「食は、人を良くする」という仮説。

食育を研究する若造による「食は、本当に人を良くするのか」という仮説を検証するための、人生をかけた社会実験。

専門性とは何か?COTE Program 2017

2017-07-07 19:10:38 | 研究・海外雑記

「自分の専門性は何か」
と問われればどう答えるだろうか。

What is your speciality- is a killer question.
Especially for young researchers in interdisciplinary fields.

学問領域は高度に専門化・細分化するとともに、
細分化した学問領域が再び交わることでしか解を得られないこともある。

そうして、学際領域 Interdisciplineが生まれる。

僕が身を置く、
「食育」もそうした学際領域の1つだ。
農業経済学なのか、哲学なのか、教育学なのか、公衆衛生学、それとも社会学なのか。

Food education is one of the interdisciplinary fields,
which is a subject of agricultural economics, philosophical, educational, public health, and sociological investigation.


とにかく、学際領域に身を置く若手研究者は、
Classicalな学問領域との間の摩擦に悩まされる。

結局は、そうしたClassicalな領域を極める必要があるのだが。


(COTE Summer Program, Bordeaux University)

今回は、そんな学問領域間のスリルたっぷりの駆け引きを感じさせてくれる
一週間のPh.D. Summer Programに参加するチャンスを得ることができた。

Day 1. Ecology and Society


(Cadillac)

今回の舞台は、
フランスワインの産地・ボルドーの郊外にあるCadillacというぶどう畑に囲まれた村。

Anthropocenic的要因が引き起こす
生態系のweak signalsをいかに同定し、解決策を講じるかという
まさにNatural ScienceとHuman Scienceの鬩ぎ合いのような主題をめぐり、
18カ国から、28人のPh.D.が選出され一週間を過ごすこととなった。


28 Ph.D. representatives selected from 18 countries spent 1 week in Bordeaux,
researching weak signals and emerging issues in integrative ecology.


(Chateau de la Tour)

Ecology, hydrology, meteology, geology等のNatural sciencesの専門家が多数を占める中、
僕は、食育から離れて、社会学・経済学の専門を「演じる」ことになったのだ。

Day 2. Field Trip

この日は、農林業で実際にどのようなWeak Signalsがでているのかを目撃するフィールド・トリップ。
This field trip was designed to enable us to realize some weak signals and emerging issues in agriculture and forestries.


(Ecologist, geologist, hydrologist...handsome guys, here we go!)


まず僕らが訪れたのは、
貴腐ワインで有名なソーテルヌ地方の中でも
最高級のPremier Grand Cru Classéに分類される
Clos Haut-Peyragueyである。


(フランスの有名シャトー経営者の多くが、農業・技術関係で修士号以上のDiplomaを保持している)

フランスのぶどう生産の威力はとてつもない。
フランスにおける農業生産面積ではわずか3%にすぎないが、
Agricultural Production Valueでは15%にもなる。

それほど重要なぶどう生産において、
将来のecological transitionsを引き起こしうるweak signalsがでているとすれば、
フランス農産業および観光業に大震撼を与えることとなる。


(美しく育てられるSémillion, Sauvignon Blanc達)



(初めて見た...Grape Moth達の性交を阻害するホルモン発生機)



(Concluded with tasing Sauternes white wine)

・loss of genetic variety
・moderate usage balance of pesticide, herbicide, fungicide
・possible risk of bio-control on ecology
・emergence of new Bourgeoisie clients

いくつかのweak signalsが同定されるが、
生産者にとって大事なのは、その年の生産の質を最大限良くすること。

短期間での気候変化、生態系変化を観察し、
生産費用・農産物利益のバランスをとりながら、
経営の舵取りを行うことは、尋常ではないほど難しい。


そこで必要とされるのが、研究機関との連携だ。
University of BordeauxやINRAなどの専門機関が
密接にシャトーと連携しながら、
また生産者側にもそうした専門的知識を受容できるだけの学術的素養がある。

こうした連携体制こそが、フランス食農産業のresilienceの源泉である。



La Pourriture Noble

このぶどう畑と
次の調査地・Chiron川付近の
森林の架け橋となるのが
この菌だ。

温度の低いChiron川が温度の高い本流と交じる時、
霧が発生する。
そしてこの霧が
Botrytis cinereaという菌の繁殖を助け、
この菌が、白ぶどうの水分を蒸発させ、
糖度を引き上げ、
Sauternesワインが誕生する。



