湧水めぐり・まち歩き 藤川格司

水を調べている日々を書き込む予定です。最近は熱海のまち歩きを楽しんでいます。

伊豆山権現の密厳院のなぞ、斉藤別当実盛の五輪塔と「右近」

2021年04月04日 | 熱海のまち歩き
伊豆山権現の密厳院のなぞ、斉藤別当実盛の五輪塔と「右近」

伊豆山権現の密厳院の場所はなぞです。秀吉に焼かれて再建できませんでした。しかし、斉藤別当実盛は密厳院に埋葬されたという情報があり探してみました。

斉藤別当実盛の墓
すごい上りでした。


般若院前バス停
熱海駅から東海バスで般若院前まで来ます。私は、自宅(標高50m)から歩いてきましたが・・。
般若院の裏側の道を「ラビスタ伊豆山」まで上ります。


斉藤別当五輪塔と般若院の位置(熱海市観光協会観光ガイドマップ)
地図では標高が入っていないのですが、熱海駅の標高が84m、般若院約140m、斉藤別当五輪塔約200mです。厳しい上りです。








伊豆山の走り湯山の西側に「密厳院」というお寺がありました。建てたのは「覚淵」と呼ばれ、源頼朝の家来の加藤次景廉の兄にあたる僧侶でした。頼朝の旗上げのとき援助したり、政子との仲をとりもったといわれています。
頼朝が天下をとり、密厳院も手厚く保護を受けて、栄えました。
戦国時代には、小田原北条氏についたため、豊臣秀吉により伊豆山権現と密厳院も焼き払われた。慶長12年(1607年)徳川時代になり、伊豆山権現のみ知行を与えられましたが、密厳院は復興することなく消えました。
現在では、密厳院の史蹟すら見つからない。
古老によると、それらしき石垣の跡があるといわれているが、確かではありません。
京都の三宝院の古文書に記されてありました。斉藤別当実盛が密厳院の境内に法要され、埋葬したといわれている。
斉藤別当実盛の墓付近が密厳院の跡だと思われています。
熱海市広報:あたみの伝説と民話(熱海郷土史研究会)


般若院
般若院は真言宗の古刹で伊豆山神社(伊豆山権現)の別当坊だった寺院。 山号は「走湯山」。 
源頼朝はこの寺で平家討伐の願をかけたという。 明治の神仏分離によって伊豆山神社内から現在地に移った。
般若院の草創の時期は定かではないが、平安時代に伊豆山権現の法学のために建てられた観音堂(東明寺)がそのはじまりだと伝えられている。
(https://www.yoritomo-japan.com/izusan-hannyain.htm) 


石楠花(だと思う)がきれいに咲いていました。


般若院の本堂 「右近」の桜も


「右近」の桜が咲いていました。最初、「御衣黄」と思ったのですが、花びらが大きいので、ガイドの先輩に聞いたら「右近」でした。「御衣黄」は起雲閣の庭に咲いていて、「右近」はここ般若院と七尾交番の近くにもあるそうです。先輩に感謝。




初めて認識しました。
熱海では11種類の桜が咲くそうです。ヒマラヤ桜、あたみ桜、大寒桜、寒緋桜、ソメイヨシノ、大島桜、河津桜、右近桜、御衣黄・・・あとは何だろう。
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