初めて 司馬遼太郎の小説を読んだのは かれこれ30年ちかく前 まだ20代のころ。
あらためて 読み返す気力もないが
本日のNHKドラマは視聴してみよう。
鎖国から開国へ 文明開化 脱亜入欧 富国強兵 等々 明治という新時代を駆け抜けた 若者たちの群像劇・・・なんて 説明している場合ではないか。
考えてみれば いつもいつの時も (その)時代の移り変わりなのであり その時その時の問題を抱えている。
いまこの 平成の御世においても なんら変わることなく 時代の変遷を駆け抜けている 人たちが(たぶん実際に存在るのであろう)、悲しいかな 自分の身の回りにはいないだあけ・・(この程度の人間関係力というのが今の実力なのである)
明治の時代を過ごした 民衆がすべて あの主人公たちのような人生を送ったわけでなく 大多数の無名の無辜の民の営みの上に かの人たちの人生は築かれていると思うのである。
公方様の時代なら 戦ごとに 庶民が巻き込まれる(被害を受けることはあっても戦場に駆り出されることはない)ことなどなかったのに・・徴兵される。
・・で何がいいたいかというと
産業構造の変化 雇用環境の変化 就労意識の変化 ・・すべてのパラダイムが変化しているなかで もはや 過去の経験で培った 成功体験意識はじゃまなだけ このあたりは間違いないと思う。
世の中の変化を見据えたうえで これから どのようにかかわっていくのか
また かかわらずに すましていくのか どの部分に 自分としての主体を持つのか この辺りが 晩節を汚さないために必要とおもわれる(皮肉なことに既に汚れまくっているが・・)
よき人と つながっていくために 常に自分を高める啓発努力だけは怠らないでおこうと おもうのであった。