山本藤光の文庫で読む500+α

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太宰治『斜陽』(新潮文庫)

2018-02-03 | 書評「た」の国内著者
太宰治『斜陽』(新潮文庫)

破滅への衝動を持ちながらも<恋と革命のため>生きようとするかず子、麻薬中毒で破滅してゆく直治、最後の貴婦人である母、戦後に生きる己れ自身を戯画化した流行作家上原。没落貴族の家庭を舞台に、真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要なのだという悲壮な心情を、四人四様の滅びの姿のうちに描く。昭和22年に発表され、<斜陽族>という言葉を生んだ太宰文学の代表作。(文庫案内より)

◎波乱に満ちた生涯

 誰もが知っている日本の代表的な作品のひとつが、太宰治『斜陽』(新潮文庫)でしょう。しかし私は、ていねいに読んだことがありませんでした。太宰治については、さまざまな情報はもっていました。「生まれてすみません」「私に芥川賞をください」「グッドバイ」などの発言。そして入水自殺、薬物中毒、桜桃忌などのできごと。

「桜桃忌」は太宰治を偲ぶ会として、いまでも三鷹市禅林寺に熱烈な読者が集まっているようです。太宰治作品は、近ごろ「人生論」のひとつとして読まれているらしく、人気はいまだに健在です。

太宰治は1909年、津軽の大地主の子どもとして誕生しました。成績優秀で東大仏文科に入学し、文学に夢中になり、井伏鱒二(推薦作『山椒魚』新潮文庫)に師事しています。このあたりの履歴が、私に拒否反応をおこさせていたのでしょう。ボンボンで頭がよく、大好きな文学にも師匠がいた。恵まれ過ぎているのです。ところが文学にのめりこむにつれ、太宰治は満たされなくなってしまいます。

誕生したばかりの芥川賞では、石川達三『(「)蒼氓(そうぼう)』(新潮文庫)に栄誉をさらわれてしまいます。その後も太宰治は、受賞という評価に恵まれることはありませんでした。作品ではなく生き方が評価できない、と発言した川端康成とひと悶着をおこしました。酒と薬に溺れます。何度も自殺をくりかえします。

 太宰治は、石川淳(推薦作『紫苑物語』講談社文芸文庫)、坂口安吾(推薦作『桜の森の満開の下』(岩波文庫)、織田作之助(推薦作『夫婦善哉』新潮文庫)らとともに「無頼派」に位置づけられています。戦後間もなくの混乱時期、彼らはこぞって「戦後への強烈な不信ないし反抗の意欲」を示しました。坂口安吾が小林秀雄を、太宰治と織田作之助が志賀直哉をこきおろしていました。坂口安吾は、夏目漱石や島崎藤村も大嫌いでした。

◎『斜陽』を真直ぐに読むと

『斜陽』は、1997(明治22)年に発表されました。入水自殺をする1年前の作品となります。先に太宰治作品を、まともに読んだことがなかったと書きました。生い立ちもひとつの理由ですが、暗すぎる印象があったので、一方的に避けていたのでしょう。

「文庫で読む500+α」の執筆にあたって、太宰治は不可欠な作家です。『斜陽』(新潮文庫)を再読しました。

 没落貴族の3人家族と小説家が、主たる登場人物です。主人公のかず子は病身の母とともに、追われるように伊豆の山荘へ居を移します。敬愛する母を守りながら、かず子は慣れない畑仕事などに精をだします。生活は苦しく着物や宝石を売りながら、懸命に生活を守っています。

そんなところに、弟・直治が戦地から戻ってきます。直治は薬物中毒で飲んだくれ。あちこちで借金をしまくります。かず子には、たったひとつの夢があります。直治が尊敬している作家・上原二郎の愛人になって、子を生みたいという屈折した夢です。かず子は、上原に愛を伝える手紙を送りつづけます。返信はありません。

物語の詳細は、これ以上明らかにしないでおきます。太宰治は戦争から戻った直治(弟)を自分自身と重ねます。この作品は、姉・かず子の日記や手紙形式で書かれています。前記のとおり、弟・直治は飲んだくれで薬物中毒。直治が慕う小説家は破天荒。2人の生きざまこそ、太宰治そのものでした。

 太宰治はこのころ、作品のモデルとなった愛人・太田静子に女児(作家・太田治子)を、正妻には次女(作家・津島佑子)を誕生させています。さらに入水自殺の道連れにした、戦争未亡人・山崎富栄とも懇意になっています。

そんな作品背景を学び、『斜陽』を2度読んで、私はさらに暗くなりました。太宰治作品を読むなら、『富岳百景』(新潮文庫)や『女生徒』(角川文庫)あたりからがいいのかもしれません。つまみ食いなので大きなことはいえませんが、精神的に安定していたはずの時期(1939年、太宰治30歳、結婚)の作品ですから。

『斜陽』は、1週間ほどかけて2度目を読み終えました。途中で文献をあさったり、初期作品に目を通したりの道草と匍匐(ほふく)前進の連続でした。語り手である姉・かず子の立場で読んだので、結構苦しい道行だったと、正直に吐露しておきます。

太宰治の代名詞でもある道化の部分は、この作品にはありませんでした。エンディングで、姉・かず子が未来目線になっていました。それが唯一の救いでした。

◎この人はこう読んだ

 最後に『斜陽』へのメッセージを、いくつか紹介させていただきます。

――『斜陽』は、初めから計算ずくで元華族の家庭を設定して、一人ひとりがそれぞれの仕方で破滅していくことを意図的に描こうとしたものだと思う。作品の中の真実らしさは、小説家と弟直治に分け与えたデカダンスの性格と言動、自分の夫人への配慮、それに太田静子を素材に描いた姉かず子にあるのではなかろうか。(吉本隆明『日本近代文学の名作』新潮文庫より)

吉本隆明は『斜陽』はチェーホフ『桜の園』(岩波文庫)が下敷きだった」と書いてもいます。なるほどと思いました。没落貴族のてんまつを参考にしたのかもしれません。

 10代半ばで「けっ」と放り出した角田光代は、30代半ばになってはじめて気づいたことにふれています。

――読み手が抱きやすい「めめしくて甘ったれ」という部分も、無意識に垂れ流された作家の性質なのではなくて、じつに老獪(ろうかい)に計算され、わざと表面に押し出されたものではないか。自身の持つ繊細さや敏感さ、臆病さや卑怯さ、そういったものを、ていねいに自身から切り離し、笑えるくらい距離を置き、客観的に矯(た)めつ眇(すが)めつして眺め、そうしてから作品に落としこんでいるのではないか。(角田光代『私たちには物語がある』小学館文庫より)

――『斜陽』は実に美しい小説である。最後まで静謐(せいひつ)を保ち、主人公のイメージをマリアに近づけようとしているのである。この小説を読むと、現代のシングルマザーの生き方など甘っちょろいと思えてくるはずだ。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫より)

 おおとりとして、中国からの留学生の感想を引用させてもらいます。おそらく、かず子の「人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」というセリフを意識してのものでしょう。

――価値観の崩壊から立ち直るには、新たな価値を見つけるしかない。その新たな価値となるものは、ありふれた自然と平凡な日々。私はかず子のつぶやきを何度も読み直したのだ。(重松清・編著『百年読書会』朝日新書より)

 戦後間もなく発表された『斜陽』は、さらに存在感を増してきているようです。まだまだ紹介させてもらいたかったコメントは、たくさんあります。でもこのあたりで、グッドバイ。
(山本藤光:2012.10.23初稿、2018.02.03改稿)

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