徳丸無明のブログ

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捕鯨を禁じるための条件

2016-08-09 22:22:15 | 雑文
2014年3月31日、国際司法裁判所は、南極海で日本が行っている第2期調査捕鯨の中止を命じた。
欧米諸国の多くは、捕鯨を野蛮な風習と非難しているのだが、ホエールウォッチングを観光収入源としているオーストラリアが、日本が行っているのは商業捕鯨であるとして2010年5月に提訴していたのだ。そのため日本は、2015年より、捕獲枠を削減した新しい調査計画を立て、それに基づいた調査捕鯨を行っている。しかし、捕鯨が快く思われていない状況は何ら変わりがなく、捕鯨を巡る対立はまだまだ続いていくものと予想される。
反捕鯨を訴える人々は、とにかくクジラが捕獲されなければそれでよくて、一匹でも殺させないことがクジラの保護になる、と思い込んでいるようである。
だが、事はそれほど単純ではない。「海の生態系バランス全体」のことも含めて考える必要があるのだ。
クジラの餌は魚である(オキアミを食べる種もあるが)。捕鯨が全面的に禁止されれば、当然クジラの数は増える。そうなれば、クジラに食べられる魚の量も増える。と、ここで問題が生じる。クジラの餌となる魚が絶滅する可能性が出てくるのだ。
このように述べれば、疑問に思われるかもしれない。「海の中には海の中の生態系バランスがあり、放っておけばそのバランスは自然に保たれるのではないか?」「餌が不足すれば飢えに見舞われ、個体数を増やす余裕もなくなるので、クジラが増え続けるということもないはずだ。それは食物連鎖の在り方をみれば明白だ」と。
だが、海の中の生態系バランスは、海の中の生き物だけに担われているのではない。「人間の漁業」というファクターがあるのだ。
もし、人間が海の中に一切手を付けずにいられるというなら、それでいい。海の中の秩序維持は、海の中の生き物たちが勝手に担ってくれるだろう。だが、人間は生業として漁業を行う。人間が漁業を続ける中で捕鯨を全面的に禁じてしまえばどうなるか。人間とクジラが、魚を食べ尽くしてしまうだろう。
いや、「食べ尽くす」というのは極論である。実際には魚がいなくなる前に、人類は何らかの方向転換を余儀なくされるはずで、絶滅するまでひたすら捕り続けるような愚を犯すことはないだろう。
だが、「漁業を続けながら捕鯨を禁じる」期間が長く続けば続くだけ、海の中の生態系に大きなダメージを及ぼすことは間違いないし、その時点から何らかの手立てを講じたところで、回復するには相当な時間を要することになるだろう。海域によっては回復不能に陥る所もあるかもしれない。
さらに言えば、人間が海の中の生態系に与えている要因は、漁業だけではない。生活排水・工業廃水を海に垂れ流している影響もあるのだ。排水は、少なからず海洋生物を死傷させる。また、最近では特にマイクロプラスチックの問題が取り沙汰されているが、ゴミの投棄による影響もある。
海の中の生態系バランスを、海の中の生き物たち自身によって保たせるには、人間が海中に一切手を付けないことが条件である。
つまり、

