今晩は。この度2021年度大谷大学に神父が居る謎公演、「こんがらがっちゅれ〜しょんっ」の演出を努めさせて頂きました。銀モノクル(通称銀さん)と申します。
本日は本番二日目(?)、「こんがらがっちゅれ〜しょんっ」最後の公演でした。
演出として、また本来の私としてこの場では正直に話そうと思います(お読みになられる方にとっては、ただの感情の吐露、弱音や愚痴に思えるかと思います。不快な思いをされる方はあまり読まないことを推奨致します。)
僕は、この本番が終われば、自分が多少なりとも達成感を感じると思っていました。皆の頑張りに感動して泣くだろうとも思っていました。皆と想い出話を笑い合えるだろうと。最後のブログは、素敵な気持ちで一杯のハッピーなブログが書けるだろうと。
しかし、実際に公演を終えた今、その予想は全て外れたと言っても過言ではない心情でいます。
予想した感情や状態は、嘘ではありません。仕込み二日目までは既に同じような心持ちでいたからです。その気持ちが本番を終えたら倍増して、泣いてしまうだろうと予想していただけでした。
ですが、仕込三日目から、何か箍が外れてしまったように、何もかもに反応出来なくなっていきました。もはや何に反応しても苦しいだけ。それならせめて目の前の出来事に反応しないように、心を奪われないようにしようと必死になりました。正直、演出としては失格だったと思います。いいえ、演出でなくとも、劇に携わる一人の人間として失格でした。
プレッシャーや焦燥感、緊張感がごっちゃになって、もはや怒りも哀しみも苦しみも通り越して、緊張も焦りも感じられないような最低な状態で本番に挑むことになってしまいました。苦しかった。現実を見られないことが。けれど、向き合う余裕が、隙間が私の心には既にありませんでした(ただの言い訳です。申し訳ありません)。
皆に、楽しんでもらいたかった。見に来て頂ける方々に楽しんでもらいたかった。皆と、楽しみたかった。けれど、劇が終わってから気づきました。本当は、一番自分が楽しみたかった。
確かに、楽しい瞬間も沢山ありました。演出になった事も後悔はしていません。多くのことを学べました。多くの視点を知れました。今までやってきたことに無駄なことは一つもなく、私の中で間違いなく良い経験でした。けれど、単純に私の心が最後まで持ち堪えられなかったことを無念に思います。
今回、自分は正直終わってから全く楽しくなかったです。達成感も安心感もなく、ただ「無」。言葉ではとても形容できないような感覚に襲われました。お客様に花束を頂きました。見に来て下さった他のサークルの先輩方や、友人から嬉しいお言葉や個人的な差し入れももらいました。お客様が笑ってくれた。それだけで私が考える劇(公演=「人に見せるもの、観客がどう受け取るかが全て」)としては成功と言って良かったはずです。けれど本当に、思っていた十分の一も心が動かなかった。
普段の私は、自分で言うのもおかしいですが、よく笑います。よく泣きます。よく怒ります。感情の起伏が凄く激しい人です。自分の心がここまで動かないことは今までありませんでした。それが凄く恐くて、申し訳なくて、嬉しいはずなのに、哀しくて。自分自身でも何故こんな感情になってしまっているのか現段階では上手く説明できませんし、傍から見たらもっとわからないと思います。
本番が終わって皆でお疲れ様と言い合ったにも関わらず、後味の良いブログを書くことが出来ず、大変申し訳なく思います。ですが、きっと劇がどんな形で終わろうと、自分はこの状態に陥ったと思っています。
役者さん達の今までの葛藤や頑張りを間近で見てきたのは友人でもあって演出でもある自分です。きっとそれぞれ見せない部分はあったでしょうが、それも含めて、今まで付き合って下さった人達には本当にお疲れ様です、有難うございましたと言いたいです。良かった。良かったよ。僕、君達があんなに頑張ってくれて、向き合ってくれて、本当に嬉しかった。でも逆に、置いてきてしまった人達も居て……演出として本当に情けなく思います。皆の中での思い出にしてあげたかった……傲慢ですね(これは仕込み二日目までの感情を思い出して書きました)。
役者さんは勿論のこと、今回の劇に携わって下さったスタッフさんや、先輩方、来て頂いたお客様の皆様に感謝の気持ちで一杯です。というより、正確には感謝の気持ちでいっぱいなはず、です。本当に何も感じられないんです。色々な感情を通り越してしまって、きっと自分自身でも感じ取れないのだと思います。
すみません、今の状態の自分では、何を書いても自分で嘘に思えてきてしまって、何も書けません。ブログも、書けませんと言おうか迷いました。ただ、ただ伝えたいのは、これは自分の問題です。他の方々は一切関係ありません。役者さんの演技が〜とかでこの状態になっているわけでは、一切ありません。本当に感謝しています。逆に、感謝という言葉でしか表現出来ない自分に無力さを感じる程に…。
