名のもとに生きて

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美しきデンマーク王女三姉妹 テューラ

2016-01-20 14:49:43 | 人物
デンマーク王女続き





Thyra of Denmark
1853~1933


⑶三女テューラ
三女テューラは6人兄弟姉妹の5番目で、長女アレクサンドラとは9つ違い、次女ダウマーとは6つ違い。年齢が離れているので、一緒に遊んだり学んだりという間柄ではなかったと思うが、成人してからは共に仲睦まじい姉妹であった。









テューラも母親譲りの美しい顔立ちで、やはり姉達とも似ていた。相次いで大国に嫁いで行く姉達を見てきて、自分の将来をどのように思っていただろうか。テューラの下に5つ離れた弟がいる他には、10歳上の兄王太子フレゼリクがいたが、当時はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に従軍していた。8つ上の兄はギリシャでゲオルギオス1世としてすでに即位していた。ちなみに、ゲオルギオス1世こと次男ヴィルヘルムは17歳で即位したのに対し、兄フレゼリクのデンマーク国王即位は64歳。在位は6年間、1912年病没。弟は在位50年、1913年、67歳で暗殺されている。


17歳の悲恋
18歳のテューラは1871年に、黄疸のためギリシャの兄の元に身を寄せ、人に会わず静養していた。と、世間には公表されていたが、実は秘密裏に出産していたのである。
デンマーク宮廷に仕える中尉と恋仲になり、身籠ってしまった。12歳年上のヴィルヘルム・マーシェル中尉は宮廷内の蝋燭を消灯する係に従事しており、各部屋を廻る中でプリンセスにも接する機会があった。このことはもちろん、家族の他には極秘にされ、事実が知れないようにギリシャで出産するよう兄が計らったのである。
テューラは娘マリアを出産したが、名前をカーテと変えられ、ある夫妻に預けられた。マーシェルはデンマーク国王に謁見した直後、自殺した。
このあとテューラは体調を崩し、腸チフスも患った。


マーシェル中尉?

このことは他国はもちろん国内でも知られていない。ヴィクトリア女王の適齢期の次男アルフレートがこの頃に、テューラに関心を示していたらしいが、そのことからも窺える。
なぜ中尉は自殺したのか、謁見の内容の記録はもちろんないのでわからない。自らの意志による自殺か、あるいは半ば強要されたものなのか。中尉にとって不幸なことであった。
娘のカーテはごく普通の生涯を生きて、1964年に亡くなっている。彼女が自分の出自を知っていたかどうかもわかっていない。

カーテと養母

カーテ 1896年


結婚
1878年、テューラは元ハノーファー王太子エルンスト・アウグストと結婚。三男三女を得る。
オーストリアのカンバーランド城にて家族と共に暮らした。


子女
テューラの三男三女は以下。カーテは除く。

①マリア・ルイーゼ 1879~1948
❷ゲオルク・ヴィルヘルム 1880~1912
③アレクサンドラ 1882~1962
④オルガ 1884~1958
❺クリスティアン 1885~1901
❻エルンスト・アウグスト 1887~1953













男子は3人。しかし次男クリスティアンは虫垂炎から腹膜炎を起こし、1901年、16歳で亡くなった。
嫡男ゲオルク・ヴィルヘルムは、1912年5月、叔父のデンマーク国王フレゼリク8世の葬儀に参列するため、自らの運転する自動車で向かっている途中、交通事故死した。テューラにとっては、兄に引き続き、その兄の死のために息子を、しかも嫡男を亡くしてしまった。

ゲオルク・ヴィルヘルムは自動車好きでカー・レースにもよく参加するほどだった。31歳の事故死はウィリアム王子を思い起こさせる(別記事)。
このポートレートカードには既に亡くなっているクリスティアン王子も描かれていることに注目


しかし、これが元となって一つ幸せが訪れた。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世から亡くなった兄宛に弔文を賜った返礼に、三男エルンスト・アウグストが皇帝を訪れた際、皇帝の末子で唯一の娘ヴィクトリア・ルイーゼと出会い、互いに魅かれ、翌年1913年5月に結婚した。ハノーファー家にホーエンツォレルン家が嫁いだことになり、両家の融和を象徴するものとなった。そしてこの結婚式は、翌年勃発する第一次大戦を前に、ヨーロッパ王族が一堂に会した最後のときであった。

ヴィクトリア・ルイーゼ

エルンスト・アウグスト



なお、エルンスト・アウグストとヴィクトリア・ルイーゼの娘はのちのギリシャ国王パウロス1世妃フレデリケである。フレデリケと弟クリスティアン・オスカーについては、別記事「ヒトラー・ユーゲント」に少し書いている。

テューラの息子夫妻と孫達

孫フレデリケとクリスティアン・オスカー

晩年
第一次大戦では、姉達の住む国とは敵国になっている。戦後は、姉ダウマーが最大の不幸を抱えることになってしまい、また兄達も既に戦前に他界し、デンマークもギリシャも次世代が王になっている。特にギリシャは政情不安定となり、甥達は危険にさらされていた。

3人とも6人の子をもった。
アレクサンドラとテューラは成人した嫡男を若くして喪った。また、アレクサンドラとダウマーは生まれて間もない息子を亡くしている。正式な子ではないが、出産後まもなくテューラは初めての子と別れねばならなかった。
共通しているのは、3人とも80歳前後に亡くなっていること。
長い一生において、幸せばかりということは誰にもないが、デンマーク王女の3人も、それぞれが苦しみや悲しみに直面しながら強く生き、母となり、祖母となり、子や孫を世に残していった。
そして3人に共通していたこと、それは美しい笑顔を絶やさない優しい人だったということである。

母と三姉妹

テューラと3人の娘達 やはりこの三姉妹も美しい