①魚介類その他、海洋生物の一切を捕獲しない。
②一切の排水、及びゴミを海に垂れ流さない。

この二条件が必要不可欠なのである。
では、この二つを満たすことは可能か。
①はもちろん不可能である。世界人口がかつてないほど増えている21世紀の今日において、食料供給の面でも魚を獲らずにはいられないし、漁業と、それに付随する流通に携わる人々の就業を確保するという面においても、漁業を禁ずるわけにはいかない。今漁業を禁じれば、飢えと大量の失業者を生み出してしまう。
では、②はどうか。こちらもやはり満たすことはできない。
科学技術、工業技術の進歩によって、漸次的に排水を減らしていくことはできるだろう。だが現時点で、いきなりゼロにすることはできない。ゴミを無くすことも、容易ではない。
人間が海中の秩序に及ぼす影響をゼロにしないまま捕鯨だけを禁じてしまえば、海の中の生態系は大きく棄損されてしまう。クジラの為を思って行われている反捕鯨活動が、かえってクジラの首を絞めることになってしまうのだ。まさに「地獄への道は善意で敷き詰められている」というわけだ。
(厳密に言えば、上記の二条件を満たしたからといって、海中への影響を完全にゼロにできるわけではない。人間は地上でも活動しているわけだが、「陸の生態系」と「海の生態系」は、断裂しているのではなく、至る所で繋がっているので、陸で活動を行えば、海に少なからず何らかの影響が出るはずだからだ。なので、二条件を満たすことで達成できるのは、完全なゼロではなく、ほぼゼロである)

では、海の中に手を付けずにはいられない我々人類が採るべき選択肢は何か?
それは、「魚もクジラも節度を保って獲る」以外にあるまい。
先に「世界人口がかつてないほど増えている」と書いたが、それに比例して、漁獲量もかつてないほど増えている。クジラの増加という要因抜きにしても、種類によっては魚を絶滅に向かわせてしまうのではないかと危惧されているくらいだ。
魚の代わりにクジラを供給できれば、食料確保も叶うし、(獲られなくなった分だけ)魚の数も安定する。漁業、並びにその流通関係者も、扱う対象を魚からクジラにシフトさせれば、職を失わずに済む。漁獲量が減れば、それはクジラの餌の数が安定することを意味するので、クジラにとってもプラスとなる。
これが、人間も含めた海洋生物全体の、理想的な在り方ではないだろうか。
また、これは元水産庁職員で、漁業関連の国際交渉に従事してきた小松正之の主張だが、鯨肉を畜産肉の代替品にすることもできる。
畜産肉、とりわけ牛肉は、生産するために大量の穀物と水を消費する。「牛肉を1kg生産するためには約10kgの穀物飼料が必要だと言われている。その穀物、たとえば1kgのトウモロコシを生産するには1800ℓの水が必要であるから、牛肉1kgの生産に必要な水は、単純に計算して一万8000ℓ、ざっと2万倍にもなるのである。また、広大な畑や家畜の飼育地を確保するために森林が切り開かれる、あるいは膨大な量の家畜の排泄物処理などの環境問題も生じる。」(『国際裁判で敗訴!日本の捕鯨外交』)
畜産牛が消費する穀物と水の量は、調査者によってデータがまちまちであるのだが、いずれにせよ「牛を育てるために使用している穀物や水を、直接人間の消費に回した方が遥かにエネルギー効率がいい」ということは明瞭なのである。
それと、牛は反芻動物なので、よくゲップをするのだが、温室効果ガスの排出源のうち、家畜が占める割合は約18パーセントであるという。ベジタリアンやビーガンの中には、健康面の配慮や倫理観、あるいは生命観からではなく、環境破壊に対する歯止めのために肉を断っている者も少なくないらしい。「人間が育てねばならない畜産牛」よりも、「自然に育ってくれるクジラ」の方が、環境にかかる負荷は遥かに少ないのである。鯨肉が環境にかける負担は少ないということが了承されれば、菜食主義者も肉食を解禁するかもしれない。

・・・・・・と、まあこのような主張を、水産庁は、国際社会に向けて行うべきだと思う。特に日本の捕鯨が悪し様に攻撃されている現状を鑑みれば、アピールは必須だ。それは日本のためでもあるし、世界全体のためでもある。
小生のような門外漢ですらこの程度のことは理解できるのだから、専門家である彼等にわからない筈がない。なのに、日本政府からそのような訴えが聞こえてくることは、ほぼない。
Why Japanese 役人!?


オススメ関連本・池田清彦『環境問題のウソ』ちくまプリマ―文庫


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