった。安倍・菅政権では官邸の組織が肥大化して、官邸に居る官僚が、各省庁の専門性を無視して、全省庁へ命令する体制となっている。

官僚組織として独立性が必要な組織がある。例えば内閣法制局、人事院、警察、検察。内閣法制局は内閣府の組織だが一定の独立性を持ってきた。法制局長官は従前は内部から登用するということで、内閣から独立を保ってきた。法制局は「集団的自衛権は憲法違反」と一貫して解釈してきた。しかし、安倍政権で安保法制に賛成する外務官僚を外部登用して、集団的自衛権の憲法解釈を変更させた。人事院はずっと検事の定年は60才で延長無し、と言って来たのに、定年延長できると解釈変更させた。伊藤しおりさんレイプ事件、山口某は民事裁判でレイプ事実が認定された一方、刑事では起訴も逮捕もされていない。警察庁の中村格氏が逮捕を中止させている。検察人事の私物化は黒川検事長の「掛けマージャン」で挫折したが。

ところで、「掛けないマージャン」って有ります?(笑)。 掛けマージャンぐらい誰でもやってる。世の中にはグレーゾーンがあって、まあ法律違反だけどこの程度は、というのが有る。私のうがった見方だが、黒川さん、検事総長になりたくなかったから、わざと掛けマージャンをリークしたのではないかな。掛けマージャン程度だと、たぶん犯罪には問われないけど検事総長候補からは降ろされるだろうから。政権べったりで検事総長になったら、検事仲間の世界でバカにされて白い目で見られるからね。

黒川さんが降りて、本命の林さんが検事総長になったけど、2人ともよく知ってます。黒川さんは人が良いので、どうしても政治圧力に弱い。林さんはそれほど人が良くないが、じっくり考えて結論出す人。検事総長は林さんのほうが適任と思う。

意見を言う官僚は人事で追い出すようになり、忖度官僚ばかりになった。本来は官僚の意見を聞いた上で政治が判断すべきだが、都合の悪い意見は聞かなくなった。ふるさと納税は税制をゆがめるという意見を言った総務省の官僚はパージされた。

逆に政権に気に入られると定年延長してまで任命してもらえる。今の文科省の藤原まこと事務次官、文部審議官のときの定年60才を延長して居残って事務次官に就任、事務次官の62才定年も延長。

こういった官邸の官僚人事は菅官房長官一人でできるわけではない。杉田かずひろ官房副長官が霞が関の官僚人事情報を吸い上げて人選している。この人は警察官僚。

内閣には日本のCIAと言われる内閣情報調査室と公安警察がある。普通の警察は悪いことをした人を捕まえる組織だが、公安警察は悪いことをしそうな人を見つけて防止する組織。”悪いことをしそうな人”というのは恣意的であり、危ない組織である。

文化功労者は文科省に指名権があるが、閣議にかけるので形式的に官邸に説明することになっている。文科省の指名に異論が入るとは思わなかったが、2016年に官邸に説明に行ったとき、杉田官房副長官に「この2人差し替えろ。事前に文科省で人物を見定めてから持って来い」と文句言われた。この2人は安保法制と政権批判をした人だった。官邸から異論が入ったのに文科大臣もおかしいと首かしげ。

こういう人事のやり方の延長線上に今回の日本学術会議任命拒否がある。審議会の委員とかなら、極端な話、安倍総理のお友達ばかり指名しても、道義的には問題だが違法ではない。例えば、教育再生実行会議の委員は安倍・下村のお友達ばかりだった。日本学術会議の指名権は内閣には無い。

今や官邸が国会もコントロール。小選挙区制の下で、公認権をたてに自民党総裁の一強独裁体制となっている。総裁に逆らえば公認権を貰えない。安倍批判した広島の溝手元議員がみせしめ。溝手には選挙資金1500万円、河井杏里には1億5000万円。異論が有っても飲み込むというかつての自民党では無くなり、批判を許さない政党になっている。

裁判所も支配している。最高裁判所の裁判官は全て安倍政権下で任命された裁判官になった。かつて内閣は推薦された裁判官をそのまま任命していたが、今は口出しをするようになった。これでは内閣に都合の良い判決しか出なくなる。最高裁は下級審の人事も司る。下級審の裁判官で出世したければ国が負ける判決は書けなくなった。

メディアも支配。Y新聞はメディアとも思ってません。

この支配構造が科学技術にも及んだのが、日本学術会議問題。ここからは私の推測だが、日本学術会議から推薦名簿が官房副長官に届けられる。副長官は名簿全員の調査を内閣情報調査室に依頼。調査結果が副長官に届く。副長官はこの中で「質が悪く影響力のある人物」を選んで名簿から外す。9月20日頃に105人からこの6名を外す決定を菅総理に説明したと想定される。ここからは決裁文書で分かっている事実だが、9月24日に99名任命の決裁文書が起案され、9月28日に菅総理が決裁している。菅のハンコが押されている決裁文書が残っている。こういう証拠を残すために、ハンコは廃止しないほうが良い(笑)。

日本学術会議は第4権としての国家機関である。6名任命拒否は日本学術会議の組織への攻撃であり、6人の学者への攻撃でもある。日本学術会議は内閣府の「所轄」とされている。文科省の下に無いのは、文科省にもモノ申せる立場にするため。「所轄」とは内閣府は口を出せないという意味の法律用語である。口をはさめるなら法律用語で「監督」という。

