Sugar's Adventures (PCT trail name is "SUGAR" in 2016)

2016年 米国 Pacific Crest Trailの踏破 及び 2013~14年 南米の自転車旅行を紹介

2017年7月 PCT 雪

2017-09-03 14:29:56 | 2016年PCTへの旅―4月
2017 PCT 雪


 2017年は2016年に比べ、格段に雪が多かったようだ。

 私の場合、仮に2016年にこれだけの雪が残っていたとすると、先に進めたかどうかわからない。

 さらに問題は、雪解け水によるクリークの増水だ。

 この時期、ここを通過したハイカーは、たくさんの危険に遭遇したと思う。

 2017年

 
 2017年6月25日、Kings Canyon National Park の雪
 <Owen Rojek 氏撮影>




 2016年、私が歩いた時の写真


 
 6月25日
 Glen Pass (Kings Canyon National Park)頂上付近
 3,641m


 
 同
 Glen Pass (Kings Canyon National Park)の北斜面


 
 6月27日
 Mother Pass(Kings Canyon National Park)
 3,686m
 
 

初めて読む方に Introduction

2016-12-01 07:13:16 | 2016年PCTへの旅―4月
「2016年PCTへの旅」

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アメリカのトレイル

2016-12-01 07:13:06 | 2016年PCTへの旅―4月
 トレイル(Trail)とは、砂漠や草地の上に、人が長い期間歩いたことによりできた踏み跡です。

 人は歩きにくい場所と歩きやすい場所があれば歩きやすい所を選びます。近い道と遠回りな道があれば近い道を選びます。長い年月の試行錯誤の結果、最終的に選ばれた道が今あるトレイルなのです。

 日本でもそういう道は残っています。

 例えば、静岡県相良港から長野県飯田市にいたる信州街道、岐阜県高山と長野県松本を結ぶ野麦街道などなど。

 日本では商品の輸送、お参りなどでこのような街道が古来より開かれ、それが百年前まで利用されてきました。

 アメリカ大陸では、先住民族は自己の部族の生活圏内で、このようなトレイルを持っていたのでしょう。

 17世紀、ヨーロッパから旧世界の人々が入植し始めると、移住してきた人々の子孫たちは、さらに広大な土地を求めて西へ西へと移動を始め、東から西に向かうトレイルができました。

 ここで、アメリカの東から西へ向かうトレイル上で1800年代に起きたある事件を紹介しましょう。

 (私は2016年7月20日ドナー峠 ― Donner Pass 標高 2151メートル ― という場所を通りました。その峠で実際にあった話です)

 この峠に「ドナー」という名前が付けられたのは、次の事件があったからです。

 1846年、この峠の手前で、東から西へ向かう開拓者の一団の遭難事件が起きました。その開拓者の集団の代表格が「ドナー」という名前の人でした。

 どういう事件かといいますと、1846年5月東部を出発したドナー隊は、同年11月雪のため標高2151メートルのこの峠の手前で、進むことも戻ることもできなくなりました。

 12月、この隊の数人が決死隊となり、カリフォルニア側に救助を求めて進みました。彼らはカリフォルニア側の町に到達することはできましたが、雪のため、戻ることができませんでした。

 翌年2月、決死隊の人たちが救助隊を連れてドナー隊のいる場所に戻ったとき、彼らが見たものは、そこで生きていた人たちは、(仲間の)人肉を食べて生きていたという、光景でした。

 この事件は、今でも衝撃的な事件としてアメリカでは知られています。ドナー隊は出発したとき87名いましたが、生き残った人は48名だったそうです。

 アメリカの東部から西部に、徒歩と馬の力で横断するということは大変な仕事であったと思います。今、存在しているトレイル、例えば Pacific Crest Trail などは、先人の行ったアメリカ大陸横断の困難な体験を、追体験しようとして作られたのではないかと思えます。



ドナーパス



ドナーパス付近



冬のドナーパス



トレイルを維持するため作業に参加するボランティア



アメリカの三大トレイルとは、


 太平洋側の Pacific Crest Trail (4260km)

 ・・・地図上の① 

 中央部の Continental Divide Trail (5000km)

 ・・・同④

 東部の Appalachian Trail (3498km)

 ・・・同⑨

 です。

 この三つのトレイルを踏破した人は、「トリプル・クラウン」と呼ばれています。





トリプル・クラウン(Triple Crown)


  私は、2016年6月13日、メキシコ国境から北に705マイル遡った Kennedy Meadows Capm Ground という所にキャンプしました。

 近くに、キャンプしている男女二人組みがいたので挨拶に行きました。

 そこでいろいろ話を聞くと、男性の方がPCTハイカーで、女性の方は彼の友達で、車でここに来たそうです。

 この男性は、PCT、アパラチアン・トレイル、コンチネンタル・デバイド・トレイルの3トレイルを完走した「トリプル・クラウン」だそうです。現在、2度目のPCTトレイルに挑戦しているそうです。

 彼の話によれば、一番困難なのは、コンチネンタル・デバイド・トレイルで、道(踏み跡)が不明の場所が多くあるそうです。

 彼は、コンパスと地図を使い、荒野(踏み跡の無い場所)を”感”だけで通ることが何度もあったそうです。

 コンチネンタル・デバイド・トレイルは、全長5000kmあります。 ここに挑戦する人は、PCTに挑戦する人に比べるとずっと少ないそうです。
 

Kennedy Meadows Capm Ground


2016年4月19日 San Diego

2016-12-01 07:12:07 | 2016年PCTへの旅―4月
この日 San Diego に着く



― 初めに -

このブログは、 2016年 米国の Pacific Crest Trail を一人で歩いたハイカーの記録です。
歩き始めの時 66歳 終了したとき67歳でした。

Pacific Crest Trail とはいったい何でしょうか。略称で「PCT」と呼ばれています。Trail(トレイル)とは山道のことです。山道といっても、日本の高尾山の山道、北アルプスの山道とは違います。PCT の Trail は、基本的に馬が歩けるように作られています。従って、だいたい水平な道が多く、山を登るときはスイッチバック方式(ジグザグ)になっています。直登はありません。

