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小和道地図は一枚に収まらないので二つに分けています。
上部(石寺跡など)はこちらです。
小和道山麓部分の拡大ルート図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b9/77ce6168fdb6fe17176d466ecb819c81.jpg)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
北宇智、住川から小和を経て水野ルート
天ケ滝新道と道を分けるあたりからの登りは2万5千図ではごちゃごちゃし過ぎて分かりにくいので書いてみました。
小和道がよく分かるよう小和道町石位置も示しました。
小和道でも何でもない見慣れないへんな形のルートを小和道(天が滝道)と記した2003年以降の市販地図も5年間訂正の気配も有りません。
また、歴史有る小和道の名称を付け替えさせようという意図で、2004年、金剛山登山道情報の掲示板が悪質な掲示板荒らしの攻撃対象になった地域でもあります。
以下は上記地図や地図上の番号と対応させてルートの部分を説明しています。
道標のある橋のたもと(地図の1) 水野への橋(地図の2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/cb/c532cfa0e18bafaa28d55ab15b1f18e0.jpg)
(橋は渡らず道標の道を) <-230m-> (今度は橋を渡ります。直進すると天ケ滝新道。)
(左の写真で2003年以降の市販地図は橋を渡らせています。昔はこっちが小和道だったようですが、07/11現在ブッシュで通過不能、引き返しました。)
3.分岐の六町石 付近の眺望(クリックすると拡がります)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/ee/c7c28fa2cf2565d928bd09c46d7448e8.jpg)
道標と六町石:ここを北へ。 六町石から東へ60m寄り道で見晴らし良
八町石 ちょっとだけ右手に豚竹林
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/49/ad2c9dddefec1adffc06ea3f7f25bb6e.jpg)
(町石を左に見て登ります) (竹林の先を左、すぐ右に)
八町石を過ぎ右手が竹林(奥は豚舎)になった部分を過ぎ、柿畑の東端の細い溝状の階段を上ります。ここは時期によってツル性植物で足下が隠されることがありますから、溝の上を歩けば問題有りません。やがて後方に展望が開けます。
曲がり角の民家(写真の3) ルート上最後の民家(地図の4)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/0f/4ae46bd831b640ed1b884fc81b8b2e39.jpg)
(民家にぶつかったら左折) <--200m--> (最後の民家を右に見て西へ直進)
左折する民家(下の茶屋跡)までは小和道が近畿自然歩道と重なっています。
西に折れておよそ200mでルート上の最後の民家(上の茶屋跡)に至ります。ここへ西佐味、風の森などから大弁財天経由の近道が右から合流して来ます。
(2003以降の地図は八町石辺りから道もない尾根筋を無理矢理登らせ柿畑、畑を突っ切って大弁財天まで直行後、上の茶屋へ折り返しています。ヤブで通れないなど言う前にちゃんとした道を描くべきです)
鴨神・西佐味からの場合
小和を通らない小和道はコミュニティバス(鴨神、西佐味)、奈良交通バス(風の森、東佐味)からアプローチします。
山麓線からの入り口 左下に大川杉を見ることが出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ae/74d8746a5ae732e4f325ba90107dd67b.jpg)
山麓線から近畿自然歩道に沿って西に入り左折していくと左手下に大川杉が望めます。自然歩道の道標に沿って大弁財天付近まで安心して進むことが出来ます。
路傍の花 大弁財天
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d6/e75f44acde0c9392f4da7be59c284374.jpg)
大弁財天を更に直進していくとルート上で最後の民家(地図の4)で右折し小和道に合流していけます。
おまけ (カシミール3D スカイビュースケープ機能で作成)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/4e/5d912e7cb149b0d0db6c09d0fbf78f98.jpg)
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小和道地図は一枚に収まらないので二つに分けています。
上部(石寺跡など)はこちらです。
