源ザの独り言日記

日々あったこと、感じたことを気軽に書き込みます。

里見公園とじゅん菜池ウォーク

2006-10-31 20:33:56 | Weblog
家に居るのがもったいない秋晴れが続いている
ので思い切って市川市国府台地区の里見公園と
じゅんさい池公園ウォークに出かけた。
車で約1時間、じゅんさい池公園駐車場はいつも
満車で困るが今日は1台空いていてラッキー。
じゅんさい池公園は毎年春夏秋の3回来ていた
が今年は如何したことか初めてになる。
この公園は緑豊かな高台に囲まれた細長の谷地で
昔から湿地又は小川か沼だったかと想像できる。
公園は狭いが日本庭園風なので心が和む。
じゅんさい池の名称はネバネバの「じゅん菜」が
育っていたことから付いたようだ。
今も綺麗な湧き水で育てている。
最初来た25年前も同様に育てていたが一向に面積
が増えていないのが残念だ。
池には多くの鴨が来ていてお年寄りが餌を与えている。
歩くうちに桜が数本咲いているのにビックリした。
花びらは小さく山桜系統かと思うが解説板がないのが残念。
公園は歩いて15分程度で抜けてしまう。
私たちは最奥の梅林を抜け、斜め左の狭い坂道を
登り里見公園に行くことにした。
昨年もこのコースを散策したから自信がある。
雑木林とお寺とお墓が点在する曲がりくねった
小道を20分程歩くと国道14号と6号を結ぶ
県道市川松戸線に出る。
手押し信号を渡り、そのまま直進すると
薄暗く奥深い雑木林の小道に突進することになる
ので1人では勇気がいる。
抜けた住宅地の一角にじゅん菜池と同じ桜が咲いていた。
しばらく住宅と竹林と雑木林が混在する狭い舗装道路を
行くとT字路となり、ここで郵便配達の人に公園を確認
し、右折し、すぐ左折すると工事中の曹洞宗の総寧寺に出る。
門前に「下馬」と記された置き石があり、由緒ありそうな
お寺である。説明版には北条氏に乞われて関宿に開山。
度重なる災害で当地に移転し、徳川時代に
曹洞宗総元締めとなったという。
「里見公園」も総寧寺の敷地であった。
「里見公園」は8.2ha、眼下に渡良瀬の下流にあたる
東京都と千葉県を隔てる江戸川が見渡せる高台にある。
入園するとドイツから送られたバラ種「マリア・リサ」
を記念してバラ園「ローゼン・ハイムガーデン」
が目に飛び込む。
この公園を含め周辺には古墳がたくさんあるので
古代から繁栄していた土地柄と思われる。
公園内には北原白秋の草舎、明戸古墳、里見氏と
戦死者のお墓、泣き石、羅漢の井などがある。
私が初めて来たのは、小学校卒業の春休みに
クラスメートに連れてきてもらったことによる。
当時は雑然としていて今のように整備していなかった
と記憶しているが、西側の眼下に見えた広々した江戸川
と里見氏のお姫様が嘆き悲しんで石になり、毎夜泣き声が
聞こえたといわれた「泣き石」は今でも鮮明に記憶が
残っている。
私は親と離れてクラスメートと東京の下町を
離れる冒険に新鮮な感動を覚えたものだ。
帰りは桜通りを真っ直ぐ県道市川松戸線に出て、
国府台病院の脇の坂道を下ると10分程で
「じゅん菜池駐車場」行ける近道を採った。
すでに12時を過ぎ、歩数計は15,000。
頑張りました。










