ばなな庵主『最後の一本バナナ週末記』

「最後の一枚」か。「もう二度と戻れない」修行・勤行中にも邪念だらけの庵主。「立つ」闘いの記録。『Dekuの棒週記』続編。

悟りとは

2007-11-20 20:48:24 | Weblog

 

時間がないのでちょっとメモ風に。

 

仕事が終わって、社長が車で迎えに来てくれた。なかには他の現場にいっていた人たちが数人すでに乗っていた。

 

「手配師」

 

の言葉が浮かんだ。若き経営者です。

 

中の一人が、「使い捨て」という言葉を使った。最近若いガードマンが増員されて来ているという傾向を聞いた時だ。いった彼は世間から見れば中年だろうか。私は「林住期」。

 

昨夜の「クローズアップ現代」で、「使い倒し」という言葉を聞いた。リアルで新鮮だった。

 

名前だけの管理職でつって、残業代を払わないようにして人件費を浮かすという。今の企業スタイルだそうだ。残業月80時間が過労死ラインというのをはじめて知った。その2倍の残業をした人が「店長」の名のもとに不払い。うつ病に追い込まれてやめた人もいる。

 

経営コンサルタントが講演をしていた。裁判を起こされても負けないようにするには、契約書にはじめから残業代を含むと書いておくことだといってた。もちろん聴衆は経営者(人事担当?)たちだ。

 

管理職とは、経営者と一体、時間を拘束されない(タイムカードをおさない?)、それなりの待遇を得るもの、というのが定義らしい。

 

名前だけの管理職にすると、定義とかけ離れて、ワーキング・プアと過労死を合わせたような実態だという。

 

なぜ、そんな「現実」に、「願望」を棄てて、足を踏み入れるのだろうか。証言していた。今ここで、正社員、管理職にならないと、またいつまでも派遣か、フリーターで、不安だと。

 

「願望」はあるのだろうか。ないのではないかい。

 

使い捨てといった同僚に、ずっと立ちつづけていると、どんどんバカになっていくような気がする。どうしたらいい?と聞いた。即、

 

「悟り」を開くこと。

 

全国93万人の警備員に、立ちつづけるだけで、救いと願望を与えることのできる「悟り」。

 

彼らに希望を、彼らからお布施を、これが「願望と現実」の一体化した現場からの声であった。

 

警備真理教、または真理警備教。

 

彼らは強い。いつまでも派遣か、フリーターかという不安が表向きはない。ガードマンは、アルバイト身分ですから。そこから考えようと、彼がいったのではないか。私たちの「願望と現実」を。一言でいえば、

 

悟り」

 

明日も4時起きだ。始めたころは7月だったから、この時間でもいいとしても(よくないか)、今はきつい。でも12月22日で竣工となった。

 

あと1か月の「立禅」で「悟り」の光がほしいです。

 

 



最新の画像もっと見る