小和道山麓部分の拡大ルート図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b9/77ce6168fdb6fe17176d466ecb819c81.jpg)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
北宇智、住川から小和を経て水野ルート
天ケ滝新道と道を分けるあたりからの登りは2万5千図ではごちゃごちゃし過ぎて分かりにくいので書いてみました。
小和道がよく分かるよう小和道町石位置も示しました。
小和道でも何でもない見慣れないへんな形のルートを小和道(天が滝道)と記した2003年以降の市販地図も5年間訂正の気配も有りません。
また、歴史有る小和道の名称を付け替えさせようという意図で、2004年、金剛山登山道情報の掲示板が悪質な掲示板荒らしの攻撃対象になった地域でもあります。
以下は上記地図や地図上の番号と対応させてルートの部分を説明しています。
道標のある橋のたもと(地図の1) 水野への橋(地図の2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f6/b3c1b04ecf7f6f6e17a2228c0c887077.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/cb/c532cfa0e18bafaa28d55ab15b1f18e0.jpg)
(橋は渡らず道標の道を) <-230m-> (今度は橋を渡ります。直進すると天ケ滝新道。)
(左の写真で2003年以降の市販地図は橋を渡らせています。昔はこっちが小和道だったようですが、07/11現在ブッシュで通過不能、引き返しました。)
3.分岐の六町石 付近の眺望(クリックすると拡がります)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b9/80c9288c27467f6cac9a70bcf62e8204.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/ee/c7c28fa2cf2565d928bd09c46d7448e8.jpg)
道標と六町石:ここを北へ。 六町石から東へ60m寄り道で見晴らし良
八町石 ちょっとだけ右手に豚竹林
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/bf/c1ec15e29672e5e81be01afa953a2bcb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/49/ad2c9dddefec1adffc06ea3f7f25bb6e.jpg)
(町石を左に見て登ります) (竹林の先を左、すぐ右に)
八町石を過ぎ右手が竹林(奥は豚舎)になった部分を過ぎ、柿畑の東端の細い溝状の階段を上ります。ここは時期によってツル性植物で足下が隠されることがありますから、溝の上を歩けば問題有りません。やがて後方に展望が開けます。
曲がり角の民家(写真の3) ルート上最後の民家(地図の4)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/12/473e401c331bd84906220bb15a9559a3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/0f/4ae46bd831b640ed1b884fc81b8b2e39.jpg)
(民家にぶつかったら左折) <--200m--> (最後の民家を右に見て西へ直進)
左折する民家(下の茶屋跡)までは小和道が近畿自然歩道と重なっています。
西に折れておよそ200mでルート上の最後の民家(上の茶屋跡)に至ります。ここへ西佐味、風の森などから大弁財天経由の近道が右から合流して来ます。
(2003以降の地図は八町石辺りから道もない尾根筋を無理矢理登らせ柿畑、畑を突っ切って大弁財天まで直行後、上の茶屋へ折り返しています。ヤブで通れないなど言う前にちゃんとした道を描くべきです)
鴨神・西佐味からの場合
小和を通らない小和道はコミュニティバス(鴨神、西佐味)、奈良交通バス(風の森、東佐味)からアプローチします。
山麓線からの入り口 左下に大川杉を見ることが出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b1/cfffe6b020f19aab04869ca11915b014.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ae/74d8746a5ae732e4f325ba90107dd67b.jpg)
山麓線から近畿自然歩道に沿って西に入り左折していくと左手下に大川杉が望めます。自然歩道の道標に沿って大弁財天付近まで安心して進むことが出来ます。
路傍の花 大弁財天
