GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「共に生きる」<加藤和彦>3

2009年10月25日 | Weblog
自己が存在し人間関係が生じて、初めて孤独が生まれます。
どんなに仲間が沢山いようと、
どんなに温かいファミリーに育てられようと、
人は孤独に陥ることがあります。
ここに人生の哀しみや難しさがあるような気がします。

何度も日記で書いてきましたが、
五木寛之氏の最初のエッセイ「風に吹かれて」の中に、この打開策が示されています。
大学生の頃、読んだ文章ですがいまだに忘れられません。

「人が集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ。
 その孤独から逃れるには、共同の行為おいて他にない」


大学の4年間、クラブでコンサート活動に勤しんできたおかげで、
誰一人知り合いのいない東京で生活してきましたが、
心の芯まで凍てつくような孤独感に蝕まれることはありませんでした。

しかし、今、加藤和彦氏と南田洋子さんの死を前にして、
真の<共同の行為>とは何か、改めて考え直さずにはいられません。
仲間とのクラブ活動に勤しむことでもなく、
仕事関係の人と親好を深めることでもないような気がします。
それらはすべて家族と共に生きる為の演習ではないかと。
そして、真の<共同の行為>とは、
連れ添いと「共に生きる」ことではないかと思えてくるのです。

「共通の趣味を仲間たちと楽しむ」
確かにここには、孤独を感じさせない温かい人の温もりがあります。
加藤氏の死を見て無念さが残るのは、「共に生きたかった人」への想いです。

人は縁があって結婚し、子供を育て、
いづれはその子供達の独立を見送ります。
残るのは配偶者、すなわち血のつながった人ではない共に生きてきた連れ添いです。
人生の道行きで偶然出会い、他の人とは違ったものを感じ、
一緒になりたいと思った連れ添いが最後の同船者となります。

偶然の出会いからお互いの親子関係を基にした新たな人間関係が構築されていきます。
父や母を観て育った人が連れ添い(=配偶者)を選ぶわけですから、
父や母と同じような人を選んだり、二人を反面教師として選ぶのだと思います。

出会った頃は、まだ若くお互いの性格や価値観も把握できず、
それからの二人の将来も想像できなかったはす。
育った環境の違いや性格の違い、
価値観の違いや子供への接し方の違い、
家庭や仕事の優先順位の違い、
それぞれの親への思いの違いなどを克服しながら
家族を育て「共に生きる」のです。これが結婚生活だと思います。

この<克服の道のり>は二人だけの道のりであり、
しかも、オリジナルの道のりです。

そして、この道はストレスを伴い忍耐を必要とします。
ここに深い絆、情というものが生まれていく所以があります。
忍耐がなければ絆や情が生まれるはずがないのです。


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