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夢の途中

空に真赤な雲のいろ。
玻璃に真赤な酒の色。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。

靖国神社の遊就館をのぞいてみた

2006-04-15 | 随想
桜が散りかかる折に、靖国神社に出かけた。
花見がてら、いま問題となっている靖国神社参拝問題に関連して、見ておきたいものがあったのだ。神社内にある遊就館である。

遊就館には子どものころに夢中だった「ゼロ戦」の、最後の型式である52型が陳列されている。
ゼロ戦と並んでニッポン海軍の名機だった、複座の艦上爆撃機「彗星」もある。これはかなり大きい。
それに、空の特攻機「桜花」に、海の特攻艇「回天」。さらに戦車やカノン砲などの武器の数々・・・・。
館内の入り口の自動販売機で入場券800円を買ったら、指が販売機の口に触れて鋭い静電気が起き、瞬間、指を引っ込めた。悪い予感のようだった。

遊就館は、幕末から維新にかけての内戦と、日清・日露から第二次大戦までの諸外国との戦争の資料を展示した、言わば戦争博物館または軍事資料館である。
もちろん単なる展示ではない。
日本がなぜどのように諸外国と戦争してきたかを、時代ごとエポックごとに戦史として分かりやすく詳細に解説してある。
当然そこには一定の視点というものがある。結論から言えば、僕にはそうした視点、解説の方法つまり思想が馴染めなかった。

その理由はおおまかに3つにまとめられる。

ひとつ。
まず館内のあちこちから、突然パチンコ屋に入ったかと思えるような「軍艦マーチ」が響きわたる。
あるいは「海行かば」の荘重なコーラスが流れてきて、コーナーにある大型モニターや壁面一杯に、こうした軍歌と往時の戦意高揚のためのビデオがガンガンと鳴り、映される。
まさにタイムスリップして一挙に時間がさかのぼる。時代を意図的に戻している。ビデオはみな戦勝を讃えるものばかりなので、気分が高揚してくる。
それらを見ていると、あることに気づく。
威勢のいいシーンばかりで、敵味方を問わず累々戦死者の映像であるとか、戦争の負の面である悲惨な状況を伝えるものは、まず出てこない。大本営発表の時代と同じように、見たくないし、見せたくないのだろう。

もうひとつ。
それぞれの局面で紛争や攻撃がなぜ起こったのかを説明する記述がある。
思い出せばこんな記述である・・・・往時の遼東半島沖を航海する我が艦艇に「凶徒」が砲弾を打ち込んできたがため止む無く我が軍は・・・・また、台湾に漂着した我が多くの同胞が現地の○×族に惨殺されたがゆえに・・・・・などという、甚だこちら側からの一方的な説明がなされている。

遼東半島沖を航海すると言ったって、それは領海侵犯してのことだろうとか、
「凶徒」とは、それは日本からの侵攻を守ろうとするかの国の軍隊でしょとか、
また、なんの理由で台湾に多くの同胞が漂着なんぞしたのか知らぬが、
大昔の冒険小説に出てくるような野蛮な未開人でもあるまいし、
漂着しただけで台湾人が日本人を「惨殺」するなどということがあるのかとか、
現在のわれわれの通常の想像力をもってすれば、それらがいかに一方的意図的な理由をしか語っていないかが容易に察せられる。

さらにひとつ。
標本として軍服や刀剣、武器とともに陳列されている軍人たちはみな、これらの戦争を遂行し闘った(そして一部は生き残って「戦犯」とされた)名高い将校ばかりであること。
つまりは、「英雄」であり「軍神」と讃えられたような人たちばかりである。
出口付近には、夥しい写真のパネルが、まさにおまけのように展示されていた。
戦没した軍人の顔写真が、沖縄の戦没者の名前を刻んだ慰霊碑 「平和の礎」のごとく、“慰霊”されているのだ。
沖縄の場合は国籍も軍も民も問わない、まさに慰霊のための碑であるが、ここで展示されている方々の名前をつぶさに見てみると、みな軍人でしかも下士官以上であり、無名の一兵卒の遺影すら認められなかった。

それなら遊就館では、敗戦を決定づけた沖縄の、そして広島・長崎の悲惨さについて、何がどう語られているのか?
無名の何十万人もの民間人と兵隊が犠牲になったこの事実を、どのように展示し説明しているのか?

