CBTセンター

認知行動療法の使用感・使用例などを具体的に書き込む

コラムはなぜ精神症状を改善するか?

2006-04-07 | 雑談
時々「コラムはなぜ精神症状を改善するのだろうか?」と考える
今日はそのことについて書きながら考えてみたい。

大きく言えば「症状のシェマ」と「CBTのシェマ」が異なっているからだろう
例えばうつの文脈は「動けない」や「頭が働かない」であり、CBTの「コラムを書く」や、「あれこれ考えて自らの主張に反論する」はミスマッチだ。
そのように精神症状のシェマと異なるシェマとしてCBTが段階的に導入されれば、自然と脳の方で調節がなされ、うつのシェマを阻害(縮小)する事になる。

また脳・認知・行動のリソース面からも考えられる。「コラムを書く」ことは症状に浸る事を邪魔する。
例えばパニック障害で言うと、エクスポージャーシートを書く事と、自分の身体的な変化に多くの注意を払って浸る事は、それぞれにリソースを食うので並列処理する事がとても難しい。書けないか、どちらもが中途半端になるか、浸れない(パニックになれない)か、困った事になるだろう。OCDでも書きながら手を洗う事はしづらい。
しかしここには注意が必要で、多くのパニック障害の方が取る「気の紛らせ行動(例:バッグをかき回す、冷たいものを飲む/体に当てる、携帯でゲーム/話をする)」は、機能/行動分析的にはむしろ「症状を維持・悪化」させると解釈される。
むろんエクスポージャーの当初はそれらの安全確保行動はある程度必要だが、最終的にはそのような安全確保行動を全てやめ、何も紛らすことなく不安の上昇に耐え、上昇した不安がある一定時間維持された後、回避や対処を全くとらずに時間の経過だけで不安が減衰する事を学習する必要があるとされる。そうしないといつもの安全確保行動が増えていく結果になるだろう。
では、何ゆえコラムを書くというリソースの消費は治療にポジティブで、いつもの気を紛らわせる系のリソースの消費は治療にネガティブなのだろうか?

これはコラムが学習=記憶のサポートをしているというのが理由かもしれない。
いつもの紛らわせ行動は不安の上昇時に用いられ、その行動によって不安が低減したという学習が成り立つ。コラムの場合は不安の上昇前、ピークの維持期間、下降時までのタイムスパンの中で思考/行動/身体反応をチェックできる。
最中にチェックすること自体はおそらく治療にネガティブだが、後に紙に書かれた一連のシェマを再チェックする事で再学習が可能であり、差し引きプラスになるのだろう。
言い換えればエクスポージャーのコラムを書いたり読んだりする事は、in vivoのエクスポージャー1回プラス、in vitroのエクスポージャー数回の効果を上げるので、プラスなのだろう。

さらに「言語」ないし「書くという行為」が持つ主たる効果についても考えるべきだと思う。例えばこの論考も「書きながら考え、考えながら書いて」いる。哲学の方向に踏み出さなくても、日常的な常識として言語や書字が考えを整理し、まとめ、比較的メタにする現象を起こす。
「①現象そのもの」よりも「②言語(会話)」は比較的メタで、「③書く事」の方がよりメタで、「④書いた事に対して書く事」は更にメタにと、永遠に続ける事ができる。
そういう意味では生の現象であるウツや不安を、メタ化する事なくしては書き表せないし、コラムは更にメタ化を推進するフォーマットを有している。
精神分析や来談者中心のメタ化は②に留まり、行動療法のメタ化は③付近が多いと思う。CBTは重点を③以降に移す事で効果の拡大がなされている。
ちなみに③はセルフモニタリングがそれにあたり、④は反論する余地のあるコラムがそれに当たるだろう。
しかしこの事は①や②への軽視になると上手くない結果になる。①⇒②⇒③⇒④へのメタ化展開のプロセスがCBTの真骨頂であって、とつぜん④のメタ化を導入するのは木に竹を接ぐ結果になる(いきなりコラム書いてくださいってのがそうだと思う)。
③、④に対するフォードバックも結局②の言語(会話)でなされ、そこでも認知再構成が行われるのだからやはり重要。「CBT話芸」ができるようになってから、その補助に③、④を使うってのでもいいと思う。
もちろんそもそも③、④あたりからできる対象者に、モタモタ念入りに①をする事は治療コストを増やすだけだが。