組織の独立には人事の独立が必須である。日本学術会議法では「選考権」は学術会議にある。選考の基準は「優れた研究業績」のみ。日本学術会議法の文面で「推薦に基づいて」とあるのは、「推薦の通り」という意味である。憲法で「国会の指名に基づいて天皇は内閣総理大臣を任命する」という文面を見れば明らか。天皇が好き勝手に任命してよいなら、前の天皇なら「安倍総理は任命したくない。」と言いたかっただろう。

次に人に対する攻撃。6人に不利益を与えた。政権批判が本当の理由で任命しなかったのに、いろいろ屁理屈をこねた。総合的俯瞰的とか、旧帝大に偏っているとか。でも6人のうち3人は私立大学なんだけど。デマも多く流された。自民党長島議員「学術会議委員になれば自動的に学士院会員になって終身年金がもらえる」というデマ。学術会議委員と学士院会員は全く別選考。自民党甘利議員「日本学術会議が中国1000人計画に関与している」というデマを流した。「辞める委員が自分の後任を選んでいる。」というデマも。委員は全会員で選んでいるのが本当。自民党下村議員「学術会議は答申を出していない、役に立ってない。」というデマ。答申を出していないのは事実だが、これは政府が学術会議に対して「諮問」を出していないから。そもそも諮問が無いと、それに対する答申は書けない。

菅さんが6人の任命を復活させる可能性もある。「意地を張らないほうが良い」と誰がが助言したらそうなる。任命拒否で学術会議を壊していくのはまどろっこしい。日本学術会議法を改正したほうが手っ取り早い。安倍・菅に取っては日本学術会議は「軍事目的の研究は行わない」という目の上のたんこぶであり、無くしたい組織。防衛省が安全保障研究資金を付けた。最初の年は3億円、次の年は6億円だが、その次は一挙に110億円になった。でも手を上げる大学が少ない。前の学術会議議長の大西さんは「防衛目的の研究なら良いのでは」と前向きだった。ただ、防衛と攻撃は表裏一体であり区別は難しいのではないか。日本学術会議自体の改革は彼らが自らやるべきことであり、政府がやらせるべきではない。今の委員長の梶田さんは学者として誠実な人だけど頼りない。

学術は真理を追究するもので経済活動とは結び付かないもので、科学技術は役に立つものという違いがある。宇宙関係でも文部省系の宇宙科学研究所が学術として研究し、科学技術庁系のNASDAが実用開発を行って来た。今回のはやぶさ2は旧宇宙科学研究所の成果だ。カミオカンデでニュートリノ発見しても、ニュートリノなんて何の役にも立たない。あくまで真理の追究だ。省庁再編で科学技術庁が文部省に飲み込まれると言って科学技術庁の官僚が懸念したが、文部省側は真理の追究という学術が科学技術に飲み込まれると恐れた。
文部科学省の中の名称は未だに「科学技術・学術」を使っている。ところが、英語名称だとこの2つが曖昧になり、”Council of Science and Technology Policy”とかいう名称になる。安倍政権になってPolicyがInnovationに変わって、”Council of Science and Technology Innovation”となっており、実用志向が強まった。ちなみに、学術はScienceと訳され、学術会議はScience Councilという。この底流にあるのは「国(政権)の役に立つ学問が良い学問」という考え方だ。

日本学術会議を国家機関から外そうとする動きがある。この動きに無関心でいるべきではない。ある教会関係者が言った言葉がある。「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではないから。ナチスが社会主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は社会主義者ではないから。ナチスが労働組合を攻撃したときも声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。ナチスがユダヤ人を攻撃したときも声を上げなかった。私はユダヤ人ではないから。でもナチスが私を攻撃したとき、誰も声を上げてくれなかった。」 こういったことは既に日本各地で起こっている。愛知トリエンナーレとか、北海道の安倍首相演説での安倍ヤメロ排除とか。安倍ヤメロを叫んだ人は令状無しに身体拘束された。

日本国憲法第12条では「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とある。自由を守るという不断の努力が必要だということを教育で教えないといけないと思う。ところが、今は、権力者に従順な人間を作ろうという道徳教育がなされている。道徳の教科書に「失われた自由」という話が載っている。ルールを無視して好き勝手放題した王子様が後で懲らしめられるという話。この教科書では「自由」は「わがまま」と同義語として教えている。権力者に従っておけば自分に取って安全で都合が良いと思わせ、自発的隷従を強いている。

この会場に来られている方々は政治に関心があり、様々な政権のウソも見破る能力のある方々かと思いますが、会場の外には政治に無関心、かつ、自分で考えない人たちが沢山います。そういった人たちに今日の話を是非広めて頂きたい。但し、これが正しいんだという「上から目線」で話をすると聞いてもらえない。無関心な人たちには疑問形で話をすると効果的。例えば、「新型コロナ流行で大変なのに、なんでGo To止めへんのやろか。」とか。疑問形で言われると、無関心な人が自分で考えてみようとする。多くの人に疑問を持ってもらうことが有効だ。疑問を持つということが”学ぶ”という活動なのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。