こちらも昨日6月16日(月)の神奈川新聞社会面から
『カナロコ・3時間の花嫁/戦後60年余、今も彼を想う』
という気になる記事からです。
記事に関しては、上記のリンク先の参照をお願いします。
三浦市南下浦町菊名の轟アサ子さん《83歳》が、戦争によって
『3時間の花嫁』となり、東京駅で夫の最後を見送り、
戦後60年余りが過ぎた今も、旦那さんの轟武廣さんを
忘れたことはないという想いをゆっくりと語っています。
挙式を終えて、自宅に戻ると憲兵がいて、軍への召集令状を渡される、
すぐに花嫁衣装を脱いで東京駅へと向かって、『どんなことをしても
生きて帰ってきて』『そうする』 という言葉を交わす、挙式から
最後の別れの言葉を交わすまでがわずか3時間、これほど辛い別れは
ないですね・・・。こういったところからも戦争がいかに愚かで、
戦争から得る平和なんてないということをあらためて思い知らされますね。
そんな轟アサ子さんの言葉で最も心が痛んだのは、『今の若い人たちは
自分のことばかり。自分のために生きられなかった時代のことを
残しておきたい』という言葉です。すべての若い子が当然そうではないですが、
アサ子さんにしてみたらそう映る、感じることがいっぱいあるんでしょうね・・・。
昨年2007年7月10日(火)には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fuki_yonde.gif)
《記事元の『カナロコ』の記事はすでに消滅》
として取り上げたように、核のない平和な世界の実現を願う署名を
国連に届けようと、高校生による署名活動が、JR桜木町駅前で行われるなど、
戦争の愚かさと核廃絶を願う子たちもたくさんいます。
僕自身もそうですが、実際の戦争時代のいろんな様子は分かりません。
日本史やこういった新聞記事、書物、資料、特別番組などで知るのみです。
だんだんと戦争時代を生きた方たちが亡くなられたり、年を取って、
戦争の記憶というのを教えることが出来なくなってきているだけに、
戦争が風化されないように、轟アキ子さんのような悲劇を体験した方が
いるということを、しっかりと理解して、また次の世代へと伝えていかないといけません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます