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[WWF]へーげる奥田の空談言説

サークル「WWF」主宰・へーげる奥田が適当に告知したり興味の対象について論じたりするウェブログである。

東京を歩きながら押井作品について考える(上)

2008-10-26 11:41:28 | Weblog
清瀬 六朗

中央大橋の橋脚を見上げる。




日本橋の「道路元標」(複製)。




勝鬨橋。船が通り抜けられるように中央部が跳ね橋形式になっている。今日では船が通ることはないだろうけど。その跳ね橋部分が高くなっているのもわかる。




 まだ梅雨が明けていない七月某日、私は勝鬨橋のたもとにいた。川の両側がアーチ式で、まん中が跳ね橋式になっている橋だ。
 銀座から東京駅方面に歩いていたはずだったのに、九〇度違う方向に歩いていたらしい。あいかわらずの迷い癖で、困ったものだ。
 そのとき、まだ今回の「押井学会」の原稿を書いていなかった私は、この偶発事件をきっかけに、「東京を歩きながら押井作品について考える」という企画を考えついた。以下は、そのときに考えたことの記録である。

 勝鬨橋まで行く途中で、築地の中央卸売市場の建物が昔ながらの町並みの向こうに見えたとき、たしかに道をまちがったような予感はしていたのだ。
 ふと緑に変色した銅板で覆われた店舗に出会い、私は思い出した。
 このというと、以前は「看板建築」で有名な一帯だった。有名な看板建築で「築地のナンデモヤ」というのがあったと思う。
 「看板建築」というのは、普通の店舗の二階の屋根を屋根裏部屋にして、前面を銅板などで覆って装飾を施し、建物全体が看板のように見えるようにした店舗建築だ。関東大震災後の東京復興のときに多く作られたという。できたころは銅板があかがね色に映えて面映ゆい家だったのだろう。でも、いまではその銅板の全面に緑青がふいて、地味な、けれどもまわりの家とはやはり違う、独特の味のある家になっている。よく見るとかつては銅板の上に輝いていたであろう装飾がそのまま緑青の色に埋没して残っている。


佃大橋



中央大橋



永代橋






 そういう店舗建築を、建築史家・建築家の藤森照信さんが「看板建築」と名づけた。私は、imaginary press incの登坂正男さんが劇場版『機動警察パトレイバー』(一作め)の評論で採り上げていたことでその存在を知った。押井守の生家がじつは看板建築だったのではないかという話も登坂さんの本に出てくる。
 その劇場版『パトレイバー1』(第一作には「1」という番号はついていない)で、シゲさん(シバシゲオ)が下宿していたのがたぶんこの一帯だ。謹慎中の遊馬といっしょにHOSに仕組まれたウィルスの引き金を探っているあの部屋である。
 特車二課は埋め立て地にあるという設定だった。そこへの通勤を考えれば、海に近いこのあたりに住むのが理にかなっていたのだろう。もっとも、シゲさんの仕事や気質を考えればどれだけ下宿に帰れたのかはわからないけれど。ときどき不定期に下宿に帰ってはいろいろとぼやきながらPCを操作し、すぐに二課に戻ったのではないかと想像する。
 現在でもこの築地の一帯に看板建築はいくつか残っている。八丁堀の近くでも見かけた。
 現在、東京の建物は「都心回帰」の流れや規制緩和のおかげで盛んに建て替えられつつある。バブルのころと較べてどうかはわからないけれど、東京の景観はいま大きく変わっているところなのだ。その象徴が、押井守がオープン記念映像の製作にかかわり、いまでも毎年の二月二六日イベントの会場になっている六本木ヒルズだろう。


六本木ヒルズ森タワー。すぐ下から見上げるとほんとうにバベルの塔のような感じがする。六本木ヒルズのオープニングイベントでは、押井監督の『TOKYO SCANNER』と、野田真外監督の『東京静脈』が上映された。また、このビル内の「アカデミーヒルズ」では、毎年2月、押井監督と軍事評論家の岡部いさくさんを招いて「PAX JAPONICAプロジェクト」のイベントが開かれる。2005年度には、映画『ローレライ』の公開をひかえていた樋口真嗣監督もゲスト参加した(後半のみ)。



アカデミーヒルズから東京タワー越しに隅田川下流方面を見た風景。2005年のPAX JAPONICA Projectイベント時に撮影した。ガラス越しの撮影のため、よく見るとイベント会場の内装が反射して映っている。