すべての始まりとなる、
Chiron川の温度が低いのはこの森のおかげなのだ。


(Coupled with Political science class in the forest)


Day 3. Weak Signals: from concept to illustration
Day 4. Emerging issues in ecosystems and economy
Day 5. Climate change impacts on ecosystems

Ecologyについて多くのことを学んだが、
別の機会にまとめるとして、ここではキーワードだけ並べさせて頂きたい。

1. Anthropocene
A new human-dominated geological epoch (after Holocene)

2. "We have never been modern" (Latour, 1991)
the modernist distinction between nature and culture never existed

3. Subjective data for economic forecast
The long debate on rationality/irrationality of agents better enables us to foresee economic futures.

4. Weak signals
僕らの研究グループのテーマ
"Using Weak Signals as Indicators of Regime Shifts
に表されている。

大災害や生態系の変化が起こる前に、
生態系から発される<弱いシグナル>を同定し、いかにpublic discussionに統合していくか。


(BL Turner, et al., 2016)

しかし、その同定過程で、
無数の変数が生まれてくる。
ソーテルヌワインの例をとっても、
その生態系(社会・経済を含め)の複雑さには慄きの感を覚える。

こうした変数を、いかに定量化するか。
そうした時に他分野の専門性が必要とされる。

(Natural sciencesの議論がここに終着しがちである)

5. Problematization

しかし、これでは重大な点を見逃している。
フィードバック機構の<線を書く>だけでは足りない。

その後ろには必ず<human decision-making>がある。
農業者が、生活者が、消費者が、研究者が、政治家がいる。

僕にとって、<weak signals>とは、
自分が守ろうとする生態系(農地であれ、川であれ、動物であれ)を
<問題化 Problematize>する道具と解釈される。

Weak signalsを同定することに奔走するのでなく、
Weak signalsという概念を利用して、
他分野との対話の扉をこじ開ける。

Contrary to the common "ecologist" interpretation,
it seems to me that "weak signals" is a social tool to "problematize" a given ecological situation.
Problematization is to transform a common sense into a <problem>, rather than taking it for granted,
which can better open the door for interdisciplinary dialogues.


(We got the presentation prize thanks to these international expert colleagues !)


(The prize is Wine, this is really Bourdeaux-ish...)

この一週間はweak signalsという概念を巡って、
natural scienceとsocial scienceとの対話の難しさと魅力を肌感覚で感じることができた。

さあ、
これから日本に帰り、
自らの食育研究にどういかすか。

今回、ボルドーで出会ったPh.D.仲間に、
負けてなんかいられない。

Off shots: Around the table


(Learned a lot from you about wildlife ecology)


(canard is speciality from Sud-ouest of France)


(C'est mon favori !)


(Not only ecology classes, but also French language classes going on...)


(My roommate from Levanon is an expert of forest ecology...and "climatisation" of our room)



(Hello, another side of the Earth ! Beautiful deligates from Brazil)



(You are so funny...French born political scientist)


A bien tot !





食育についての一考察(2017年版)

2017-05-27 19:08:27 | 食育への考察

こんにちは。上田遥ですが、
近年、以下のようなWEBページを見つけ、
自らの存在感が危ういと思ったので、久々更新しました。


(引用:野球少年時代の評価「進路未定」ある意味図星ですが。笑)

2017年2月にフランスから調査で帰国以降、
そのまま博士課程に進学し、
食育の研究を続けています。

ここ数ヶ月は論文執筆や学会報告で忙殺され、
また共同研究の関係で守秘義務等あり、
今まで自由に発言できたことが、
そうでなくなるというもどかしさも感じながら、日々研究していました。


(博士課程の入学式。3年でPh.D取得したいところ。)


その「もどかしさ」とは、
「学術界の言説(ディスクール)が教育現場で全くいかされないこと」
に起因しているように思います。

そしてここでいう「教育現場」とは、
学校の先生であり、食農企業の職員であり、行政職員であり、親一人ひとりです。

これは教育現場の問題であり、学術界の問題でもあります。

例えば、以下のような要因が考えられます。
1. 研究者が市民レベルの議論の場に出向く(経済的・学術的)Incentiveがない
2. 研究者は基本的に忙殺されている
3. 論文公表を通じて社会に問いかける方が、(時間はかかるが)効果的と考えている
4. 市民はstupidであると考えている

