日々礼讃日日是好日!

2016年新春丙申年寒の入り

 平成二十八年は丙申年(ひのえさるどし)、暖冬とはいえ朝晩の寒さはさすがに厳しいが、少しずつ陽のひかりが長くなってきているのがうれしい。水道みちを駅まで歩く途中には蝋梅やニホンスイセンも咲き始めていて、そっと顔を寄せてみれば馥郁とした香りを漂わせている。

 新年が明けて朝の六時すぎはまだ暗く、南東の空には下弦の月がくっきりと浮かんでいる。そのさらに東寄り、煌々と輝いているのは明けの明星だろうか。しばらくリビングで頭をベランダに向けて寝そべったまま、その眺めに見とれていた。やがて東のほうから白み始めたかと思うと、七時前後にはみるみるまに明るさが増してきて、中庭にも朝日が差し込みだすと、葉を落としたケヤキが箒状樹形のシルエットをマンションの白壁に版画のように写し出してくる。午前中しばらくは、南の青空に高く雲のような半月が残って、陽のひかりと共存しているのがおもしろい。

 元旦には、家族三人で大晦日に仕込んでおいた屠蘇酒をいただく。このお屠蘇、昨年末冬至の近江大津の旅で、宿に荷物を預けてから遅めの昼食を駅前の蕎麦屋さんでとった後、琵琶湖方向に向かって街中を歩いていた時に、たまたま通りかかった立派な店構えの老舗味噌醸造元の番台に置いてあったもの。この機会にせっかくだから購入しようとしたら「どうぞお持ちください」って、無料でいただいた。袋には、愛知県西尾市の販売元名と屠蘇の由来が書かれている。それによると「屠は邪気を除き、蘇は人魂を蘇生する意味で、嵯峨天皇の治世に四方拝の儀式としてもちいられた」とある。なるほど、それで「屠蘇」なのかと感心し、新年の息災を願った縁起物には違いないだろうけれど、いままでちゃんと考えたこともなかったのが、これで少し賢くなったような気がした。そして、あの旅の日々の出来事がまぼろしではなかったことを確かめたくてしみじみと味わった。また、新しい年がはじまる。

 二日、恒例の江ノ島詣で。午前中に相模湾からの富士の冠雪の眺め、例年よりもくっきりと神々しく聳えている気がした。初春にふさわしいその眺め、江の島燈台とのツーショットも入れて、時の流れの順に並べてみよう、希望の年でありますように。


富士は不二または不死につながるのでめでたいのだ、という説を聴いたことがある。山頂のうえの白雲、海上を横切る渡船の弁天丸。島内コッキング苑入口前の広場から奥津宮の杜とその向こうの湘南海岸、丹沢の山並み。
 

 お昼過ぎの帰り道、弁天大橋からの相模湾越しの“海景”。もうその姿は海の向こう、うっすら空のいろに溶け込んで、やがて夕方になれば西日の逆光にシルエット姿でくっきりと浮かびあがるだろう。
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