数学は使えるか

主に理工学書の書評,数学の応用を目指してトライしたことなど.

卒業

2017-09-30 14:09:17 | 書評
ようやく公文の研究コース、卒業できました。だいたい3ヶ月かかりました。もう少しじっくり問題を吟味しながらやってもよかったかなという気もします。
振り返って、一番印象的なのは誤字脱字解答ミスが「いっさい」なかったこと。これは凄すぎますね。大学の先生が書いた教科書を読んでも1冊の中で数カ所なんらかのミスがあるのは当たり前、ミスを探して自分で修正するのも勉強のうち、なんて思っていましたが。確かに一人で進めるのを前提としたテキストだとしたら問題文にミスがあるのは致命的ですからね。ただし、各コースの解答集(コースの毎に前後編の2分冊)の表紙に年月が書かれているのですが(たとえばvコースの場合1990.3)、これが最後に改訂した年月を表しているならば30年近く改定されていないことになります。タイプミスがないということはそれだけ1つのコースの完成に人手と時間をかけているということなのだからおいそれとは改訂できないという事情は推察できますが、もう少しコースの中でスクラップ&ビルドやったほうが生徒側も進めやすくなるし、理解もより深まると思いました。
まあ、とりあえず一息ついたということろかな。今後は時間を作って、問題を解きながら気づいたことをまとめてみたいと考えています。お世話になっている公文の先生に「コースが完了しましたので本日付で退会します。」と言ったところ「退会ではなくて卒業ですね。」とお返事いただきました。

公文V

2017-09-24 11:05:51 | 書評
研究コースの最後は曲線と曲面の微分幾何。前半は曲線の微分幾何から入り、フレネの公式に。曲率や捩率を定義、例によって設問で意味の吟味。次に曲面の微分幾何へ。第一基本形式や第二基本形式を使って曲率(ガウス曲率、平均曲率)を表します。また接続係数(クリストッフェルの記号)から測地線など後半(リーマン幾何学の初歩)で扱う概念について3次元空間中の曲面で慣れることができるような配慮がなされています。ただし具体的な曲面に関して曲率を計算するので計算は結構ヘビー。Vコースの前半では表裏1枚終わらせるのに平均30分以上はかかっているような。。。1時間かけたものもありました(第三基本形式の計算あたり)。長い計算が延々と続くと心が折れそうになりますが、Vコースの後半からは形式代数に入るのでヘビーな計算は相当緩和されます。
とりあえずVコースのを終えたら久しぶりにディラックの「一般相対性理論」を読んでみたいなと思っているところ。

人工知能 人類最悪にして最後の発明

2017-09-06 09:10:56 | 書評
久しぶりの書評になります.
カーツワイルはバラ色の未来ですが,こちらはディストピアの予感.
 シンギュラリティが起こった後の超人工知能は人間のことを何とも思わず,ひたすら自己の課題達成に邁進することになる.我々がアリのことを何とも思わないのと同様に超人工知能も我々のことを歯牙にもかけなくなる.我々は超人口知能を止める手段を持てないので,現時点での人工知能の開発は慎重に進めるべき,という主張だったと思います.まあ,人工知能の開発であれ何であれ,技術の進展にストップをかけるのは難しいですね.結局,物事をわかる人達が注視し続けるしかないと思います.
 ところで,全体を通して一番面白かったのは訳者のあとがき.
この宇宙では人間が唯一の人工知能を開発できる種ではないだろうから,どこか遠くの銀河系ですでにシンギュラリティが発生し,超人工知能が生まれていると考えるのが自然であろう.とすると,カーツワイルやこの本の著者の主張通りならば宇宙全体に超知能が偏在していることになるので,存在に関する何らかの兆しを我々が既に手に入れていないとつじつまがあわないのでは,というもの.
超人工知能は目に見えないナノマシンの疎結合でできていて分散的に機能しているが,やはりマシン(もしくは擬生物)なので熱を発生することになり,冷却のために必然的に宇宙に出ていくしかないという背景があります.
そこで思ったのですが,私たちは本当に超人工知能の兆しを手に入れていないのでしょうか.その兆しというのは宇宙全体に偏在していて,今の人類にはその正体が理解できないもの,ということになります.
 何かありましたね...ダークマター,とかダークエネルギーとかいうのが.ひょっとして,これらは超人工知能を形成するナノマシン(=目に見えない)の集まりと,その排熱という解釈があり得る?宇宙に偏在する超人工知能は,自己の存続と宇宙の調和のため永遠にこの宇宙を背後から制御している,という感じ.ここまでくると,アイザック・アシモフの世界になりますが.
面白い妄想が膨らんで,読後感は悪くなかったです.