とくに、第四の要因に関しては、
"stupid"という言葉ほどネガティブな意味で用いていませんが、
かなりfundamentalな問題であり(つまり一般現象であり)、
「専門家」と「市民」の物事を考えるメカニズムの違いをまずは認識する必要があります。



(リスクに関してはこちら:カーネマン、System 1とSystem 2については教育関係者は知っておいた方がよい)

おそらく、まだ研究者の卵にもなりきれていない身分で発言している以上、
上記のいくつかの要因もたちまち反駁されることでしょう。

しかし、
むしろまだ制度に染まらないうちの
「無垢な視座」というのも
今後研究をおこなっていく上で大切にしたいと思っています。

さて、ここまでの議論をふまえて、
最近の出来事を2,3紹介させてください。

1.人生2度目の場(京都→飛騨高山)



牛肉のフードシステムの権威の教えを請いている以上、
この分野領域の勉強も精進しています。

食育現場に入っていると学校の先生からこんな小話がありました。

「社会でお肉の勉強をしてから、〇〇君はお肉が食べられなくなった」
「みんなと同じものを食べられないのは、よくないね」

そして、食農に熱い人(換言すればactivist)との仕事では、こんな小話がありました。

「現在の食肉産業は狂っている、肉の食べる量を減らさなければいけない」


(対EU、対米輸出認証をとっている最先端の飛騨ではありません。広島県庁のHPより)

議論に入る前に、
まずは彼ら彼女らの意見に敬意を表することからはじめます。

前者に関しては、「共食」(technicalな意味で)の観点から、
後者に関しては、ecological benefitの観点からは、理にかなうと思います。

そして、「肉食」に関しては、
様々に異なる意見がうまれることで、
食育の主題として非常に有効であることも評価すべき点です。

「命の大切さ」の教材にもtemptingかもしれません。

しかし、僕が京都と飛騨の食肉加工場で調査して、得た感覚はそれとは異なります。

一点目は、「専門性professionalism」への敬意です。

正直のところ、初めて場を訪問するまでは、
江戸時代以の皮剥ぎ(えた・)や同和問題に対するスティグマをもっていました。




しかし、実際に現場を見て、職員の専門性(解体技術のみならず、解剖学・衛生学の知識)に、
大変感心いたしました。

また同時に、1つの生体が肉になるまでに、4人もの獣医が検査を行う、
徹底した食品安全管理に、・加工に対する考えは完全に変容しました。



(フランスにおけるboucherie(お肉屋さん)の社会的地位は高いです。)

彼らの仕事こそ、社会に認められる必要があります。
食肉産業批判、肉食批判をする前に、認めるべき人々の仕事があります。


二点目は、食肉フードシステムの「不条理さ」です。

畜産や酪農は、最も複雑なフードシステムといっても過言ではありません。

オス・メス
和牛・交雑牛・(国産牛)・輸入牛
繁殖農家・肥育農家…

この全ての複雑な関係性を解読するのは、
一定の知識と現場経験がなければ農業経済の学者でも厳しいと思います。

そんななかで、
BSE、口蹄疫、大地震など5年に一度のスパンで、畜産農家を襲うcrisis。
不安定かつ常態的に低い取引価格に左右される農家と、
それを間接的に助長する結果を招いている僕ら消費者の買い叩き(と小売の廉売)。




なんて不条理なんだと、悔しく思います。

だから、
この問題を解決するには、(個人レベルでは)自分自身をeducateするしかないのです。

複雑化するフードシステムを「複雑だから」でほっておくのではなく、
それを解決しうる要点(価格、品質、繁殖サイクルなど)だけでも食育内容に取り込めると思います。

ここで得た、「制度的な思考力」はあらゆる課題に普遍的に応用できます。


2.『おばあちゃん野菜』今年も頑張ってます。

こちらは報告のみですが、
去年はたくさんの方にお世話になりました。
知恵と愛情が詰まった栄養満点のおばあちゃん野菜を届けたい!
今年も年間契約者を30人募り、本日、第一回の出荷を終えることができました。



そして、今年も米作り始まりました。



やはりどんな小さな事業でも、「継続させること」が重要だと思います。

どれだけ意気揚々と伝えた最先端の知識であっても、

1. 「ただのうんちく」と一蹴する
2. 価値ある知識として実践し、規範になる

など子どもたちの生の反応を得ることができるのは、非常に楽しいのです。

3. やはり、研究の日々

学問は、非常に奥深く楽しいです。

「食育」といえば、料理教室や農業体験として単純な範疇化がされることも多いです。
「食育」といえば、まだ歴史が10年しかない学際的な分野で、その学術的正統性は低いです。

