レ・ミゼラブル観劇 archive

こちらは2007年以前のレ・ミゼラブルの観劇記、それからフィギュアスケートとテニス関連の記事を保管してあります。

レ・ミゼラブル 8/4(土) ソワレ(バルジャンとジャベール)

2007-08-20 22:00:31 | レ・ミゼラブル観劇記

キャスト:山口祐一郎、今拓哉、坂本真綾、渚あき、辛島小恵、藤岡正明、徳井優、阿知波悟美、岸祐二、他

私のレ・ミゼラブルは残すところ26日の公演しかないため、それまではお盆でたまった仕事を片付ける毎日です。でもどんなに日常生活にもどっても、魂だけは戻って来れない・・・さて、ちょっと感想が前後してしまいましたが、8/4(土)のソワレで書こうと思っていたことを今更書き記します。

バルジャンが違えばまたジャベールの存在意味も二人の関係性も違ってくる。
前にも書いた様に、別所バルジャンをみているとストーリーが進むごとにどんどん自分の存在に対する疑問というような闇に入り込んでいくのを感じる。
でも今井バルジャンや山口バルジャンにはそういった闇はあまり見えない。
今井バルジャンはコゼットの存在があることで、その闇を回避しているように思う。
じゃあ山口バルジャンは、というと今年になって初めて山口バルジャンが存在の危うさを持たないのはジャベールという人物のおかげかな、と思うようになりました。

自分の名前を消し、全てを自分一人の胸に収めて生きてきたバルジャン。
ジャベールが市長の正体がバルジャンだと気づいた時から、彼だけが唯一バルジャンをバルジャンとして認識している他人になりました。これってマドレーヌ市長にとっては存在を脅かす脅威であると同時に、バルジャンにとっては唯一自分の存在を肯定する人物だったのではないかと思います。

バルジャンがいくら強くとも、自分を知っているのは自分だけ、という状況がタフでないわけないと思うんですよ。まぁ山口バルからはその手の惑いや弱さもそんなには見えませんが、ジャベールがいることで自分が誰であるかという疑問から解放されているんではないかと感じました。

まぁ・・・別所バルジャンはジャベールを必要としながらもその疑問にとららわれていくんですけどね・・・


そんなことを考えながら、漫画『MONSTER』を思い出したんですよね。
ストーリーは全然違うし、人物のキャラクターも違うから比べることに意味はないんだけれど、なんとなくね。
『MONSTER』の14巻辺りでヴォルフ将軍が死ぬ時天馬(一応主人公)に「名前を呼んでくれ。それが私の生きた証だ」と言うんです。自分を知る人間を片っ端から(ヨハンに)殺され、自分を認識する人間が一人も居なくなって死の間際に絶望の風景を見る。

この世に一人でも、それがたとえ天敵(?)のジャベールでも、自分を知っている人がいるということは絶望への道を踏みとどまらせる大きな要因かもしれないな、と思ったりしたんですよね。

『MONSTER』を読んだことない人にはわけがわからない話だよな・・・
有名なコミックですが、有名なだけはある。未読だ、という方は是非!
小学館の回し者じゃないですが、かなり秀作です。


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