「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

復原なった「阿弥陀」さま

2016-02-23 01:39:22 | 福山歴史研究(文化財と歴史)

 福山市瀬戸町に広島県重要文化財として指定されていた「木造阿弥陀如来坐像」が、
有志の方々の寄付により、復原されて広島県立歴史博物館へ寄贈されました。

 その案内を受け早速、拝観に馳せ参じました。

 なななんと、平安時代の「定朝様式」を目の当たりにした感動に打ちひしがれてしまいました。

 まさか、この様な「ど田舎」(地域の皆様誠に済みません)に、この様な「御仏」が存在していようとは、夢にまで思ったことがありませんでした。

 この「定朝様式」の御仏は、広島県内に置いても、数例しが存在が確認されていません。

 ご承知の様に「定朝様式」は、宇治平等院の「阿弥陀如来坐像」が、その「定朝」が製作し、この「定朝様式」が全国津々浦々まで、広がって行った、そのものなのです。

  当時の中央は、京都であり、奈良なのです。しかも「貴族」とか「朝廷」など、上流階級しか製作が、叶わなかったものなのです。

 その様な「御仏」が、この様な地域で、出合える事とは思いもよりませんでした。

 この「御仏」を拝観させて頂き、細部まで観ていると、中央の御仏との「差」を感じて、観てしまいました。その「差」については、当然その「御仏」の来歴によるものと承知しています。

 本来あるべき姿は、歴史の流れの中で失うものは仕方のない事なのですが、それを加味しても有り余る感動が伝わって来ます。

 まず、後背と蓮華座については、後補であり、もし想像を許して頂けるならば、それらが全て残り続けていれば、申し分の無い、平安時代の確固たる「御仏」と言えることでしょう。

 その様な「差」を差し引いても、この「御仏」本躰のすばらしさは、表現の表しようがありません。

 この「御仏」の解説については、2月28日(日)14:30から、広島県立歴史博物館に於いて、白井比佐雄学芸課長(広島県立歴史博物館)と浜田宣教授(徳島文理大学)の両氏の講演があります。
 興味のある方、是非聴講に御出で下さい。


 場所:広島県立歴史博物館 講堂
 時間:平成28(2016)年2月8日(日)14:30~16:00



(木造阿弥陀如来坐像 正面)


(木造阿弥陀如来坐像 右から)


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