しかし、なぜメタ化は症状に対抗できるのだろうか?
仮説A:メタ化は明らかに大脳新皮質の働きからもたらされるので、メタ化が大脳新皮質の辺縁系にフィードバックをかける(あるいは症状を維持・悪化させる別の新皮質部分に干渉する)パワーを増す
仮説B:発病するという事はすなわち非メタ化を意味するので、メタ化が治療として成り立ちうる
等考えてみたが、どうも証明不可能なトートロジックの態だ。

とりあえずここまでをまとめると、「コラムがなぜ効くか」は
1、症状と異なるシェマのミスマッチを脳が調整するから
2、脳・認知・行動のリソースを食って妨害するから
3、in vitroの経験を増やし、学習=記憶が定着するから
4、メタ化を促進するから?
となった。

書いてみると1も2も3も4も同一ないしパラレルな現象について、言葉を変えて言っているだけのような気がする。
こんな事をあれこれ考えたりせずに、「現象として効いていると第三者が言っている(エビデンスがある)」から、まあいいじゃないかというのが、とりあえず私のスタンスです。


2 コメント

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「シェマ」ってどういう意味ですか? (TKAK)
2006-04-16 17:37:16
 最近このブログをを知り、興味深く拝見しております。

私はパニック障害ではありませんが、コミュニケーションにおいて、嫌な気分が起こると気晴らしでその場をしのぐ事が少なくありません。根本的な解決は積み残す結果となります。そのせいか最近は不都合を感じることが増え、気の紛らせ行動は「安全確保行動が増えていく」ばかりで「症状を維持・悪化」するという点に、納得しています。

 そして、コラムも個人で可能な時に使用しております。

「①や②への軽視になると上手くない結果になる」という文面が効きました。それまではコラムを「③書くこと」に意識がむき、結局書けずに終わる状況が少なくありませんでした。でも「②言語(会話)」から始めると時間は要しますが、私の場合「書くこと」へつながり易くなってます。②をするにあたり、私は「会話」ではなく自分の中で「言語」で表現し、受けとめるように心がけながら。

 コラムについての精神状況の改善ですが、私の場合は、自分の行動を受け留めようと思えるようになりました。私のクセは、自己嫌悪・劣等感などの不都合な思考、感情、解釈が起こったら、それを引き起こした行動自体を自分で禁止、避ける事が多かったです、無条件に。自分で自分の行動枠を狭め追い詰めてるので、年々不自由な感覚が増してます(こう書いていると私は、パニック障害の症状?に誓いような気になってきました)。そんな中でも、コラムを書くことにより、自分の心境とフィットする解釈をどんどん書き綴っていくと、多少気が楽になりました。自己嫌悪・劣等感も私にとっての現実で、それを踏まえてまた別の解釈を導きだすようにしてます。少しずつ自分の行動自体を否定しなくてもいいような気持になってます。ただ評価して欲しい、という気持は自分自身でどうにもできませんが。

 表現したい気持ちが長文となりました。ブロク楽しみにしています。
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Unknown (管理人)
2007-01-05 16:55:25
シェマは認知スキーマでは無いですw

その人の経験に基づき認知、行動、感情、身体反応を統括し、情報のインプットと処理、およびアウトプットをつかさどるシステムです。

>自己嫌悪・劣等感などの不都合な思考、感情、解釈が起こったら、それを引き起こした行動自体を自分で禁止、避けるクセがあったが、改善し自分の行動を受け留めようと思えるようになりました。

まさしくそれが認知療法の勘所だと思います。たゆまず精進してください。
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