楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

深刻なポスドク問題の本質をえぐる

2007-10-27 15:22:38 | 時評
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)
水月 昭道
光文社

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韓国の行き帰りの機内で読んだ。ポスドクのまっただ中にある著者が書いた迫真の書である。
理系白書など、部外者が書いた者ではないだけに深刻さが痛いほどに伝わる。

大学院重点化の結果増えた大量の博士。しかし、その職のない現状。その数全国で1万5千人。
その行方不明率、自殺率はあわせて10%を超えるという。
その本質を鋭くえぐった書である。

私の勤める大学でも昨今、大学院への進学率、博士への進学率が激減している。
その背景にはこの書のいうことがあることは間違いない。分析は全く正しい。私が長年思って来たことと完全に一致する。
いわば、見通しのないままに、その場しのぎの共同幻想(この著者は陰謀という)が作り上げた現実なのである。

私もこの大学院で10年ほど前から博士を作り出す現場にいるので、痛いほどに伝わる。
そして、根本的には、博士に対する社会の位置づけがアメリカのようにならなければ解決しない問題である。
私は、昨今強まっている「博士の定員を過去に戻し絞り込み、研究者のみをめざすものに戻そう」とする動きには反対である。
門戸は広く開かれているべきである。

私は、この著者の第6章「行くべきか、行かざるべきか、大学院」に書かれていることに賛成である。
大学教員などの「職業としての研究者」を目指す人は極極狭き門であることを熟知すべきである。幻想を抱いてはいけない。それを目標にすると挫折率90%かもしれない。しかし、研究することによって得られる「自分で問題を立て、それを自分で解く。そしてそれは人類の誰もなし得たことのない真実。確実に歴史に残る」ことに喜びを感じたい、と思う人は行くべきである。そのような場は、他にそうそうない。そして、その経験から得られる事柄は、その後、どのような人生を歩もうと生かされる。だから、大学院の間に研究というものの[know how]を得るために進学するのである。そのようなことは決してサラリーマンでは得られない。サラリーマンの成果は会社の成果。個人の名が歴史に残ることはよっぽどのことではない限りない。会社の経営者なら別ではあるが。そう、大学院で学ぶ事柄は、自己が中心である人生と世界形成の方法ー研究、ということを身につける場なのだ。
その人生のキャリアパスなのである。
博士への評価は日本社会では「靴底の米粒」である。
しかし、外国へ行くと圧倒的権威のある「知識人としてのライセンスー博士」なのである。
文明国日本。しゃんとせい!と私もいいたい。
(台風だね)

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