カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

遠藤周作『深い河』にみる宗教観

2013-08-15 21:23:25 | 文学


あるきっかけがあって、もう15年以上も前に読んだ

遠藤周作の『深い河』を読み直した。


当時は、昔訪れたことのあるインドが懐かしくて

インドの光景描写ばかりにイメージを膨らませて

読んだので、登場人物の細かい性格描写や体験などは

きっと流し読みしてしまったに違いない。


最後のガンジス河のガートで起きたこと、

そして空港の描写だけは

なぜか生々しく覚えている。


今、読み直してみて、やはりこれは遠藤周作が、その生涯を

通して追い続け、答えを求め続けたテーマの総集編、という

気がする。遠藤は一つの納得できる答えを、この小説を

書くことで見出せたことに満足したのではなかろうか、

それが完璧な答えではなかったとしても。


やはり一番重要な人物は、大津という男である。

そして大学時代、大津の心をもてあそんだ

美津子、という女性。彼女は遠藤が最後までこだわった

『テレーズ・デスケルゥ』の化身でもある。


大津に遠藤は自分の思想を語らせている。


神学をまなび、神父をめざした大津は、西欧のキリスト教観に

違和感と疑問を感じ続け、異端的考えに毒されている、と

評価されてしまい、神父にはなれず、インドのガンジス河で

遺体を運ぶ仕事をしている。


大津は「神とは、人間の外にあって、あおぎみるものではない、

人間のなかにあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、

あの大きな命である」と明言して、それは汎神論的考えだ、と

批判される。


「結局はヨーロッパ人たちの信仰は意識的で理性的で、理性や

意識でわりきれぬものを、この人たちは受け付けません」

と大津は美津子へあてた手紙の中で書いている。


そして「玉ねぎが殺された時」と大津は言う。この「玉ねぎ」とは

イエスの事である。


「玉ねぎの愛とその意味とが、生きのびた弟子たちにやっとわかったんです。

弟子たちは一人残らず玉ねぎを見捨てて逃げて生き延びたのですから。

裏切られても玉ねぎは弟子たちを愛し続けました。だから

彼ら一人一人のうしろめたい心に玉ねぎの存在が刻み込まれ、

忘れられぬ存在になっていったのです。弟子たちは玉ねぎの生涯の

話をするために遠い国に出かけました」

「以来、玉ねぎは彼らの心のなかに生き続けました。玉ねぎは

死にました。でも弟子たちのなかに転生したのです」



遠藤はこの小説で、キリスト教の解釈として、汎神論的思想と

転生の思想、つまり東洋的思想を組み入れている。

神の愛は万人に共通にそそがれるものであり、

信仰のみが救済の手段であるのではなく、ガンジス河のように、

どんな醜い人間もどんなよごれた人間もすべて拒まず

受け入れて流れるものである、という主張である。

また上述の大津の「玉ねぎ」の話にある、転生、の考えは、

輪廻ではなく、転生によって永遠の生命が神によって与えられたのだ、

という考え方である。



遠藤周作は、イギリスの宗教哲学者、ジョン・ヒックに強い

影響を受けたという。


宗教多元論の主唱者であるジョン・ヒックは、宗教的な真理は

文化および個々の人間に対して相対的なものとして見る、という

説を唱え、キリスト教の持つ排他主義を拒否している。


キリスト教、という限定を超えて、宗教として、人間の営みの

原点にある信仰を普遍的に考えることによって、歴史上

繰り返されたキリスト教優越主義による罪悪を告発するものであろう。





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