ふくらく通信

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佐沼の厄除けまんじゅう(迫町) :2008年03月17日の食べ歩記

2013-10-15 15:33:18 | 食べ歩記
迫は、涌谷から、さらに北へ向かった所にある町だ。
今は登米市迫町と言いうが、佐沼という地名の方が馴染みがあるかもしれない。
なにしろ、古くから佐沼城があり、佐沼は要所だったから。       

迫は、伊達氏のずっと以前に、奥州総奉行として葛西氏が治め、後に奥州探題として大崎氏が治めるようになったそうだ。佐沼城は、中央政府や幕府が、奥州を治めるために使われていたわけだ。     
しかし、葛西氏も大崎氏も、この辺りに住み続けたので、たびたび佐沼城をめぐって争いが起きたという。

伊達氏が現れた頃には、時の中央勢力によって大崎氏も葛西氏も領地を没収された。
反発した両氏が、一揆を起こして佐沼城を一時占領するが、伊達氏によって一揆は鎮圧され、佐沼城も伊達藩の領地となったのである。
波乱の時もあった、佐沼城や迫の地も、今は穏やかで風情のある場所だ。

さて、迫の町を巡ると、赴きある和菓子の店があった。
看板に「厄除け饅頭」とあり、気になって寄ってみる。

この地方では昔から、津島神社と羽黒神社の大祭で、六月祭り(旧暦・現在7月佐沼祭り)がある。
その際、境内で売り出された饅頭が「厄除け饅頭」と呼ばれたのだそう。多くの人々に親しまれ、軒先に吊るして魔除厄除にしたらしい。
それにちなみ、新月堂さんで作った饅頭を、「厄除け饅頭」と名づけたということだ。

これが、厳選された黒糖の、大島糖を使った饅頭であった。
しっとりした皮で、ふわりと黒糖の香りがし、甘いあんこに、ちょっと塩味が加わっていて絶妙の味わい。
「厄除け饅頭」を食べたら、美味しくて笑顔になり、厄が払いよけられたかも。
※追記:新月堂さんは、今も佐沼で営業しています。
 沼城(鹿ヶ城)は、公園として人々に親しまれています。


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