先人の残す言葉はすばらしいものである。
昨日ある会合で出た話・・・
「なぜ宮崎勤のような人間が現れるようになったのか」である。
人間は性衝動に駆られるものである。それは、動物であるから仕方が無い。
しかし、理性によりそれを押さえている。逆にいうと発情期が無いから・・・いや、いつも発情しているから理性により制御する必要があるのかもしれない。
と考えると、人間はその理性ゆえ、ここまでの発展を遂げてきたのかもしれない。
それが、近年の幼女に刃が向けられている。通常であれば発情を受け入れる熟れた女性に向けられるべき欲情を、あろうことか幼女に向けてしまっているのである。これは人間の理性がゆがんでしまったことによるといえるであろう。では、何がそうさせてしまったのか?原因は砂糖(糖分)にあるようだ。糖分が過多になり理性をゆがめているらしい。ではなぜ、糖分過多になるのか。それは豊かさを追い求めてきた欲求、その欲求が満たされ、次なる欲求を求め・・・・。
ん?人間は理性の生物ではないのか?理性の生物が欲求をむさぼる?矛盾している。つまり、過ぎたるは及ばざるが如しなのである。
話を移すと、この情報化社会も、本当に便利な世の中になったのか疑わしい面を持っている。IT化により一昔前より時間あたりにこなす仕事量ははるかに増えたはずである。しかし、社会全体が早くなったせいで、人間に余裕ができたのではなく、むしろ時間なりスピードに脅迫されている。さらに社会はIT産業界によって完全に脅しを受けている。たとえば、このパソコンである。今、Win98のパソコンを使用してこのBlogを書いているが、このパソコンはすでにマイクロソフトから見放されたものとなった。サポートをしてくれないのである。(そう言う意味ではまだアップルのほうが優しいような気がする)新しいソフトはことごとくこのパソコンを嫌う。そして、このサポートがまた食わせ物である。ソフトが肥大化し、そのバグをつぶすのに膨大な量のパッチを当てる必要に迫られる。すると、ナローバンドでは対応し切れなくなり、ブロードバンドの通信手段を迫られる。さらに、静止映像で満足していたところに、動画という新たな欲望を投入し、しかもその高度化により、このパソコンは欲望を満たすことができなくなっているのである。通信手段がブロードバンドでもパソコンが亀だと、もうついて行けないのである。
やはり過ぎたるは及ばざるが如しなのである。
もともと人間の目で見る、耳で聞く、触る、味わう、嗅ぐという五感を駆使しても感じ得ないものに人間は入りすぎたのである。だから、次なる欲求に駆られていくのである。
ナノテクノロジーは神を冒涜する世界に一歩足を踏み入れたのかもしれない。遺伝子工学も然り。この世の中を正常に戻すのは「2001年宇宙の旅」のエンディングように、原始時代に戻る以外に無いのかもしれない。ちなみにその主人公の「HAL」はこのパソコンのメーカー「IBM」のアルファベットをひとつ前に転がした羅列から生まれたそうだ。I→H B→A M→L
過ぎたるは及ばざるが如し。この駄文も過ぎたかな?