実関数論の頂を踏む?

2017-09-02 12:30:43 | 書評
大げさなタイトルですが,公文のTIおよびTIIが終わった感想を一言で,といったところです.
夏休みの間に1日20問やってました.相当ヘビーです.
取り掛かる前は,なぜ公文でルベーグ積分?と思っていたけれど,課程作成者の意図としては「初等実関数論の全般を眺めるところまで行ってほしい」というものなのではないでしょうか.ちなみにTIおよびTIIのコースは1994年にリリースされています.人づてによると,課程作成の中心だった人はすでに引退しているとか.
 閑話休題.なぜ公文でルベーグ積分?ということです.私の公文のイメージは世間一般とあまり変割らないと思いますが,やはり計算問題中心で自分に合ったレベルの計算をひたすらやっているうちに相当進んだところまでいく,というものです.一方でルベーグ積分まで至るにはリーマン積分の定義,リーマン積分できない場合,できる場合,関数列の積分については極限操作と交換できるとき,できないとき,etc.といった感じで必ずしも計算だけで進めるものではなくて,それなりに高度な概念の理解が必須になります.計算だけでルベーグ積分までたどり着くのか,というのが偽らざる本音でした.
でTIおよびTIIですが,集合と位相の初歩から始まります.(無限回の和集合操作も含まれています.)イプシロン・デルタ論法による収束もやります.このあたりのミソは計算をするのではなく,イプシロン・デルタの論法による簡単な証明をひたすらやる,というものです.要するに,「計算」の代わりに「証明」.ただし,証明は穴埋め形式になっているし,類題による同じテクニックを応用した証明もそれなりの数こなすので,証明の論法が自然に身につくようになっています.ここらあたりが公文の真骨頂でしょうね.ただし時間はかかります.まあ,何事であれひとつのことをマスターしようと思えば時間をかけないといけないのは当たり前ですが.
で,リーマン積分の定義からダルブーの定理もやって,リーマン積分できない関数の例題もやってルベーグ積分にいくことになります.
ルベーグ積分はTIIの170番から.ここまでで大学の教養課程で習う微積分(多変数を含めて)は大体やっています.フーリエ級数も出てきましたし.ところがTIIは他のコースと同様に200番で終わり.30問でルベーグ積分できるの?という疑問がここでも出てきました.
結局,30問で,外測度,可測集合,可測関数,階段関数(単関数のこと),ルベーグ積分の定義,収束定理,まで行きました.これは早すぎ.収束定理は証明なしで紹介して,計算で実感するという方針でしたが,重要な定理は証明も欲しいです.そんなに難しいものでもないし.結構,定理だけ紹介してあとは計算で実感する,というパターンがルベーグ積分の項だけではなく,TI,TII全体で散見されました.ここらへんはボリュームの制限があるからやむを得ないところかもしれないけれど少し残念.計算と同様に「典型的な証明のパターンを覚えるまで繰り返す」というのは結構大事なので.
ルベーグ積分の項は別冊にして徹底的に公文式にする(TI,TII本体も含めて),というのがよさそう.
まあ,数学も言葉のひとつなので使っている(=計算している)うちに習得するというのが一番です.そういう意味では公文式は計算以外の数学の分野(というかそんな分野は本当はないと思うのですが)についてもよい方法なのでは,と思ってしまいました.
ちなみにタイトルは石井俊全氏の名著「ガロア理論の頂を踏む」から拝借しました.(蛇足)