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黒栂とはどこか(地元の認識と山地図の世界)
「黒栂の水銀鉱山」で、共通語のつもりで黒栂と書きました。
山地図はしばしば、地名の引用誤りがあります。黒栂に係わる地名としてカトラがあります。
人気コースである(山地図の)カトラ谷は、黒栂谷と標高700m付近で谷を分けています。この山地図のカトラ(南東向きの谷部分)は地元での地名は黒栂となっており、地元では黒栂の右股といわないと通じない可能性があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/ec/204ea38aa5d9b4268ad7570acba87090.jpg)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
上図の小字境界線は厳密な描写ではありませんのでご了承ください。
(地名の)カトラは
根来春樹さんは以前から「カトラ」は上記のような問題があるが、長年定着しすぎているために、山の世界で混乱を避けるため訂正しないようにしてきたと聞いていました。
(地元に人家がないので影響は少ない?)
仲西氏の時代の地図は、(地名の)カトラの位置に誤ってカマ谷と記載されていたので、根来地図(~2002)では一つ西の谷筋に釜谷と記していました。最近の市販地図はまた昔の誤りに戻っちゃったみたいです。
さて、「黒栂の水銀鉱山」とはどの範囲でしょうか。
Copyright (C) 2005 gouyuukai ALL Rights Reserved 金剛山剛友会
黒栂とはどこか(地元の認識と山地図の世界)
「黒栂の水銀鉱山」で、共通語のつもりで黒栂と書きました。
山地図はしばしば、地名の引用誤りがあります。黒栂に係わる地名としてカトラがあります。
人気コースである(山地図の)カトラ谷は、黒栂谷と標高700m付近で谷を分けています。この山地図のカトラ(南東向きの谷部分)は地元での地名は黒栂となっており、地元では黒栂の右股といわないと通じない可能性があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/ec/204ea38aa5d9b4268ad7570acba87090.jpg)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
上図の小字境界線は厳密な描写ではありませんのでご了承ください。
(地名の)カトラは
金剛山登山道情報「黒とが谷(セト)ルート7番目写真:と紹介されている、橋を渡った後の東向きの谷の左右の斜面に概ね該当しています。
金剛山山頂・セト方面はこの橋を渡って左に行きます。
(直進して左側の尾根にとりつくと「二人道」)
根来春樹さんは以前から「カトラ」は上記のような問題があるが、長年定着しすぎているために、山の世界で混乱を避けるため訂正しないようにしてきたと聞いていました。
(地元に人家がないので影響は少ない?)
仲西氏の時代の地図は、(地名の)カトラの位置に誤ってカマ谷と記載されていたので、根来地図(~2002)では一つ西の谷筋に釜谷と記していました。最近の市販地図はまた昔の誤りに戻っちゃったみたいです。
さて、「黒栂の水銀鉱山」とはどの範囲でしょうか。
Copyright (C) 2005 gouyuukai ALL Rights Reserved 金剛山剛友会
今カトラ谷と呼んでいる所含めて
怪しげな所がたくさんあります。
さりげなく石垣が積んであるところもあれば
中州のように見えて・・・・
気にはなっています。
でも、トトロが出てくると怖いのでまだ探検していません
以前、千早赤阪村誌の小字地図を見た折、上掲の地図に「黒栂」と示されている領域に「黒梅」と記載されているのをみて、なんらかの表記の誤りがあってそれががずっーと続いて、結果、定着してしまったのかなぁとぼんやりとかんがえておりました。
また、そもそも小字地図をつくるときに、まちがえたのかも、とも考えました。
しかし、どうもそうではないよう。
以下は、単なる意見です。
すなわち、千早の集落を流れる千早川に注ぐ川の名称が、「黒栂川」で、この黒栂川が流れる谷が「黒栂谷」ということで、特に、特定の地名等に由来するものでない、と思っております。
なお、根拠は薄弱ですが、千早赤阪村観光協会の辞典に掲示の事項からです。また、実際の黒栂川のところ ("まつまさ"を下ったところの右側)に立っている公式の看板に、「クロトガは、・・・・・」の説明よりこのように考えるようになりました。
これは書き癖で黒栂と信じて疑っても居ませんでした。
・妙見谷エリアも「妙見」とする「ふるさと千早P12小字地図」→「明見」とする小字地図もあり悩ましい部分を残します。他に
「赤シバ」→「赤芝」、「風呂谷」→「風呂の谷」、「くるき坂」→「クルキ阪」、「ホトラ坂」→「ホトラ阪」「みざ坂、またはみさ坂」→「 」
の様に表記にゆれが入っている可能性を感じたり、欠落?と思ったり。
・また千早から久留野峠に至る部分は「栗の峠」だったりするので訛りが表記の差なのかと思ったり、
知れば知ったで新たな課題が出てきます。
前提書きが有ったと思いますが、小字地図作成の昭和55年時点で地元を丹念に取材され最善を尽くして作成された資料なので、あそらく現代の我々は村史の「小字地図」を正として扱うべきなのでしょうね。
ご教示の掲示の確認を含め「黒梅」も、もう少し関心を持ち続けようと思います。コメントありがとうございました。
その義理の父が、久留野峠のあたりは「くりの」と呼ぶと言ってましたよ。
職人さんに逆らうとこわいので「はい」と返事して
五條側の久留野峠に通じるルートのファイルネームもkurinoにしてあります。
地元の方に色々教えていただけるといいですね。