東京都と千葉県を隔てる江戸川

知的障害グループホームに寄附

2006-10-30 22:36:55 | Weblog
道路舗装組合解散に伴う余剰金の最後の寄附先を
探していたが旧町内会に知的障害グループホームが
あるとのことで知人の案内で訪問した。
昨年4月に開園した女性専用の共同生活型サービス
施設で4室+予備室(体験宿泊用)の小さな小さな
グループホームだった。
運営はNPO法人、敷地は無償提供、建物は代表者の
全額借金で行政からの補助は一切貰わなかったとのこと。
障害者支援施設しろ介護老人施設にしろ、一部ではあるが
行政の補助を目当てに開園する者もいるといわれて久しい
のに見上げた精神だ。
世知辛い世の中、わが地区内にボランテア精神に基づく
このような施設があることを知らなかった。
小さな施設は手づくりの運営が可能で入居者は
幸せだと思うのですが、収支は均衡しているのか
部外者ながら心配になる。
聞くと障害者自立支援法改正で運営は楽ではない様だ。
地域で支えていくのが理想だが、住宅地の知的障害施設
は近隣から嫌悪感を持たれるのが日本の風土とは東京での話し。
先日も東京の精神病棟で事件が起こったばかり、施設は応援し
たいが近くに来て欲しくないのが本音だ。
介護老人施設は各地で時々閉鎖されていると聞く、
先ごろも東京で介護老人施設が強制的に閉鎖された。
理想と現実のギヤップなのか、乱脈経営なのか
ボランテア精神だけでは解決不可能のようだ。
「障害者、支援したいが後ずさり」




姪御さんの顔を忘れてしまった義母

2006-10-29 21:20:27 | Weblog
入院中の義母を実家の姪御さんたちが2人
遠方からお見舞いに来てくれた。
お二人とも80歳を越えているから
息子さんたちが同行してくれている。
義母は要支援1から再三の再審申請で
昨年の要介護1に戻ることができた。
これにより入院中の病気が落ち着けば
介護老人保健施設に申し込みができる。
物忘れ診療科の先生は要介護3の症状と
の診断だが諦めることにした。
ところが今日、お見舞いに来てくれた
姪御さんたちが思いで出せないでいる。
昨年も生まれ故郷のお墓参りで、姪御さん
ご一家と親しく話をしていたのだが。
急に認知症が進んでしまった。
毎日、三食昼寝付でやる事がないのが原因だ。
早く老人保健施設に移れることを祈りたい。
「わが母を、世話を焼き過ぎ、駄目にする」

日本シリーズ優勝でもファームは練習中だった

2006-10-28 23:03:35 | Weblog
イースン日本ハムの本拠地はわが町にある。
球場に併設した雨天練習は素晴らしいという。
選手の宿舎も併設されていて入団当時の
ダルビッシュ投手も一時暮らした。
この球場が完成したのは4~5年前。
隣の高台にあるお寺から工事中のここが
良く見え懐かしい。
この球場のバックスクリーン側に農道があり、
ここからグランドが一望できる。
この道はゴルフ場の裏手に出て植物園に行く
抜け道にもなっている。
午後、植物園のバラを見に行く途中グランド
を通るとファームの選手が練習していた。
日本一になったのだから祝賀ムードでお休みか
と思っていたがプロとは競争世界であることを
思い知らされた。
小泉改革で所得格差が広がったとされ、問題
になっているがスポーツの世界は過酷だ。
シリーズ制覇は4年連続パ球団となった。
その上2年連続監督はアメリカ人だ。
日本ハムの本拠地は3年前札幌ドームに移転して
シリーズ制覇の26日は4万2千人が見守っていたという。
ジリ貧の北海道経済のカンフル剤になればと期待している。
旧東映フライヤーズ時代から44年ぶり快挙だそうだ。


公園に野球のグラブが寂しく持ち主を待っている

2006-10-27 21:12:10 | Weblog
毎朝、ストレッチに行く近所のふれ合い広場に
野球のグラブが2つ、ポッンを枝に掛かって
持ち主を待っている。
グラブを忘れたことに気付いてすぐ取りに来るか
と思いきや、もう2週間になる。
先日の嵐の中でも早く取りに来てくれることを
じっと待ったことだろう。
私の子供の頃では、考えられないことだ。
その頃、東京下町では空き地でゴム球の三角ベースの
野球が盛んで、素手でやっていた。
その内、軟式A級ボールに替わったが牛革のグラブを
持っている子は少なく貴重品だった。
近所のおじさんによく借りにいったが豚革グラブだった。
豚皮は表面がザラザラしていて、壊れやすい。
私は親に牛革のグラブを毎日、毎日頼んだものだ。
やっと買ってもらったので、毎日ワックスを塗るほど大切にした。
練習や試合が終わって、最初に確認するのはグラブだった。
もしグラブを忘れたら絶対に出てこない時代でもあった。
このグラブ、今でも物置にあるが、ワックスを塗りすぎて
かヨレヨレ、その上今のグラブと比べるとデザインも
ダサイのだが汗と涙が染み付いた子供の頃の唯一の宝だ。
その頃の思い出として、カバヤ製菓?のキラメルで景品に
野球道具引き換えプレゼントがあり、仲間とカードを
集めたものだ。
欲しいものは、何でも安く買える時代の真に幸せな
こととはなんだろう。
「アラジンが、留守でもそろう、欲しいもの」