問題はその距離の長さです。PCTは、メキシコ国境から始まり概ね太平洋から 200km ぐらい内陸部の山岳地帯を通りカナダ国境に達しています。メキシコ国境からカナダ国境までは直線距離では 2000km ぐらいですが PCT の距離は 4260km あります。直線距離の約2倍です。これはPCTが、山岳地帯の中で馬・人の通行可能な場所を求め相当「蛇行」しているからです。

この 4260 kmを誰が歩くのでしょうか。一日 20 km程度の距離では 213 日かかります。また別の問題もあります。それは、カリフォルニア州中部に「シエラネバダ山脈」という大山塊がありこの山脈は雪のため 6 月にならないと歩けるようにならないということ、及びカナダ国境地帯は 10 月には雪が降り始めるため、9月までにカナダ国境に着かなければならないということです。つまり歩く時間はそう長くは取れないのです。

この限られた時間で歩こうと思えば、一日 30 km~ 40 km、これを5~6ヶ月続けなければなりません。若い人にとっては、一日 30 km~ 40 km 歩くことは可能かもしれませんが、5~6ヶ月間の休暇を取ることは難しいでしょう。退職して時間のあるシニアには 一日 30 km~ 40 km歩くことは難しいでしょう。

結論を言えば、このトレイルに挑戦しようとする人は、休学届を出してきた大学生、仕事を辞めてきた元会社員、アルバイトで生活をしており比較的長期休暇を取りやすい人、退職して時間のある人、などなどです。このPCTトレイルの踏破を契機として新たな人生を切り開きたいという人もいます。

私の場合、「退職して時間のある」範疇ですが、「足」は強くありません。「半年間で 4260 km」を絶対とは考えていません。もし途中で進行が遅いようであれば、ヒッチハイクでもなんでもして臨機応変に距離を稼ぐつもりです。

PCTの南の出発点はメキシコ国境沿いにある Campo という小さい村です。Campo に行くためには San Diego に行かなければなりません。


4月19日

成田空港を4月19日17時に発ち、ロサンゼルスで乗り換え、(時差の関係で)4月19日11時 San Diego に着きました。San Deigo での宿泊場所は 「Hostelling Int’l - San Diego」 です。

San Diego では スマホの「sim」カードを購入、ATM でドルを引き出しました。

ちなみに、私はこの年まで米国に来たことはありません。初めてです。英語も NHKラジオ 第二放送の英会話を聞いて勉強したぐらいです。当然、ほとんど英語はできません。

私が以前勤めていた会社の当地駐在員A君に会いました。

A君より面白い話を聞きました。

私「メキシコを自転車旅行したいが安全ですか?」(自転車旅行は私の趣味です)
A君「メキシコは危ないですよ。大通りでも襲われることがありますよ。やめておいたほうがいいですよ」

米国のいわゆる Down Town について

A君「アメリカのダウンタウンと呼ばれる地区は、ほとんど南東の方角にあります。それは「風」と関係があります。つまり、一般に、風は、西から東へ(偏西風)、北から南へ(北風)と吹きます。従って、昔、道路の埃、蒸気機関車のばい煙などは風により南に及び西へ運ばれそこにたまりました。そのためその町の南東の方角の地区は住みにくくなりました。その場所から白人が出てゆきかわりに黒人が住み始めました。このようにしてダウンタウンという場所が形成されました」 なるほど。

異国の地で話せる人がいるというのは本当にうれしい



 サンディエゴのユースホステル(ここに泊まる)


サンディエゴはアメリカの軍港でもある。退役した空母が、ミュージアムとして子供たちの教育の場になっている。


これは第二次世界大戦の帰還水兵のモニュメントの様だ。いかにもアメリカという感じだ。

 
兵士の前で演説をする将軍のブロンズ

4月20日 San Diego 2日目

2016-12-01 07:11:47 | 2016年PCTへの旅―4月
San Diego 2日目
食料の購入及び先のポイントへの送付


PCTトレイル上で食料を販売している店がある町は限られている。また店があったとしても「駄菓子屋」程度の場合もある。そこで、食料を先々のポイント(郵便局留めで)送る必要がある。重い地図・今すぐ使わない装備品なども同じだ。
 
― 地図 -
パソコンで印刷したA4の地図は476ページある。重さにして1kg。これを全部持って行くわけにはいかないので、バラバラにして先のポイントに送る。

― 装備品 -
例えば、いますぐ使わないダウンジャケット・レインウエア・アイゼンなどは、先のポイントに送る。

― 食料について -
ハイクで使う食料は、軽く且つカロリーが高いこと。米国でどんなものがあるのかはわからない。適宜、スーパーで選び、食べて、よければそれをまた買うというやり方しかない。

ちなみに今日買った食料は、
  バー 14本、
  シリアル 10個
  アイダホポテト 116g 3個
  クルミ 453g 1個
  ソーセージ 225g 1個
  粉ミルク 90g 1個
  スープ 100g 4個
  コーヒー 7個
  フルーツバー 8個

上記の地図・装備品・食料をポイント・ポイントに分け、郵便局から送る。