3月1日
8時50分 キャンプ地 出発
↓
Cueva de Las Manos
↓
17時35分 同じ場所に戻る 39km
【累計】
自転車 5712km
自転車+車・列車等 6763km
◆ ◆ ◆ ◆
7時10分起床。晴れ。
いよいよ3月。
Buenos Aires からの帰国便は4月5日だが、あまりゆっくりもしていられない。
8時50分出発。
Cueva(洞窟)までは20km。
そう遠くはない。
またここに戻ってくることを前提に、荷物を全部茂みの中に隠し、空荷で出発。
ビクーニャの群れがあちこちにいる。
動かずにこちらの動きを見ている。
ある距離まで近づくと一斉に逃げてゆく。
道路は砂利道で、自動車のタイヤで深い”わだち”と砂利の”畝”が出来ており走りにくいこと甚だしい。
注意していないと砂利の畝にタイヤが突っ込みそのまま倒れる。
ビクーニャ
馬(多分、放し飼い)
遠くに雪山が見える。
12時、行き止まりとなる。20km進むのに3時間もかかった。
目の前に深いグランドキャニオンのような谷がある。
その谷を徒歩で下り向こう側の崖を登ったところが Cueva (洞窟)の入り口だ。
谷の手前で自転車を乗り捨て、徒歩で谷に下りる。
(下の棒は杖)
下には小川が流れており橋が掛けられている。
向こう側に上る梯子。
世界遺産の Cueva には管理事務所がある。
見学には必ずガイドが同行する。
30分に一回の頻度で見学チームが出発するようだ。
↓管理事務所の中にある説明
13時、見学に出発。
チームは私を含め見学者三名と若い女性のガイド一人。
岩壁に無数の人間の手の跡。
手のひらの部分が白く残り、周りが赤くなっている。
動物の内臓をかみ砕いて吹き付けるとこうなる。
動物の蹄もある。
この手は、指が6本ある!
人間の手のひら以外に、動物の手の跡もある。
驚くなかれ六本の指の手形もある。突然変異だろう。
ビクーニャもしくはグアナコのような動物、サルなどの壁画もある。
ここに手の跡を残した人たちは一万年前この谷に住んでいたという。
何故いなくなったのかはわからないという。
南米南端のフェゴ島には十九世紀までほぼ裸で生活していたヤーガン族(ヤマナ族ともいう)がいた。
14時25分、自転車の場所まで戻る。
帰る途中、一軒の廃屋の傍で休む。
日本には限界集落という言葉がある。
悲しい言葉だ。
かってみんなが生活していた集落そのものが朽ち果ててゆくようなイメージがある。
日本の集落は山裾にあり木で囲まれている。
人の住まなくなった家は、以前そこに住んでいた人の怨念が残っているような気がする。
ここに残る家はいつまで人が住んでいたのだろうか。
煙突だけが昔の家族の団らんを偲ばせる。
空は限りなく澄んでいる。
廃屋が丘陵の上にいつまでも朽ち果てないで残っている。
ここに住んでいた人たちが使っていた水は今でも流れている。
感傷に浸るのはこの辺までにして・・・出発。
16時10分、高度870m。
17時35分、キャンプ地に戻る。
2月22日、Coihaique 手前で転倒したせいで左大腿骨と右膝が痛い。
走っていても直ぐバテる。
8時50分 キャンプ地 出発
↓
Cueva de Las Manos
↓
17時35分 同じ場所に戻る 39km
【累計】
自転車 5712km
自転車+車・列車等 6763km
◆ ◆ ◆ ◆
7時10分起床。晴れ。
いよいよ3月。
Buenos Aires からの帰国便は4月5日だが、あまりゆっくりもしていられない。
8時50分出発。
Cueva(洞窟)までは20km。
そう遠くはない。
またここに戻ってくることを前提に、荷物を全部茂みの中に隠し、空荷で出発。
ビクーニャの群れがあちこちにいる。
動かずにこちらの動きを見ている。
ある距離まで近づくと一斉に逃げてゆく。
道路は砂利道で、自動車のタイヤで深い”わだち”と砂利の”畝”が出来ており走りにくいこと甚だしい。
注意していないと砂利の畝にタイヤが突っ込みそのまま倒れる。
ビクーニャ
馬(多分、放し飼い)
遠くに雪山が見える。
12時、行き止まりとなる。20km進むのに3時間もかかった。
目の前に深いグランドキャニオンのような谷がある。
その谷を徒歩で下り向こう側の崖を登ったところが Cueva (洞窟)の入り口だ。
谷の手前で自転車を乗り捨て、徒歩で谷に下りる。
(下の棒は杖)
下には小川が流れており橋が掛けられている。
向こう側に上る梯子。
世界遺産の Cueva には管理事務所がある。
見学には必ずガイドが同行する。
30分に一回の頻度で見学チームが出発するようだ。
↓管理事務所の中にある説明
13時、見学に出発。
チームは私を含め見学者三名と若い女性のガイド一人。
岩壁に無数の人間の手の跡。
手のひらの部分が白く残り、周りが赤くなっている。
動物の内臓をかみ砕いて吹き付けるとこうなる。
動物の蹄もある。
この手は、指が6本ある!
人間の手のひら以外に、動物の手の跡もある。
驚くなかれ六本の指の手形もある。突然変異だろう。
ビクーニャもしくはグアナコのような動物、サルなどの壁画もある。
ここに手の跡を残した人たちは一万年前この谷に住んでいたという。
何故いなくなったのかはわからないという。
南米南端のフェゴ島には十九世紀までほぼ裸で生活していたヤーガン族(ヤマナ族ともいう)がいた。
14時25分、自転車の場所まで戻る。
帰る途中、一軒の廃屋の傍で休む。
日本には限界集落という言葉がある。
悲しい言葉だ。
かってみんなが生活していた集落そのものが朽ち果ててゆくようなイメージがある。
日本の集落は山裾にあり木で囲まれている。
人の住まなくなった家は、以前そこに住んでいた人の怨念が残っているような気がする。
ここに残る家はいつまで人が住んでいたのだろうか。
煙突だけが昔の家族の団らんを偲ばせる。
空は限りなく澄んでいる。
廃屋が丘陵の上にいつまでも朽ち果てないで残っている。
ここに住んでいた人たちが使っていた水は今でも流れている。
感傷に浸るのはこの辺までにして・・・出発。
16時10分、高度870m。
17時35分、キャンプ地に戻る。
2月22日、Coihaique 手前で転倒したせいで左大腿骨と右膝が痛い。
走っていても直ぐバテる。