特老ホームのケアマネさんが交代していた

2006-10-26 23:16:29 | Weblog
今日の秋晴れなか、忙しい1日になった。
予定では資格更新のためのレポートを書くため
午後、東京でレクチャーを受けることだけ。
ところが1000円以上お買い上げの方、砂糖1袋10円
但し品切れ御免のチラシ。
このため急遽午前中駆り出された。
折角出かけるからと、船橋で来月引き落とし分
を銀行に入金し、次にデパートの友の会コーナー
に行き積立金を納めた。
総武線では途中下車してお袋がお世話になっている
特別介護老人ホームへ今月2回目のお見舞い。
お袋は認知症が進んで私のことはすでに分からない。
都度ケアマネさんにご挨拶がてら現状説明を受けている。
最近会えなかったので思い切って聞いてみた。
お辞めになって、新任は外出中とのこと。
長年担当されていた男性のケアマネさんが転勤して、
後任の女性ケアマネは2年間で2人が辞めたことになる。
ケアマネさんは薄給、多忙、その上介護予防制度導入で
事務処理が益々過多になったという。
問題はそれに見合う収入が確保されていないと
何かの雑誌に載っていた。
この警告が現実になったのか心配になる。
最近、有料老人ホームが各地でオープンしているので
引き抜かれてキャリアアップしたのであれば幸いだが。
レポートの取材で旧友と久しぶりにあって帰宅が22時になった。
疲れました。


敦煌の壁画も傷みが深刻とのこと

2006-10-25 22:23:56 | Weblog
昨日の「秋の嵐」鹿島港で2隻の貨物船が座礁したという。
今日は一転秋晴れになって、気持ちも晴れ晴れする。
さて、先週からY新聞の夕刊でシルクロード行「仏教が来た道」
が連載されている。
第5回は中華世界の入口「敦煌」を取り上げている。
記事の中に莫高窟の50以上の窟でかびや塩害による壁面の
傷が深刻化していると報じている。
特に第53窟の壁画の剥落は深刻で修復作業を続けているとのこと。
日本でも高松塚古墳の壁画の剥落やキズが問題になったばかりだ。
私は8年前の夏、汗を拭き拭き砂丘が連なる鳴沙山の崖に描かれた
砂漠の大画廊を訪れた。
4世紀から1000年間に開削された石窟は735、壁画の
延べ面積は4万5千㎡で、1日で見られた壁画は限られる。
石窟を見るには係員が一々鍵を開け、又閉じる。
その上、窟内は真っ暗で係員が懐中電灯で照らして説明して
くれるが照らされた所しか見えないので自分の電燈で照らすことになる。
人口18万人の町に、15年前の2倍の年間100万人の観光客が押しかける。
観光客の吐く息や熱気、汗、電燈の光など壁面に大きく影響したはずだ。
一昨年壁画保護専門基地が現地に設立され、国外の研究機関とも連携する
とのこと。
人類の財産を守る解決策を早く見つけて欲しい。
莫高窟は佛教寺院跡で壁画に描かれた寺院や法会
の場に飾る壮厳具である緑や白の幟に似た播(バン)
は6世紀の仏教伝来とともに日本へ。
遺跡の発掘は歴史の再発見に重要だがその後の
公開対応を十分研究してもらいたい。







