浪漫飛行への誘(いざな)い

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ドイツ文学者 小塩節さんの訃報に接する

2022年05月20日 19時27分03秒 | 人物

 

テレビやラジオを通じてドイツ語の魅力や国際交流の大切さを伝えてきたドイツ文学者の小塩節さんが、今月12日に91歳で亡くなったことを18日の新聞の訃報記事で知った。小塩先生は、1967年から1985年まで、NHKラジオの「ドイツ語講座」を担当されていたので、お世話になった人も多いのではないかと思うが、ちょうど自分がドイツに転勤になった頃、ドイツの日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長として、日本との文化の交流に力を尽くされていた(1985〜1988年)。ドイツ文化、ドイツ文学、ドイツ語をかじっている人で小塩先生のことを知らない人はまずいないと思う。自分自身、大学での第二外国語はフランス語だったので、定期的に聴いていたわけではなかったが、素敵な声の持ち主でラジオ講座を通じて少しは存じ上げていた。

小塩先生のエピソードとして、真っ先に浮かぶのが、1985年当時のローレライの一件である。当時、ライン川にあるローレライは観光地として有名で、日本人観光客が多数押し寄せていたが、なんとローレライの岩の下の河岸にカタカナで「ローレライ」と書かれていたのである。場所がわかりにくいので、親切心で設置したのかもしれないが、それを見た小塩先生は日本人として恥ずかしいのですぐにその文字を撤去するよう働きかけ、今ではドイツ語表記のみ残されている。

最初の出会いは、1986年にフランクフルトで、小塩先生の講演会が開催された時であった。次に、ドイツ人CAの採用にあたって、その研修の一環で講演をしてもらったと記憶している。名古屋で勤務中も、たまたま小塩先生の講演会が開催され、再会する機会を得た。その後、東京に戻って1994〜1998年まで、航空券販売の関連会社に出向していたが、その時、小塩先生から頼まれ何回か航空券の手配を行ったこともあった。当時、小塩先生は、フェリス女学院の理事長をされていて、卒業生の就職先企業に学生をPRするパーティに参加して、親しく話をする機会もあった。

2008年には、仕事上の友人が当時文化事業の業務を担当していて、小塩先生に大変お世話になっているとのことで、一緒に食事をするお誘いを受けた。当時、渋谷でドイツ時代の仕事仲間がオーナーをしていたドイツ料理レストランで、フランクフルト時代の支店長と計4人で旧交を温める機会を得た。この時、小塩先生著の「ザルツブルクの小径」という本を持参し、サインをもらい、今でも大事に保管している。このドイツレストランはもうなくなってしまったが、今の天皇陛下と雅子さまがお忍びでドイツ料理を食べに来たことがあったほど雰囲気のあるお店であった。

その後、先生は一時体調を崩されたが、2018年に回復後のお祝いを兼ねて同じメンバーで一緒に食事をする機会があった。遠出は難しいということで、先生のご自宅の近くで会食し、家にもお邪魔させていただいた。ご自宅は経営されている幼稚園に隣接していて、幼稚園とご自宅の両方にお邪魔させていただいた。英文学者の奥様ともお会いし、素晴らしい書斎も見学させてもらった。個人的には残念ながらドイツ語を勉強する機会がなかったが、生活用語だけは今でも覚えている。小塩先生が書かれたドイツ語の本も何冊か持っているが、宝の持ち腐れの感がある。大学の第二外国語としてドイツ語を勉強しておけばよかったと後悔している。その後どうしているかなと気にもなっていたが、今回の訃報に接し、心からお悔やみを申し上げる次第である。

 

写真は、思い出となった4人での会食(手前が小塩先生)


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