拝啓
2006年09月08日 | 僕
残暑の残る中、不安定な天候が続いていますが皆様お元気ですか?
今も数多くの方がここに訪れてくださいます。
アクセス解析を見れば、如何にたくさんの方が配偶者に対する悩みを持っているのかがそのキーワードからわかります。
言葉に表すことのできない無念さや失望感にさいなまれ、あふれ出す悲しみにもがけばもがくほど沈んでいくような感覚・・・。
わずかなキーワードから訪問してくれた方の気持ちが汲み取れ心が痛みます。
今の僕はフラバもなくなり、妻の浮気の事実もかなり冷静に受け止めれるようになって来ました。
ただ妻は浮気はもうすんだことと割り切っています。
僕は今の心境にいたるまでに何度か妻を追及したこともあります。
しかし、どう思っているのか話してくれません。僕にとってその姿勢はいい方向には進みません。
大切なのは浮気についてどう受け止めているのか?ということです。
問題を見つめなおし、話し合いを持つことはお互いの信頼を取り戻すうえで大切なことです。
でも浮気の事実は自分の中ですでに完結したことであり、その過程に僕の存在は感じられません。
「浮気で私も傷ついた。もう終わったことは水に流そう」って感じです。
「おいおい、そんな簡単に流さないで! 俺も傷ついてるんだよ~!」っていいたいです。
その上、いつの間にか浮気も僕のせいみたいになっています。(苦笑)
妻は人に心を開けない、ある意味かわいそうな人だと思います。
自分を守るために過剰な反応を示します。 そのために相手を徹底的に口撃します。 常に相手より優位に立って安心したい、弱みを見せないという姿勢が本能的に染み付いているようです。
これは妻の育った環境にも原因があると今はわかるようになりました。
妻の父親は普段はにこやかなのですが、相手に気に食わないことを言われた、金銭的なことも含めて「ああしてあげた、こうしてあげた」ということ、相手の弱みをすべて日記につけていつも手元においています。 そしてそれを何かのときに持ち出し自分のいうことを聞かせようとします。 小さなことでもすべて覚えている(メモしている)ので、言われた側は「寝耳に水」、「ハトが豆鉄砲を食らった」状態になります。(苦笑)
そこで育った妻が、自然と自己防衛のためにそういう人間になってしまったのも仕方のないことかもしれません。
ただその妻が嫌いな父親と同じことを今やっているということは皮肉なものです。
妻は浮気の事実を僕に「弱みをつかまれた」と思っています。 だからそのことを正直に認め、謝ることが恐いんです。
「認めればそれをずっと言われ責められる」という脅迫観念が拭い去れないのだと思います。
人を信用できないって悲しいことだと思います。
人は人に支えられて生きていることがわからないって寂しいことだと思います。
妻が心を開いてくれないのは、僕の努力が足りないのかと思うこともあります。
今は喧嘩もしなくなりました。自分を正当化しようとする妻の言動にも比較的冷静に、以前に比べればかなり冷静に対応できるようになりました。
僕は妻への依存から離れ、ひとりの人格として妻を認めることができるようになったと思っています。
ただ、
それでも僕は妻を愛しています。
ここまで書いたようなことを除けば、普段はとてもいい妻です。
惚れた弱みでしょうか?(笑)
もちろん、何度も挫折しそうになったこともあります。
このブログで知り合った方に「別れてもいいですか!?」と泣きついたこともあります。(苦笑)
頭に血が上るとほんとに無茶苦茶なことを妻は言いますから。
“妻の常識は世間の非常識”というやつです。(笑)
「この人を表(世間)に出せば必ずや社会の混乱を招く」と思うほどです。(爆)
それでも妻と一緒にいてもいいかな、と思っています。
幸いにも妻は僕と離婚したいとは思ってないようですし・・・。(苦笑)
仕事も忙しいうえに、こんな妻を抱え、フラバっている暇などありません。 子供も元気に育っていますし、なんだかんだとやっていますがこのfuten、全体的には家族そろって幸せな日々を送っています。
末筆ながら、ここに訪れる皆様にも早く穏やかな日が迎えられますようお祈りいたします。
敬具