同期入社の有名人がやってきた

2006-10-24 21:48:51 | Weblog
冷たい雨と強風の中、彼はやってきた。
我が家には3回目になる。
最初は我々の会社人最後の3年前。
わが町で開いた「新春初笑い演芸会」の
プロモートをお願いしたとき、出演者と
打ち上げを開いたときだ。
彼は同期入社で唯一異色な有名人なんだ。
右往左往していた新入社員時代、すでに芸能の
世界に入り込んでいて最初からユーニクだった。
会社の1室で毎月「落語を聴く会」を始めたの
も彼だ。
それから40年、会社人、語り部兼プロモータ
として活躍し、その経歴から日経の文芸欄、
NHKラジオ深夜便等に顔を出したこともある。
私は一時、彼から落語の手習いを受けたがセンスのなさに
失望して自滅してしまった苦い経験がある。
彼の話は演芸の世界の表、裏話、企画する際の
出演者の選択、会場周辺の顔役への挨拶等
苦労話は実に新鮮で驚きの連続だ。
すぐ半日が過ぎてしまった。
時たま定年組の集まりがあるが、仕事以外能がないから
話は会社の現状と過去の自慢話が中心だ。
さて12月に浅草で年忘れ演芸会を木戸銭
3500円で計画中とのこと、家族で出かけてみよう。

「友来る楽しい話手みやげに」



行田市忍城の姫武者物語

2006-10-23 20:35:15 | Weblog
昨夜半から久しぶりに雨。
恵の雨だが急の寒さはいただけない。
霧雨になったので「歴史街道10月号」を
手に日課にしているウォキングの行き先
は公民館。
この月刊誌、通勤や遠出の際よく読んだものだ。
気持ちを高揚させるのにずいぶんお世話になった。
定年後、手にするのは久しぶりだ。
忍城の姫武者「甲斐姫」の活躍をえがいた
特集「女性たちの戦国武勇伝」を面白く
読ませてもらった。
6月上旬行田市の「古代蓮の里」に行ったとき
郷土博物館の中の「忍城」に立ち寄ったので
懐かしくなったのも一因だ。
忍城は石田三成による水攻め失敗例として昔から
有名なお城だが、特集での楽しい話とは城主と
主力部隊が不在中の籠城戦を城主氏長の娘「甲斐」
の男勝りの活躍だ。
この姫武者と真田幸村の一騎打ち、幸村退散。
そして、秀吉に乞われて側室に上がる筋書き。
郷土博物館の小史には城主、成田氏長の家臣への
知行地の宛行状等はあるが、この話残念ながら
乗っていない。
この成田氏、本拠地は熊谷市上之で武蔵武士
として戦国時代の勝ち組。
姫武者がいても可笑しくはないだろうが。
もし秀吉との間に男の子がいたら歴史は変わったか
と思うと興味が尽きない。










三家族で町内運動会参加

2006-10-22 22:00:26 | Weblog
15回目の4町会合同運動会の日。
娘、息子の3家族で運動会に出場した。
我が家の孫は娘が小1の長女と
保育園の次女、息子が幼稚園年長組
の長男と1歳2月の次男の4人である。
会場は近くの幼稚園専用運動場。
9:00すでに多くの人が集っている。
一時は参加者が少なく存続が危ぶまれたが
新しい住人が増えたおかげだ。
準備委員は皆、古くからの
住人だが、参加者は若い住人が多く、
こんなに小学生がいたのかと心強く感じる。
3人の孫のサポートで代わる代わる出場。
親子ゲームが多いので、休む暇がない。
息子は会社が多忙で、すぐ帰ったが
子供たちは元気だ。
上の孫娘が午後の障害競走で一等賞。
今までの運動会で初めての快挙だ。
嬉しくて涙が出たそうだ。
我が家に戻ったら私の受難が待っていた。
馬飛びの馬役を仰せつかったからだ。
3人の孫は次々と飛び越していく。
1歳2月の幼児はいたずら盛り、
ハイハイでどこでも潜り込む。
危なくて目が離せない。
ひとしきり大騒ぎしてから皆帰っていった。
急に静寂がもどって眠くなってしまった。
「孫たちと走った後の寂しさよ」