しかし、「食べる」と「教える」という人間にとって根源的な2つの命題を含むものであり、
こんなに楽しい分野はありません。

食育を研究していれば、
コメニウス(教育学)やデカルト(哲学)やデュルケーム(社会学)といった
巨人達の肩の上にちょこんと乗れるよう、一時も惜しまず学問に励む必要があります。


(今年の食育学会は愛媛にて:ad hocな食育モデルからcoherentな食育モデルへ)


(Poulain教授とのPh.D. Skype conference)


ということで、今年は、食の社会学の本場フランスと日本とを往復しながら
食育の研究をさらに発展させて行きたいと思っています。

まずは、来年からの収入がゼロ見込みなので、学振DC2に受かるように申請書を仕上げなければ。

それではまた。


小学校の給食、何とかしない?

2016-06-24 14:27:01 | 食育への考察
今回はもっぱら、研究の雑感です。

大阪のとある小学校で、合計2週間にわたって食育を行い、本日無事に終えることができました。



幼少児に対する食育の必要性が高まる一方、学校現場では英語やら道徳教育やらで食育どころではない。
これが学校関係者の本音だと思います。

田植えや餅つきなどの食育授業を行っても、イベントのような一過性で終わってしまうことが多く、教育効果が短期で見られない。
それが現場で食育に対するモチベーションを失うことに繋がります。
食育をされている皆さんならわかると共感できると思いますが、実は一過性に見えるイベントでも膨大な準備量があり、上記のような短期的効果の薄さにより、『食育』自体の必要性を問うことにも繋がってしまっている現状があります。

勿論、市民個人の責任とせず、政治的介入(規制・緩和)で構造的に食農問題を解決していくことは必要ですが、
市民の方でも食育つまり、食に対する学びを増やしていくことも重要なのは確か。

(大学院の先輩が紹介してくれた、ハワイ大 Prof. Kimuraのこの論文が的確に述べている)

ということで、
日本で現在行われている最も大きな"一過性"のイベントの一つ『味覚の授業 Leçon du Gout』も例外ではありません。
せっかく農水省や大手企業も予算を出すのだから、教育的意義のあるものにしたい。


家庭科の時間をもらい『味覚の授業』(2時間)を行い、その後一週間の給食時間での介入を通し、教育効果を最大化するという試み。

以下が行ったプログラムですが、まだまだ課題がたくさんあることに気づきました。
あらゆる食関係者の意見を仰ぎたいと思っています。
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『味覚の授業』
砂糖・塩・ビターチョコレート・鰹節・酢などを用いて、味のメカニズムについて学ぶ授業。
今回は宮川先生に教わった、それぞれの味の生理的意義、また化学調味料と伝統的製法の調味料のテイスティングもうまく45分におさめることができた。


【一日目】
『味覚の授業』と連結した給食時間なので、主に学習内容のリハースが中心。
しかし、やはりこの時点では自らの感覚を言語化するのが苦しそう…。

【二日目】
この日は、前日の課題であった『言語化』の勉強。
ライターやタレントでもない限り、味のボキャブラリーに関して真っ向から勉強する機会はないはず。
しかし、言語化することと感性の感度との相関性は数々の研究でも指摘されていることから、
ボキャ貧時代の僕たちが考えなければいけない主題。
今回は、佛教大の言語学者・瀬戸賢一先生が執筆された『おいしい感覚と言葉』をもとに、
表現のコツ(活用、比喩、五感と五味、組合わせetc.)を勉強し、早速給食中に実践した。



【三日目】
言語化ができればようになれば、新しい食材への親近性が湧くという研究結果もいくつかある。
新しい食材への不安 Food Neophobiaと呼ばれる現象は、幼少時において顕著であるが、
今回の授業はこれを減じることが目的。

かねてからやろうと思っていた『Edible Insects (といっても、いなごの甘露煮)』を使用することに。
食べたことがないであろう昆虫を食べれば、児童本人の中で自己効力感と食への興味が湧き、
これからどんなものでも好奇心をもって食べれるようになるという仮説を立てた。

昆虫食の意義等はFAO等の報告書があるので、ここでは割愛するが、結果は予想以上。
いなごで乾杯が始まるほど、最初はグロいと言っていた児童もおかわりとねだり、完食。
後日聞くと、お母さんに頼んで、いなごを買ってもらった児童も数人いた。

