れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

磯原暮れ市 北茨城市

2008-12-28 | ローカルニュース
12月27日の昨日、約200mの磯原東駅前通りにおいて恒例の暮れ市が開かれた。
磯原駅は、昭和40年半ばまで各炭鉱から運び込まれる石炭を貨車に積み込むところとして発展し、これにより街が栄え、この暮れ市も縁起物を売る露店が軒に並び、大勢の見物人で混雑し、歩くのにも困難を期した時代があった。
しかし街は、その後の炭鉱閉山と新しい磯原西口駅の完成により、人の流れが西口駅に集中のため東口は過疎状態、そして最近は、経済変化が追い討ちとなり年毎に寂しい街となって、所々で店のシャッターが下ろされ、店舗がなくなり、更地となっていく状態である。
〝がんばれ・磯原東口商店街!〟と応援したくなる心境である。

※当ブログ、「ブログの変化により新しい窓口に移動」とお知らせ致しましたが、この変化は、私のパソコンが原因と思われますので、当分、当ブログでお伝えいたします。目下、修正に奮闘中?(お騒がせして申し訳ありません。)


10時頃の暮れ市
目下準備中のようだが、その後出店が両脇を埋めるように並ぶ事はなかった。


正月飾り①


正月飾り②


鯛焼き(きんつば)、焼イカ、焼そばは、暮れ市の定番


空き地が目立ち、駐車場になっているが駐車している車も少ない。(翌日撮影)
右側の大きな建物はパチンコ店、その手前が森田靴店、○○○○屋、川島屋と続いたが今はない。


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1 コメント

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Unknown (スポッツ)
2008-12-29 22:44:52
こんばんは。
磯原は北茨城側の常磐炭鉱の中心地区だったのですよね。
そういえば、野口雨情は常磐炭鉱の為に常磐線が引かれてから実家の廻船業がうまく行かなくなって湯本にいた事があります。
雨情の居た頃は石炭採掘でお湯がなくなり炭鉱の町へ、戦後に炭鉱が寂れた後は温泉町へ戻ったわけですが現在の町は経済状況と後継者問題もありシャッターが下りた店もありで、町興しで何とかしたい所です。
湯本は来月10日が金刀比羅神社の祭礼の日ですが、屋台で買い物する人が減っていて来年は露天商も減るのではないかと感じております。
早く景気が持ち直って欲しいものです。
スポッツ