卵が先か、にわとりが先か、

2008年05月06日 23時40分52秒 | 日記風
 「国語」と教育を考える。
 正しい「日本語」が教育によって与えられるのか、
そもそも、絶えず産まれ、死んでいく言語に「正しい」を定義できるのか不明確だ。
でも、少なくとも、「一」という漢字が「3」という意味を持ち得ないことは
当然わかる。
 僕の私見としては、教育は「最大公約数」的な知識と、国家の「想い」が
「国語」として教育されるものであるといえると思う。
「一」が「3」でないという知識が、最大公約数の一例で、
日本語の「最大公約数」は議論を同じ土俵に持っていくため必要である。
それを踏まえたうえで、もし、教育の中で「国家の想い」の部分に違和感を覚えるならば、
自ら、資料を集め、研究し、喝破を試みるのもよい。

 それでは国家が教える「歴史」についてはどうか?
 たぶん、「国語」と似た構造があるのだと思う。
 全ての人に適用できる「正しい」真実は存在しないが、
確からしい事実は存在する。
確からしい事実とは、「公文書」等信頼できるソースで確認できるもの。
そして、国家が歴史を教えるということは、
「確からしい事実」を参照しつつ、国家が国民に必要と感じることを教える、
ということだと僕は考えている。
 このとき、教育を受けた後に、内心で如何に歴史を構築しようとも構わない。

 それでは、いわゆる、政治活動として、歴史を述べる際はどうか?
または、学者として、プロとして歴史を語る場合について。

 何で、こんなことを書いているかというと、
ネットで見た、ミギな方々な論評が杜撰だったから。
ちょっと長くなるけど、彼の仮説は、
「日本が満州国を建てたのは、清国との委任関係によるが、
満州は、漢民族の侵略によるものである。」
その理由として、
①満州国建国以前、満州は漢民族の支配下にない。よって、漢民族に支配権はない。
②漢民族が、アイグン条約、ペキン条約でロシアに割譲されていた際に、
 非難をしていない。

 ①については、何故「満州国建国」時点で判断しなければならないのか?
国際法は詳しくないがこの理屈に悪意に解釈するならば、
金を支配したモンゴル民族は、中国~東ヨーロッパの一部を
支配下におけることになり、おかしいことは判断がつく。
 少なくとも、何らかの公文書による領土の画定が必要であり、
満州国はなくなり、
実行支配していた日本もサンフランシスコ条約で破棄しているのだから、
現状、争いがないならば、
実行支配している中国が当然領有できるのではないの?
よって、彼の主張を証明する理屈としては疑義がある。

 ②アイグン条約、ペキン条約に漢民族が異議を添えなかったことについては、
  そもそも、当事者は「清」で漢民族王朝じゃないことが忘れ去れている。
  さらに、このときの清はアヘン、アローで欧州に負けて、
  欧州と不平等条約を結んでおり、ロシアに強くものが言える立場ではない。
  まして、当時「被征服民族」である漢民族は言わずもがな。
  これは、全く漢民族が満州を領有できない理由になっていない。

 以上、ほとんど資料を見なくても、ウヨさんの言っていることが
胡散臭いわけだ。

 でも、最近のネトウヨさんは、これらの主張にコメントで賞賛の嵐。
言う方も言う方ならば、見る方も見る方。
頼むから、内心を表示する時には、それなりの勉強をしてくれよ!
「教科書」の知識で十分なのだから。。。

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