もっと役者さんや先輩方、劇に関して、練習に関して振り返って熱い想いを語るべきだろうと思います。どれ程嬉しかったか、楽しかったか、感謝しているか。事実として、本番まで役者さん達と向き合って話したり、個人的に練習に誘ったり、皆の成長や頑張りを感じられた場面は沢山ありました。その度に、最初の頃を思い出して泣きそうになったのをよく覚えています。
…………もっと、良いブログが書けると思ってたなぁ、本当に…。向き合えなかった人達への申し訳なさや、演出としての反省点は一杯あるはずなのに、確かにそれも仕込み期間で痛感していたはずなのに、本当に今の自分では何も感じとれません。
誠に申し訳ございません。先輩方、喝を入れて下さい。本当に、本当に申し訳ありません。こんなブログで終わってしまって申し訳ありません。でも、でも一つだけ言えるのは、「僕、演出やって良かった」と思います。これだけは、心の底から言いたかったことです。役者の人数に対して、演出は毎回の劇で一人だけです。誰もが出来る経験ではありません。演出として(何かを拾おう、指摘しようという心持ちで)舞台の外から演劇を見たり、見た劇について人と話し合ったり、自分の中で構想を練ることで、多くのことを知り、気づき、学びを得られました。本当に自分の成長に繋がる良い機会だったと思っています。その機会を最後まで活かしきれなかった事が、きっと後の自分は一番悔しがるだろうなぁと思います。
タイトルは、私の想いを込めました。私は演劇部が好きです。入った当初は正直何も分かりませんでしたが、演劇部で活動するうちに、他の劇団さんの劇を何度か見るうちに、演劇が好きになりました。それこそ、本番までに想いが募りすぎて……その結果何も感じられなくなってしまう程に。好きだからこそ、心が動かされてしまうことがあって、真剣に向き合ったからこそ、人の言葉が刺さりすぎてしまったのだと思います。 もう一度、感じとれるようになりたい。
I love that…therefore I feel.
ここまで読んで下さった方、盛大な弱音にお付き合い頂き、有難うございました。内省がしたかったのですが、無理でした。人の為の文章ではなく、自分の為の文章になってしまったことを恥ずかしく思います。本当に失礼致しました。
本日は本番二日目(?)、「こんがらがっちゅれ〜しょんっ」最後の公演でした。
演出として、また本来の私としてこの場では正直に話そうと思います(お読みになられる方にとっては、ただの感情の吐露、弱音や愚痴に思えるかと思います。不快な思いをされる方はあまり読まないことを推奨致します。)
僕は、この本番が終われば、自分が多少なりとも達成感を感じると思っていました。皆の頑張りに感動して泣くだろうとも思っていました。皆と想い出話を笑い合えるだろうと。最後のブログは、素敵な気持ちで一杯のハッピーなブログが書けるだろうと。
しかし、実際に公演を終えた今、その予想は全て外れたと言っても過言ではない心情でいます。
予想した感情や状態は、嘘ではありません。仕込み二日目までは既に同じような心持ちでいたからです。その気持ちが本番を終えたら倍増して、泣いてしまうだろうと予想していただけでした。
ですが、仕込三日目から、何か箍が外れてしまったように、何もかもに反応出来なくなっていきました。もはや何に反応しても苦しいだけ。それならせめて目の前の出来事に反応しないように、心を奪われないようにしようと必死になりました。正直、演出としては失格だったと思います。いいえ、演出でなくとも、劇に携わる一人の人間として失格でした。
プレッシャーや焦燥感、緊張感がごっちゃになって、もはや怒りも哀しみも苦しみも通り越して、緊張も焦りも感じられないような最低な状態で本番に挑むことになってしまいました。苦しかった。現実を見られないことが。けれど、向き合う余裕が、隙間が私の心には既にありませんでした(ただの言い訳です。申し訳ありません)。
皆に、楽しんでもらいたかった。見に来て頂ける方々に楽しんでもらいたかった。皆と、楽しみたかった。けれど、劇が終わってから気づきました。本当は、一番自分が楽しみたかった。
確かに、楽しい瞬間も沢山ありました。演出になった事も後悔はしていません。多くのことを学べました。多くの視点を知れました。今までやってきたことに無駄なことは一つもなく、私の中で間違いなく良い経験でした。けれど、単純に私の心が最後まで持ち堪えられなかったことを無念に思います。