ここでは、そうした悲惨さについてはほとんど語られていない。
つまり、戦争の表の部分だけ勇ましく都合のよい論理で紹介してはいるが、裏面の暗部に刻み込まれた取り返しようのない悲惨さの事実は無視されている。
まさに、戦争というものの一面しか伝えていない。

実際に来てみて、僕には遊就館という戦争博物館の性格がはっきりわかった。
もちろん一博物館として、遊就館がどんな思想でどんな方法で公開しようとまったく自由である。
戦争を賛美しようと批判しようと、自らの意思で個人や団体が表現することを妨げる理由はない。
ただし、もし国家がこれにお墨付きを与えるようなことになると、ちと話が違ってくるだろう。

靖国神社そのものは、戦前から国の“英霊”を祀った神社として知られている。
戦後になってそれを支えてきた国体が崩壊し、それでなお一宗教団体として一部の人たちの意思に支持され存在し続けてきた。そういう人たちもいるだろう。
しかしいま、このような遊就館の存在を含めて考えると、靖国神社はまた違ったイメージで浮き上がってくる。
現小泉政権がさかんに主張するように、果たして靖国神社は「追悼」の施設であるのだろうかという疑問が湧きあがってくる。
どれほど「追悼」という言葉を使おうと、現実にここで訴えられているのは「顕彰」であり、むしろ「賛美」というものに思えるのだ。
だから、この神社に少しでも政治性を介入させようとすると、明らかに問題がでてくるだろう。
なぜなら、ここでは戦争そのものが現時点で相対化されておらず、資料館としても客観性に乏しいからである。
ここには一部の軍人を祭り上げようとする主張はあっても、戦争の犠牲者への「追悼」を感じさせる願いや精神を感じ取ることができない。

もし遊就館をまだ見学していなければ、一度行ってみることをお勧めしたい。
いろいろ考えることはあると思う。

ところで、出口近くに特攻の人間魚雷「回天」が陳列されている。
大きな鋼鉄円筒製の全長15メートルくらいの魚雷の中ほどに、
人がもぐれるほどの狭い穴がくりぬかれ、そこに小さな潜望鏡と操縦桿がついていて、
戦士は座ったまま操縦し、敵艦に体当たりする。
必ず果てるための、まさに鉄の棺おけである。

無残だなあと見ていたら、「これ回転するんか?」とおばちゃんの声が聞こえた。
ずいぶん寒い冗談だなあと見返したら、いかにも地方からやってきたというような老夫婦が、
横で首を伸ばして、説明プレートを覗き込んでいた。
「バカ、これ人間魚雷だべえ」と夫。「ふーん」と妻。
そんな会話を交わしてふたりはさっさとその場を離れた。
ふたりとも、いかにも戦中生まれの夫婦にみえるのだったが・・・・。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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これじゃあ、いわれちゃいますよね。 (Map)
2006-05-09 15:13:52
中国や韓国からいわれちゃいますよね。これじゃあ。「無名戦士」がまつられていて、そちらが主体でその端にA級戦犯が混じっているようなことではないんだし。

国家の元首なら、名もなく命令で戦争に行ってなくなった方々、特攻隊の少年たち、人間魚雷で亡くなった人々、終戦の3日前とかに戦争に行かされて亡くなられた人々とか、この方々にこそお家の仏壇でいいから手を合わせて「もう二度とこういう無念な思いで亡くなる人はだしません」とお誓いしてほしい。
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まさにそうなんです。 (春眠)
2006-05-10 23:51:05
ホンに誓ってほしい。

その時代を過ぎて、それこそ「おめおめと生き延びた」連中が、それをこそやる資格があるはず。が、現実はそうでない。
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