 それを考えれば、一九九〇年代まではもっとたくさんの看板建築がこの地区には残っていたのだろうと思う。
 この通りをさらに東南に向かって歩くと隅田川に出る。勝鬨橋のすぐ近くの公園だ。振り向いて見上げれば聖路加病院の高いタワーが並んでそびえ立っている。
 隅田川ではこの勝鬨橋が最下流にかかる橋で、その上が佃大橋である。その上流で吊り橋式の中央大橋を過ぎたところで晴海運河と合流し、その上が永代橋だ。
 劇場版『機動警察パトレイバー2』で柘植の決起部隊が武装ヘリで爆撃して壊していったのが、この隅田川にかかる橋だった。
 同じ『パトレイバー2』で、その柘植に決起前夜に呼び出された南雲しのぶは、東京湾岸か隅田川の河岸まで自動車で行き、そこから柘植の部下の船でおそらく日本橋川をさかのぼっている。日本橋川は日本橋の下を流れている川だ。永代橋のすぐ上流で隅田川から分かれる―というのは下流からさかのぼった言いかたで、上流のほうから説明すれば、永代橋のすぐ上流で隅田川に合流する。
 六本木ヒルズで公開された野田真外さんの『東京静脈』(押井守監修)でもこの川をさかのぼっている。しのぶが連れて行かれたのは東京湾岸のほかの運河ではないかという感じもするのだが、道行きの長さから考えるやはりこの川だろう。それに、この川だと考えれば、柘植の決起部隊がにわざわざ日本橋を爆撃して破壊する意味も生きてくる―いや、べつに意味が生きなくてもいいんだけど。ただ、この映画での東京攻撃の場面のうち、ほぼこの日本橋の爆破の場面だけ、破壊される前の橋と照準をつけるヘリのパイロット(武装ヘリってパイロットと狙撃手は別?)を描いてから橋の破壊を描くという描写のされ方をしていることには注意したほうがいいだろう。


柘植の決起部隊の武装ヘリはミサイルでこの日本橋を落としているが、実際には、この高速道路の狭いすき間からミサイルを撃ち込み、しかも麒麟像の左右に一発ずつ命中させないといけないので、実行するのはかなり困難だと思う。




日本橋中央の麒麟像。この翼のある龍のような動物が本来の「麒麟」なのだろう。ちなみに「幻の空爆」に出てきた「ワイバーン」も翼龍のことだったはずだ。柘植部隊は、この「幻の空爆」の際の「ワイバーンを殺せ」という命令をここで実行したわけだ。ちなみに橋の両側は獅子像である。



 こういうことを考えてみて、気がついたことが二つある。
 一つは、私たちは東京の地名をバラバラに知っているけれども、その互いの位置関係をよく知らないということだ。
 『パトレイバー1』のシゲさんの下宿のすぐ先に隅田川が流れていて、『パトレイバー2』で柘植の決起部隊が攻撃したあたりと隣り合っていたということは、私はこの日まで―銀座から歩いて勝鬨橋まで行ってしまった日まで気がつかなかった。
 たしかにあとで地図を確かめてみれば知識としては昔から知っていたことではあるのだ(ちなみに勝鬨橋を渡ってさらに進むと、昔コミケをやっていた晴海の国際展示場の跡地に着く。もっとも、いまコミケに参加する人のどれだけが晴海を知っているだろう? ビッグサイトに移ってもうすぐ一〇年だからな……)。しかし、築地と隅田川の近さというのは、その場に住んででもいないかぎり、なかなか気づくことはない。だいいち、私にとっては、隅田川とは両国や浅草のあたりを流れている川であって、銀座や築地のあたりを流れているのはどうも「場違い」な気がするのだ。しかし、もしかすると、築地や勝鬨で育った人は、まったく逆に感じるのかも知れない。
 私たちは東京の地名を―もっというと東京の土地を―せいぜい鉄道の駅名の並びでしか知らない。川の流れもその鉄道の車窓から見た順番で覚えている。だから、たとえば、たまに北区のほうに行き、荒川と隅田川がすぐ近くを寄り添って流れているのに出会うと、「え? 何で?」などと違和感を感じるのだ。もちろん、これも北区に住んでいる人にとってはあたりまえのことなのだろうけど。



下流側から見た日本橋。日本橋川の上には、箱崎から上流にはずっと首都高の道路が走っている。



日本橋川と隅田川の合流点附近。艀船が繋留してある。この川がいまも「静脈」として生きていることがわかる。



押井作品のことを考えながら歩いていると頭の上から鈍い轟音が……顔を上げるとなんと飛行船だった。飛行船はあんがい気づきにくいし、のんびりしている外見からするとけっこう速い。「Ultima Ratio」とか書いてないかなと思ったが、残念ながら(?)「Yokoso JAPAN! 愛・地球博」だそうで。そういえば愛知万博もそろそろ見に行かないとな……。


(下につづく)

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