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小和道山麓部はこちらにあります
小和道の上部地図(高宮廃寺跡の分岐から伏見峠までのルート地図です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/0e/5a98375b60123b9949c6d8fccb4bf98a.jpg)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
(小和道山麓部とは段彩色が繋がっていません。また欽明水から上は微妙な表現に欠けているかも知れません)
石寺官林石柱 南側の展望(石寺跡手前)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/2a/acebdb7769b1e0782c728345a1b9423d.jpg)
高宮廃寺跡分岐を左に登り始めると途中、石寺官林と書かれた石標などもあり、金剛七坊の一つだった石寺の勢力を感じました。
しばらく上がっていくと左手が開けた部分を通過します。
左の谷にズリ落ちないように気を付けて
途中こんな景色にも出会います(季節に寄ります)。
石寺跡(石寺については後述) 二十六町石 135cmkらいあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/e7/1a192815026e149ef95af5f2cfd79f2e.jpg)
(どしっりとした風情の苔石) (石の枕でお休み中の26番)
二十六町石はU字状に掘れた道の中に長年倒れています。
U字溝の石ころ道が歩きにくいせいか植林中に太い踏み跡が出来ているため気づかない人も多いかも知れません。
欽明水 三十五町石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/90/0949460477d395e1e7707171c943718d.jpg)
(ちょろちょろと水が湧いています) (狭いV字溝で足場にされています)
・欽明水は現行市販地図では道の右に指示されているようですが、道の左に有ります。
・欽明水からしばらく登った部分は伐採木が斜面を覆っている部分があります。
・三十五町石は伏見峠へ合流する手前50mくらいのところに倒れています。
この後はダイトレになりますので地図は省略します。
町石は一の鳥居手前湧出岳分岐点、一の鳥居の掲示地図の後ろ、他で見ることが出来ます。
(石寺について)
・経塚
ここの経塚は「常不軽菩薩品第二十」です。「千四百八十三字なり。」とありますから分割した経文の字数を指しているのでしょう。
参考:妙法蓮華経属累品第二十二経塚 大田和地蔵についてはここを参照下さい
・石寺の由来
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c1/c04df8562f4be5f7853fc7e03fa5630a.jpg)
ところで何故石寺と呼ぶのでしょう。
歩いてみると、大きめの石がゴロゴロしているのは事実ですが・・・
調べてみると石寺という寺号は本尊の薬師石仏にちなむのだそうです。これは役行者が百済より将来したものと伝えます。
堂や祠なども次のように複数存在したようです。
・「諸山縁起」に「本尊七躰なり。薬師三尊、弥勒三尊、月動大聖なり」とあり
・別の資料では「」本堂、行者堂・葛城明神祠・金剛童子堂・八王子祠・鎮守三十八所社などがあった。」、また「開山堂には小野篁の作と伝える役行者像があった」そうです。
Copyright (C) 2005 gouyuukai ALL Rights Reserved 金剛山剛友会
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小和道の上部地図(高宮廃寺跡の分岐から伏見峠までのルート地図です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/0e/5a98375b60123b9949c6d8fccb4bf98a.jpg)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
(小和道山麓部とは段彩色が繋がっていません。また欽明水から上は微妙な表現に欠けているかも知れません)
石寺官林石柱 南側の展望(石寺跡手前)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/db/da22d500a69595d075d04faf6427aaab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/2a/acebdb7769b1e0782c728345a1b9423d.jpg)
高宮廃寺跡分岐を左に登り始めると途中、石寺官林と書かれた石標などもあり、金剛七坊の一つだった石寺の勢力を感じました。
しばらく上がっていくと左手が開けた部分を通過します。
左の谷にズリ落ちないように気を付けて
途中こんな景色にも出会います(季節に寄ります)。
石寺跡(石寺については後述) 二十六町石 135cmkらいあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/97/a0480d93d5cdcdd2efe2de5c3f2cf4cb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/e7/1a192815026e149ef95af5f2cfd79f2e.jpg)
(どしっりとした風情の苔石) (石の枕でお休み中の26番)
二十六町石はU字状に掘れた道の中に長年倒れています。
U字溝の石ころ道が歩きにくいせいか植林中に太い踏み跡が出来ているため気づかない人も多いかも知れません。
欽明水 三十五町石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/95/19dcb67f8568b98375c11b6c8e846fca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/90/0949460477d395e1e7707171c943718d.jpg)
(ちょろちょろと水が湧いています) (狭いV字溝で足場にされています)
・欽明水は現行市販地図では道の右に指示されているようですが、道の左に有ります。
・欽明水からしばらく登った部分は伐採木が斜面を覆っている部分があります。
・三十五町石は伏見峠へ合流する手前50mくらいのところに倒れています。
この後はダイトレになりますので地図は省略します。
町石は一の鳥居手前湧出岳分岐点、一の鳥居の掲示地図の後ろ、他で見ることが出来ます。
(石寺について)
・経塚
ここの経塚は「常不軽菩薩品第二十」です。「千四百八十三字なり。」とありますから分割した経文の字数を指しているのでしょう。
参考:妙法蓮華経属累品第二十二経塚 大田和地蔵についてはここを参照下さい
・石寺の由来
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c1/c04df8562f4be5f7853fc7e03fa5630a.jpg)
ところで何故石寺と呼ぶのでしょう。
歩いてみると、大きめの石がゴロゴロしているのは事実ですが・・・
調べてみると石寺という寺号は本尊の薬師石仏にちなむのだそうです。これは役行者が百済より将来したものと伝えます。
堂や祠なども次のように複数存在したようです。
・「諸山縁起」に「本尊七躰なり。薬師三尊、弥勒三尊、月動大聖なり」とあり
・別の資料では「」本堂、行者堂・葛城明神祠・金剛童子堂・八王子祠・鎮守三十八所社などがあった。」、また「開山堂には小野篁の作と伝える役行者像があった」そうです。
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