おぉ!?と思う本の日記

私、ギャーがなんとなくニオう本の感想をダラダラ更新します

家守綺譚

2008-08-14 15:32:09 | 梨木 香歩
梨木 香歩著 (新潮文庫) 『家守綺譚』
 内容:それはついこの間、ほんの百年前の物語。サルスベリの木に惚れられたり、飼い犬は河童と懇意になったり、庭のはずれにマリア様がお出ましになったり、散りぎわの桜が暇乞いに来たり。と、いった次第のこれは、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねている新米知識人の「私」と天地自然の「気」たちとの、のびやかな交歓の記録――。

文庫の装丁も好きだけど、こちらのハードカバーの装丁はお気に入り♪私が持ってるのは文庫ですが、本屋に行ってハードカバー版を見るとウットリしちゃいます(笑)なんか梨木氏の作品はハードカバーの装丁は純和風っぽくて魅力的なのですが、文庫になると普通っぽくなってしまうのが残念だ。是非、ハードカバーそのままの装丁で文庫になって欲しいなぁと思っています。 
 えっと。このタイトル『家守綺譚』もそうなんだけど、あらすじに書いてある それはついこの間、ほんの百年前の物語。 のフレーズにガッツリ惹かれました(笑)なんか美しいじゃぁありませんか(^^)

綿貫征四郎は、大学のボート部で一緒だった高堂の両親から、田舎に越すからこの家に住んで欲しい と言われることから物語は始まります。
 (高堂は大学のボード部の合宿中に行方しれずとなり、ボートは見つかったが高堂の遺体はとうとう上がってこなかったのです。)
 定職を持たず、学校の英語の臨時教師をやっていたが、物書きになるために高堂家に住むのをきっかけに辞めてしまいます。  100年前を舞台にした物語。何故か懐かしい気持ちになって、家に一人でいる時に繰り返して読みたくなる本です。
 まだ私たち人間と、自然の「気」の距離がそんなに離れていない時代の話。ついこないだまで、私達は異世界のモノと共存していた。だから百日紅に恋をされたり桜が散り際に暇乞いをしにきても あぁ、そうなの ぐらいのリアクションしかなく、ただただのんびりと季節の中を時間を送る主人公達。
 なんかイイッ!!と思った綿貫と高堂の会話↓↓(綿貫が百日紅に惚れられて悩む場面)

――木に惚れられたのは初めてだ。

――木には、は余計だろう。惚れられたのは初めてだ、だけで十分だろう。
高堂は生前と変わらぬ口調でからかった。
――どうしたらいいのだ。

――どうしたいのだ。



(綿貫が寝ている最中に高堂が帰る場面)

高堂は立ち上がり、歩いていった。掛け軸の向こうで帰る音がしている。

――また来るな?

私は追いかけるように寝床から声を上げ、念を押した
――また来るよ。

サルスベリから恋い慕われ、庭の池に人魚が泳ぎ、抜け殻を返して欲しいと河童が家にやってくる。死んだはずの友人も雨にまぎれて掛け軸に描かれた湖からボートをこいで現れる。それら全てが自然なこととして描かれ、主人公もそれをあっさりと受け入れる。何の前触れもないけど、まるで居て当たり前、という描き方がとても魅力的だった。 微笑ましくもありますよ(^^)
 最後の話で、綿貫は夢を見ます。幻想の住人から「我々の側に来ないか?」と誘いを受けます。しかし綿貫は考えた後、友人の家を守らなければならないから、と断ります。ここで改めて『家守綺譚』という本の題名の意味が分かります。__友人の家を守らなければならないから。。つまり、【友人が還ってくる場所】を守らなければ ということなんでしょう。

綿貫はゴロー(犬)を飼い始めるのですが、それは高堂が勧めたから。結果的に隣りの奥さんからゴローと自分の分のお裾分けをしょっちゅう頂くことになるのですが、ゴローという名前は隣りの奥さんが昔飼っていて高堂も可愛がっていた犬の名前。
綿貫は そうか。高堂は犬を飼ってみたかったんだな。。  と思い至る訳です。 多分それもあるんでしょうが、高堂は、いつも側に居られない自分の代わりをゴローにお願いしたのでしょう。高堂の飄々とした態度とは裏腹に、大学時代からの友人綿貫をとても大切に思っている事が文章中から窺えるような気がしました。

 これは、、、ウットリするぐらいの恋愛小説です(笑) 邪推や妄想なんかしなくても充分に×▲□な逸品(*^^*)