今回、自分は正直終わってから全く楽しくなかったです。達成感も安心感もなく、ただ「無」。言葉ではとても形容できないような感覚に襲われました。お客様に花束を頂きました。見に来て下さった他のサークルの先輩方や、友人から嬉しいお言葉や個人的な差し入れももらいました。お客様が笑ってくれた。それだけで私が考える劇(公演=「人に見せるもの、観客がどう受け取るかが全て」)としては成功と言って良かったはずです。けれど本当に、思っていた十分の一も心が動かなかった。
普段の私は、自分で言うのもおかしいですが、よく笑います。よく泣きます。よく怒ります。感情の起伏が凄く激しい人です。自分の心がここまで動かないことは今までありませんでした。それが凄く恐くて、申し訳なくて、嬉しいはずなのに、哀しくて。自分自身でも何故こんな感情になってしまっているのか現段階では上手く説明できませんし、傍から見たらもっとわからないと思います。
本番が終わって皆でお疲れ様と言い合ったにも関わらず、後味の良いブログを書くことが出来ず、大変申し訳なく思います。ですが、きっと劇がどんな形で終わろうと、自分はこの状態に陥ったと思っています。
役者さん達の今までの葛藤や頑張りを間近で見てきたのは友人でもあって演出でもある自分です。きっとそれぞれ見せない部分はあったでしょうが、それも含めて、今まで付き合って下さった人達には本当にお疲れ様です、有難うございましたと言いたいです。良かった。良かったよ。僕、君達があんなに頑張ってくれて、向き合ってくれて、本当に嬉しかった。でも逆に、置いてきてしまった人達も居て……演出として本当に情けなく思います。皆の中での思い出にしてあげたかった……傲慢ですね(これは仕込み二日目までの感情を思い出して書きました)。
役者さんは勿論のこと、今回の劇に携わって下さったスタッフさんや、先輩方、来て頂いたお客様の皆様に感謝の気持ちで一杯です。というより、正確には感謝の気持ちでいっぱいなはず、です。本当に何も感じられないんです。色々な感情を通り越してしまって、きっと自分自身でも感じ取れないのだと思います。
すみません、今の状態の自分では、何を書いても自分で嘘に思えてきてしまって、何も書けません。ブログも、書けませんと言おうか迷いました。ただ、ただ伝えたいのは、これは自分の問題です。他の方々は一切関係ありません。役者さんの演技が〜とかでこの状態になっているわけでは、一切ありません。本当に感謝しています。逆に、感謝という言葉でしか表現出来ない自分に無力さを感じる程に…。
もっと役者さんや先輩方、劇に関して、練習に関して振り返って熱い想いを語るべきだろうと思います。どれ程嬉しかったか、楽しかったか、感謝しているか。事実として、本番まで役者さん達と向き合って話したり、個人的に練習に誘ったり、皆の成長や頑張りを感じられた場面は沢山ありました。その度に、最初の頃を思い出して泣きそうになったのをよく覚えています。
…………もっと、良いブログが書けると思ってたなぁ、本当に…。向き合えなかった人達への申し訳なさや、演出としての反省点は一杯あるはずなのに、確かにそれも仕込み期間で痛感していたはずなのに、本当に今の自分では何も感じとれません。
誠に申し訳ございません。先輩方、喝を入れて下さい。本当に、本当に申し訳ありません。こんなブログで終わってしまって申し訳ありません。でも、でも一つだけ言えるのは、「僕、演出やって良かった」と思います。これだけは、心の底から言いたかったことです。役者の人数に対して、演出は毎回の劇で一人だけです。誰もが出来る経験ではありません。演出として(何かを拾おう、指摘しようという心持ちで)舞台の外から演劇を見たり、見た劇について人と話し合ったり、自分の中で構想を練ることで、多くのことを知り、気づき、学びを得られました。本当に自分の成長に繋がる良い機会だったと思っています。その機会を最後まで活かしきれなかった事が、きっと後の自分は一番悔しがるだろうなぁと思います。
タイトルは、私の想いを込めました。私は演劇部が好きです。入った当初は正直何も分かりませんでしたが、演劇部で活動するうちに、他の劇団さんの劇を何度か見るうちに、演劇が好きになりました。それこそ、本番までに想いが募りすぎて……その結果何も感じられなくなってしまう程に。好きだからこそ、心が動かされてしまうことがあって、真剣に向き合ったからこそ、人の言葉が刺さりすぎてしまったのだと思います。 もう一度、感じとれるようになりたい。
I love that…therefore I feel.
ここまで読んで下さった方、盛大な弱音にお付き合い頂き、有難うございました。内省がしたかったのですが、無理でした。人の為の文章ではなく、自分の為の文章になってしまったことを恥ずかしく思います。本当に失礼致しました。