【四日目】
ここからは、味覚教育の真髄。工業製品と伝統製品の味比べ。
醤油の発祥地である湯浅の古式製法で作られた醤油と、某王手企業の工業的製法で作られた醤油をブラインドテイスティング。
やはり、日頃なれている工業製品の方を「美味しい」と答える児童が大半。

その後、伝統製品の原料・発酵時間・技術の違いから出る香りや味の違いを説明すると、その説明を頼りに伝統製品の方が「美味しい」と答える児童が増えた。味の違いを知るには、食品の裏をしっかり学んでいくことが大事だと気づけたのだろうか。

しかし、生徒との対話から根源的な課題がいくつか。

生徒「なぜ伝統製品を守らなければいけないのか」
生徒「工業製品を美味しいとおもうんやから、別にそれ以上いらんやん」

伝統製品を守る理由を、明快に伝える回答が欲しい。
研究仲間が取り組むようにモノの価値を決めるコンヴァンシオン理論や、生物多様性の議論を持ち込むこともできるが、議論が複雑になりすぎ、小学6年生には伝わらないであろう。

次回への課題である。


【最終日】
この日は『何故、味わう必要があるのか』を考える日。
子どもたちに身近な、お菓子やジュースの例を用い、パーム油と果糖ブドウ糖液糖を手がかりに、インドネシアでの森林破壊や米国で集約農業について少し説明(やはりこのあたりは小学生には難しすぎるだろうか…)。

ただ、自分が食べているものが誰かの犠牲に成り立っていることから背を向けてはいけない。
そして、その犠牲を、正しい食材を選ぶことで楽しみや笑顔に置換できることを伝えたかった。
そうするためには、食の品質を識別する能力が必要であり、それを実現するのが味覚教育だよ、と。



児童それぞれにとっての「味わう意義」については記述式データをとった。
今回は比較群と教育群を設定し、他の教育効果も測定したので、今から分析してみたいと思う。


しっかり、効果が証明できたらスケールアップしていけたらと思う。
効果が出なくても、こういった活動を行える先生や栄養士が増えてきたら嬉しい。




食育をする時間がないなら、給食。

「感謝をこめていただきます」という言葉が、言葉だけになっていないか。
「無理してでも時間内に食べろ」が、何故そうしなければいけないか。
「味わえというが、全て加熱殺菌されて美味しくない給食ではできない」という声は、切実な意見ではないか。
「O157などの食品衛生対策」とはいえ、なぜ全て加熱殺菌されなければいけないのか。現状を問うてみたことがあるのか。

世界から褒められる日本の給食制度であるが、今一度考えてみる必要があるのではないか。





フランスでは、6歳児にBIO(有機)を教えている!?

2016-03-23 19:25:54 | 食育への考察



ー美食の町ー
Cité de la Gastronomie
フランス・ディジョンで勉強しています。

食がメインの街ですから、
次世代への教育にも熱心です。

その辺の土にネギとか埋まってるときあります。
(イベントです)

その中でも、
Centre des Sciences du Gout
(ヨーロッパ味覚教育センター)

に直談判でトレーニングコースを
開催してもらいました。



去年から交流のある
主任研究者のAude。

プライベートコースなので、
お値段は、
ハーバード大学のプロフェッショナルコースよりも
高い=それ以上の価値がある
ということかもしれません。

(人生最大の投資)




基本的に「味覚教育」の理論は
神経学や児童発達心理学に基づきながら、

味覚などの感性を鍛え、
いかに食べるかを学び、
そこから食農問題に敏感な
良識な消費者を育てるメソッド
です。

しかし、
それをいかに児童に伝えるかは難しい問題。




五感と味の関係のメカニズムを勉強し
(京大の伏木先生の授業で
習わなかったこともたくさんありました)、

それをアペリティーボ作りに応用するという
フランス的な発想。

これなら子ども達も楽しめるかもしれません。



今日はNAP (New Activity Perischolar)という
日本でいう学童保育のようなところで、
どのように味覚教育を実施しているのかを
視察しに行きました。



