源ザの独り言日記

日々あったこと、感じたことを気軽に書き込みます。

涙々の36回中学卒業式/東日本大震災から5年/インドネシア・津波対策ブイ故障放置

2016-03-11 21:18:35 | Weblog
心待ちにしていた中学卒業式は朝から小雨に見舞われた。受付が始まる8時半、車でババと出かけた。臨時駐車場となった校庭にはすでに多くの車が来ていていて驚いた。ババを先に会場に行ってもらい私は事務所に石橋校長にお願いしておいた保護者用卒業式一式書類をもらいに行った。途中、顔見知りの中央地区民児委員に出会い孫が答辞を読むのか聞かれたが息子から知らされていない聞いていないと答えた。事務所入口で教頭が書類を預かっていてくれた。会場へ行くとババが保護者席の最前列に席を確保していた。ババから息子夫婦が対面の最前列に保護者席にいると言うので合いにいき夕方の晩餐会のことで言葉を交わした。式は9時半からで時間まで在校生の予行練習を見守った。昨年は直前に入ったので予行練習などは全部終了していたのだ。式典は式次第通り粛々と進み、昨年生徒会長だった孫を始め卒業代表生が次々卒業のことばを在校生に述べながら涙声になり、釣られて涙を拭う卒業生が目立ってきて、孫たち代表は次の答辞は涙を流して言葉となっていた。最後の卒業生145人全員による卒業の歌と全校生合唱で涙の大合唱となり我々も涙を誘われた。孫は昨年、生徒会長として卒業生に贈る言葉では快活に読み上げていたのとは大違い。昨年の卒業式は孫娘たちの巣立ちだったが一部を除いてドライな式典だったので年次による生徒の感情の違いを垣間見た感じがした。式典の閉式は12時少し前となったため、予定していたジャガ植付けは延期にした。

<東日本大震災から5年>
5年前の14時半過ぎ、民児委員定例会の最中大きな地震に見舞われ出席委員全員ビックリ。暫くして会議を中断して、まずは小学校に出向き生徒の帰宅確認と孫娘を連れて帰り、高齢者宅安全確認訪問など行ったことが今日のことのように思い出す。あれから5年、当地区は平穏な無い日を送っているが、津波に襲われ、原発爆発事故に見舞われた、岩手、宮城、福島3県では1万8000人を超える(死者1万5894人、行方不明者2561人)震災関連死3410人を出し、被災者17万4471人は今だに癒されない毎日を送っている。政府は今月末までの5年間を「集中復興機関」として、被災地のインフラ復旧や住宅再建を進めてきた。だが復興への歩みは遅く、今だに約17万人が避難生活を送っている。新年度からは、5年間の「復興・創生期間」に移行し、復興の総仕上げとなる。復興の大前提は当然、安定した生活拠点の回復だ。今月末で復興住宅の完成は59%、来年3月に85%を予定している。高台などへの集団移転の造成も、1年後に計画の70%が完了すると言う。移転先でのコミュニテイの再構築は重要課題だ。復興住宅の一部では、高齢住民の孤独死が発生しているので対応が注目される。朝刊に岩手県宮古市の重茂半島(オモエ)千鶏地区(チケイ)の小3になった昆愛海(コンマナビ)9歳の元気な姿の写真が掲載されている。4歳のときに東日本大震災で両親と妹と共に津波に襲われ、愛海ちゃんだけが奇跡的に漁具に引っかかり助けられ、親戚宅に預けられた3月22日、たどたどしい平仮名で「ままへ」で始まる19文字を手紙に書き(ままへ。いきているといいね。げんきですか)眠ってしまった写真に感動した。その後も祖父母が避難させようとしたが「ママが待っている」として聞かなかったと言う。重茂半島の津波の遡上高は40mを超えたと言う。被災3県で両親を失った孤児は昨年9月時点で244人、一人親となった遺児は1538人。孤児の6割以上は親族と暮らしているという。
<インドネシア・津波対策ブイ故障放置>
日本同様地震の多発地帯のインドネシア・スマトラ島で今月2日M7.8の地震が発生したが津波観測のために設置していた気象観測用ブイ22基が予算不測からメンテできず正常に作動せず役立たなかったと言う。04年に多くの犠牲者を出したインド洋大津波を受け08年に本格的な津波警報システム設置されたものの12年4月のスマトラ島沖でM8.6の地震の際も一部のブイが作動しなかったという。原因は一部、高価な機材のため盗まれたり、漁の邪魔として漁民が壊されたりしたようだが点検費用が年2億6000万円が必要だが予算が確保できずメンテが不十分だったことだ。耐用年数の5年を過ぎると修理できず、1基約3500万円の新品と交換することになる。