禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

意識現象が唯一の実在である

2014-06-22 07:15:53 | 哲学

「意識現象が唯一の実在である」というのは、「善の研究」の第2編第2章のタイトルである。

「意識現象」というと、なんとなくそれはリアルではない一種の幻影のようなニュアンスがある。少なくともそれは「実体」ではないというのが大方の受け止め方であろうが、西田はそれこそが実在であるというのである。

ここで西田が言う「実在」については少し説明が必要だろう。例えば、目の前にリンゴがあったとする。我々の多くは、リンゴの実体がそこにあって、それから反射した光からの刺激を視神経が受け止めて、リンゴのイメージを認識すると考える。つまり、ここにはリンゴの「実体」と「イメージ」という2つのものが存在するわけである。そして普通は実体の方を実在すると考え、イメージの方は虚像であると考える。しかし西田は、我々にとってリアルな現実というのはイメージの方であるというのである。 

 このことについては、現象学の始祖であるフッサールも同じことを言っている。従来は、「リンゴの実体がそこにあるので私たちに赤くて丸いものが見えている」と考えられていたが、フッサールは「赤くて丸いものが見えているから私たちはそこにリンゴがあると確信する」と考えたのである。

よくよく反省すれば、確実に言えることは「赤くて丸いものが見えている」という事実だけなのである。むしろ実体と思われていたものは、その事実から推論されたものに過ぎない、という主張は妥当なもののように思われる。西田はリンゴのイメージを「意識現象」、そして実体の方を「物体現象」として、次のように表現している。

≪我々は意識現象と物体現象の二種の経験的事実があるように考えているが、その実はただ一種あるのみである。即ち意識現象あるのみである。物体現象というのはその中で各人に共通で普遍的関係を有する者を抽象したものに過ぎない。≫ (善の研究P.72)

物体現象は「各人に共通で普遍的関係を有する者を抽象」、つまり論理的に構成した仮説であると言っているのである。 

 西田やフッサールは、従来は実と考えられていたものが虚、虚と考えられていたものが実であると主張するのである。

 「意識現象」という言葉は西田が主張しようとしていることからすると適切ではないかもしれない。意識現象と言うからには意識する主体があるはずだからである。しかしここのところが西洋哲学と西田哲学の大きな分かれ目となる。、西田は主体を設定せず、「意識現象」がただ「実在である」とだけいうのだ。

    では、その「意識現象」はどこにあるのか?

西田はそれを「場所」と名づけた。どこの場所か? 実は「場所」はどこの場所てもない場所である。どこでもないどころか、いかなる形容もできない、何ものでもないそのものに、あえて「場所」と名づけたのである。何ものでもないところから、それは「無の場所」と呼ばれる。

あえて言うなら、それは映画のスクリーンに例えることができるかもしれない。
映画のスクリーンは白い布でできているので無とは言えないが、それは我々が映画をその外側から見ているからである。映画の中に入ってしまえば、スクリーンそのものを見ることはできなくなる。映画の中の世界においてスクリーンは「無の場所」と言える。

無の場所に意識現象(純粋経験)が自己展開されていく、というのが西田哲学の主張するところである。これは禅者の見る世界とまったく一致している。

次は、道元禅師の正法眼蔵の有名な一節である。

   仏道をならふといふは、自己をならふなり。
   自己をならふといふは、自己を忘るるなり。
   自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。

以前の記事でも述べたが、ここでいう万法は、自分の感官に触れるものすべてという意味である。目の前にそびえる山、鳥のさえずり、ほおをなでる風、カレーライスの匂い、これらのすべてを万法と呼んでいる。西田の言う「意識現象」(純粋経験)のことである。

ここに認識する私(自己)というものはない。私(自己)は経験する主体ではなく、経験の中に顕現してくるものである。西田も道元も固定的な私(自己]は想定していない。禅者は雲を見れば自分が雲になるという。音楽を聴けば自分が音楽になるという。これが「万法に証せらるる」ということである。固定的な私はない。私は経験の中にダイナミックに成立しているのである。

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