日本人は宗教に関して本当に関心がない。
というか、多いに関心があるのかもしれない。
何かというと神社にお参りに行ったり、
お寺に行くと仏像に感心したり・・・
一体「神道」なのか「仏教」なのか分からないのが日本人。
でも「あなたは何教ですか?」と言われたら、
多くの人は多分家の仏壇を思い浮かべて「仏教?」とクエスチョンマーク!!
本当は宗教に頼って生きている人のほうが少ないと思う。
私はずっとここでも書いているようにクリスチャンだけど、
あるとき「ムスリムに重荷はない?」と聞かれたことがある。
「重荷」とは教会で言うところの「関心」とか「特別な思い」のこと。
私は特にイスラムの人に対して何も思うところはない。
でもその問いかけは「イスラム教からキリスト教への改宗」を祈る。
そういう提案だった。
私はアフリカとかの未開の地で、
変な呪術者とか魔術とかを信じている人達には、
キリスト教を宣教したいと思っている。
そういう土着の慣習みたいなものは、
得てして非常時に何の役にも立たないからだ。
悪くすると呪術者に病気の治療も受けさせてもらえなくて、
殺されてしまう怖れもある。
しかしイスラム教は世界でキリスト教に次いで2番目に教徒の多い宗教だ。
それを信じているにはその人なりの信念があるだろうし、
それは私がキリスト教を信じているのと同じ「神さまの召し」なのだ。
そんなムスリムの人達を改宗させることが、
キリスト教徒として正しいのだろうか?
イスラム教、仏教、ヒンズー教そしてキリスト教。
それぞれ真剣にそれぞれの神さまを信じている人に、
「それは邪教だ」「改宗しよう」などと口が裂けても言えない。
それをキリスト教で「宣教」と言うのだろうか?
まぁ、世界中がキリスト教になるなんてあり得ないのだけど、
日本でキリスト教徒が人口の10%になるわけでもないって、
初めから諦めるのもどうかと思うけれど、
人には人の信条というものもあるのだから、
無理強いはいけないな・・・・
「伝道」と「宣教」が「押しつけ」になってはいけないと思う。
宗教を信じるも信じないも日本国民にはその自由がある。
くぅ