浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「神のいのち」(18)

2017年07月18日 09時11分06秒 | 「神のいのちーシリーズ」

「2本の木」

創世記の中に、分かりやすい話があります。
人間は古い人、つまり「アダムのいのち」によって生きることになったのですが、
どうしてそういうことになってしまったのかについての、分かりやすい話です。

創世記第2章にその謎を解くカギとなるものがあります。
創世記1章では、神は万物の創造の業を終えられました。
神はすべてそれらを見て、良しとされました。
その後、何か問題があったのでしょうか。

第2章になると、神はエデンという所に園を造られました。
そして、そこに人を住まわせられたのです。
エデンの園には、いろいろなすばらしい樹木が生えていました。
アダムとエバは自由にその木から取って食べてよかったのです。
ところが、園の中央に2本の木がありました。
他の木には名前がありませんでしたが、その2本の木には不思議と、名前があり、
「いのちの木」と「善悪を知る木」と言われていました。

創世記2:9
また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、
更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。(口語訳)

「命の木」です。
ここに「いのち」が出てきます。
これは植物のいのちでしょうか。
何のいのちでしょうか。
植物のいのちであれば、わざわざ「いのちの木」と名前を付ける必要はなかったでしょう。
どう思いますか。