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/63/2283b7e53a2ecd75e480338a77176eb4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d6/e75f44acde0c9392f4da7be59c284374.jpg)
大弁財天を更に直進していくとルート上で最後の民家(地図の4)で右折し小和道に合流していけます。
おまけ (カシミール3D スカイビュースケープ機能で作成)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/4e/5d912e7cb149b0d0db6c09d0fbf78f98.jpg)
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尚、鉄筋二階建ての家は、未だそのままであり、ただし少しこのあたり変更されていますが、竹やぶはあり、墓地もあり、上記の林道は行く人が皆無なのか廃道同然ですが、道の形からして昔は頻繁に利用されていたようです。もったいないから、復活できるものなら、皆で行きましょう。
また、ダソクで恐縮ですが、天が滝新道の南方に、標高639メートルポイントを通って行く道がありますが(ゆくと、中の平に出る)、ほぼ完全に廃道となっているように思われますが、こちらももったいないと思いますので、有志の方がおられましたら復活できましょう。
もう一つ(というか二つというか)の道、新道を登っていくと右に曲がるポイントで左下から登ってくる道が確かに気になって記憶に残っています。
久留野の城後谷池付近か地図の2の橋の50m南くらいのどちらかと通じているのでしょうか。
まだまだ初心者以前で、上記のいずれもまだ歩いたことが有りませんが、いっぱいある課題リストに入れたいと思います。
先日、八国道を歩いてきましたので、その続き辺りに今目が向いています。
風のささやき様の情報によりますと、棕櫚の大木から上の登り坂を(地元の方が、せんでもいいとは思うのですが)コンクリ舗装をされているようで、
小生は、コンクリ舗装の道はいやなので、こういうことを思う人は、そのサブ道の利用を特にお勧めしたいとおもいますが。
なお、このサブ道は、高鴨神社からくる道として、昔から利用されていたようです。出典は、別の機会に、その箇所で示させていただきます。
ちと 不安
南海電車のつり下げ広告に高野山「町石道」(ちょういしみち)って書いてあったけど
今回の舗装工事を迂回したおかげで変な道も分かりましたが・・・・
その他に昔の道らしき物が植林の中に2~3本あるのを確認しました。
その中に町石がないかなぁ・・・とちょっと期待しています。
そのうちここも怒られない範囲でウロウロしたいと思ってます。
に 【「ちょうせき」と呼ばれることが多いが、高野山のものは「町石」と書いて「ちょういし」と読んでいるらしい。】というくだりを見つけました。 それ以外には検索でひっかっかって来ませんでした。
欽明水から~三十五町石の間を考えても、昔と道が変わっちゃてるのでは?って気がしますね。
以前、まっくん様のホームページのBBSで、小和道はどこかで争いがあったようですが、私はまったく存じませんのですが、もしまた争いでもあれば、決定版とでもいうべき資料、書籍、地図(簡略ルート地図)があり、簡易に入手できますので、お知らせさせていただきます。
標記の「天下の霊峰金剛山」は、金剛山主兼葛木神社宮司をされていました葛城貢氏の処女作です。(昭和七年発行)
この書籍の最後に「図内案山登剛金」が添付されており、むかしからの道がほぼ全て紹介されておりますので、金剛山の登山道の原典とでもいうべものと思われます。つまり、だれも葛城貢氏に異議を申し立てることはかないませんから、ここに正当性が求められる訳です。
「天下の霊峰金剛山」は、「金剛山記」にも「ワンデルングガイド金剛山」にもその他の関連書籍にも、まったく引用はなく、といいますのも一読されますとお解かりになられますように、皇国史観・忠君愛国の精神が貫徹されていますので戦後の風潮にはなじまないようですのでなんとなく割愛されたような感じですが(勿論、頂上の葛城家にはあり、禰宜・葛城裕氏は、ヤマケイ関西別冊「金剛山」で紹介されている)、金剛山に関する事跡についてはほぼ網羅されており、内容も、千早村の碩学のと合わせて原典というべきものです。
それで、この書籍のあるところは、大阪市立中央図書館の書庫です。著作権の五十年は過ぎていますので、地図を含め丸ごとコピーが可能です。金剛山の研究、事跡、道の研究に役立つと思います。 以上
(実は今日から2週間、中央図書館は休館だそうです)
>小和道はどこかで争いがあったようですが
私も知識のない頃はなんのこっちゃ分かりませんでした。
よく見れば
複数ハンドルを使い、争いを装っただけの特定の方からの『名称の書き換え強要』が本質。
見え見えの稚拙な行為だけど不愉快な事件でした。
荒らす人は殆ど確定出来てるようですが