テーマは
「BIO(有機)」
「Alternatif(オルタナ食=シリアルや野菜で肉の代わりになる食)」
です。



対象は6歳児です(マジか!?)。



パペットをうまく使って
児童の興味を引き付けながら
何故BIOなのか(農薬等)、
BIOのラベルはどれかを学びます。



少し前に見た、
給食にBIOを導入するフランスのドキュメンタリーで、
フランスの子ども達が
「BIOがいい。だって体にも環境にも良いから!」
って言ってたのが思い出されます。

その後は、
ひよこ豆や各種スパイスを使って、
五感を鍛えながら、
BIOやオルタナやローカルについて
学びます。




直ぐには変化が見られるものではありません。


しかし、幼児の発達過程において、
「感性」を鍛えることは
その後の全ての「知性」のベース
になります。

日本の教育では、
まず注目されないことですね。



ヨーロッパでは
モンテッソーリ教育が根幹にあるから、
味覚教育のようなメソッドが生まれたのかもしれないですね。





そして、辛抱強く食育を行う彼女たちの努力は
きっと結ばれると信じています。



それにしても、
6歳児にBIO…。

フランスの食育、なかなかハイレベルである。

・・・
【まとめ】

・農業大国フランスの食育は
ハイレベルかもしれない。

・しかし、直面している状況は
フランスも日本も同じ。

どれだけ学校で頑張っても、
家庭が変わらなければ続かない。



・そもそも、子どもにBIOを教えるより、
親にBIOを教えたほうが効果的。

・しかし、親も忙しく、
なかなか理解と機会と資金が得られない。

・学校の先生も、然り
(カリキュラム的な意味で)。


・学校教育に抜本的に食育を
導入するのは、難しい。

「給食時間」や「学童保育」からなら
親和性も高い、か。

・やはり、これらの現場で活躍する
「教育者を教育できる」ことが最も効率的。

・教育的効果を証明し、
第4次食育推進基本計画に提言するのは、
なかなか難しい(まだあきらめない)。

・しかし、少なくとも
僕が子育てする時にめっちゃ役立つ。


ブルゴーニュ地方はワインが有名な
こともあり、
味覚教育の主要な推進者が多いです。

20年導入が早かったフランスの状況を
もう少し調査し、
日本にも応用したいと思います。


こちらの挑戦もあと少しです!!




これが絶景。フランスのNormandyでヤギの乳を搾って、働いています。

2016-03-18 02:31:05 | 研究・海外雑記




ヤギの乳と、ちらつく肛門。

絶景。

では、ないです。


こちらが、絶景です。




早朝のフランス・ノルマンディーの牧場です。


ボストンワシントン
頭を使いすぎたので、
少し体を動かしたいところ。

WWOOFという
労働と引き換えに、
宿泊と食費をまかなえる制度を使い、

カマンベールで有名なノルマンディーで
ヤギ乳搾りをしながら、働いています。




アルプスの少女ハイジのような光景、
実際に存在するとは、思っていませんでした。



本当に、そのままです。

何か、いろいろ考えさせられます。





朝6時に起きて。



ヤギの赤ちゃんに乳を。

(こんなに人気になれたの久しぶりでしょうか。)



お母さんヤギの乳を搾ったり、
牧草をあげたりしながら。



チーズを作ります。



この農場では、カマンベールは作っていませんが、
複雑な風味かつフレッシュなチーズはたべれます。



日本食作ってと、
めちゃくちゃ言われます。

お好み焼き(そば粉しかない)
焼き鳥(ソーセージしかない)
五平餅風おにぎり(フォークとナイフで)

あるだけの具材でやるしかありませんね。



(C'est très bon!)



Normandyはカルバドス(りんごの蒸留酒)も有名ですね。



お酒とチーズは脇役です。
主題は、

2050年以降、
どのように世界の食を考えればよいか。

WWOOFのもう一つの目的は、
Bioや有機農業について考える機会を
若い世代に提供すること。




・・・
まとめ

・牧場では朝7時から夜9時まで鬼ほど働く。

・これで、牛乳の安売りとか、悲しすぎる。安いことが、当たり前でない。

・農業も、一緒ではないか。

・食を担う方々に、敬意を。

・味わうときは、感謝を。

・働くことが、何にも代えがたい食育。

・それでもなかなかそんな機会は見つけられない、21世紀。

・それに変わる何かが、必要。


ということで、
もう少しヤギたちと格闘した後、
ヨーロッパ味覚研究所で食育の特別養成コースを受けに行きます。


うまく、
こちらに生かしていきたいですね。

クラウドファンディング
第二目標あともう少しです!!
まだまだ頑張っています!